幻想鉄道奇譚 #12
貨物車両につながる連結部のドアを開けると、外だった。列車の律動だけがこだまする雑木林の間から、夜空の星々がときおりのぞく。エイダンは帽子を飛ばされないように押さえながら貨物車両に渡り、ドアを引き開けた。
窓はなく、薄暗い灯りの小さなランプが一つだけ、天井から下がっている。クーパーの言ったとおり、あのランプを消したらここは完全な暗闇だ。
木箱と麻袋が整然と積まれてある奥に、閂をおろされたドアつきの仕切り部屋があった。そのドアを前にして椅子に座っていたスミスは、エイダンに気づくと顔をしかめる。文句を言われる前に、エイダンは紙包みのサンドイッチを差しだした。
「パトリックさんからです」
エイダンの注文を、パトリックはこころよく引き受けてくれた。だから、まんざら嘘でもない。スミスはけげんそうな顔つきで、椅子から立った。
「……僕は頼んでないけど?」
「パトリックさんの心遣いです。食べてください」
腑に落ちない様子を隠しもせず、スミスは紙包みを受け取った。エイダンは帰るふりをして、仕切り部屋のドアを見る。やけに静かだ。まだ意識を失ったままなのか。それともそのまま眠ってしまったのだろうか。どちらにしても落ち着いているようだから、少し安心した。
スミスは立ったまま、サンドイッチにかぶりつく。エイダンが静かに背中を向けたとき、彼が言った。
「君は怖くないのか」
「えっ?」
「Aが怖くないのか」
気の毒だと思うことはある。でも、怖くはない。だって。
「僕の身近にはいなかったので、彼らがどういう存在なのか実はよくわからないんです。サウスシティで暮らすようになって、Aらしき人を見かけることもあったけれど、外見は僕らとなにも変わらないし、怖いと思ったことはありません。僕には彼らよりも……なんというか、怖い存在がたくさんいたので」
そう答えて、おそるおそるスミスに視線を移す。彼はサンドイッチを口に運ぶ格好で動きをとめ、エイダンを見ていた。
「……怖い存在?」
エイダンは視線を落とす。なぜだか素直に答えたくなったのは、小さなランプの灯りが暗いせいだろうか。
「……すべてを有した天才とか、同級生。教授や権力者。僕を嘲笑う人たちです」
エーテル修復に関わっているのは、アルファベットの頭文字で呼ばれない人間だ。Aはいない。
「よく知らないAよりも、僕にとっては大学で知り合った人たちのほうが、ずっと怖かったので……」
山ほど言われた言葉が、蘇る。カミングス、どうして入学できたんだ? カミングス君、君の修復が定着しないのはなぜかね? もっとがんばらなければ留年するよ。カミングス、どうしてお前はみんなと同じようにできないんだ?
――なにがあっても貴殿のしたことを認めるわけにはいかないのであり、残りの人生をかけてでも、貴殿の将来を阻止せざるをえないのである。
苦い思いにおそわれて、エイダンは目を伏せた。
「……もちろん、さっきは突然襲われてびっくりしましたけれど、きっと彼も苦しいんですよね」
スミスが息をのむ。それには気づかず、エイダンは続けた。
「自分じゃどうすることもできない苦しさは、僕なりにわかっているつもりです。それに、気持ちを傷つけられたわけじゃないので、平気です」
口を閉ざしてから不安になった。しゃべりすぎてしまった気がする。なにか言われる前に逃げよう。
「すみません。どうでもいいですよね。戻ります」
スミスの顔を見ずに会釈したときだ。
「これ、じーさんじゃないだろ」
そう言われてエイダンが振り返ると、スミスは残りのサンドイッチを頬張った。
「嘘つきだな」
小さく、ほんのかすかに笑う。そんな表情を目にしたのははじめてだったから、エイダンは驚きのあまり目を丸くした。
「あとで食べにいくと言っておいたのに、こんなのおかしいと思ってさ」
そうだったのか。恥ずかしすぎる。エイダンは照れくさくなってうつむいた。
「……パトリックさん、なんにも言ってなかったのにな」
「君の心遣いを尊重したんだろ。そういう人だ。まあいいさ。そろそろなにか食べたいと思っていたところだし」
小さく嘆息してから、渋々といった調子でつぶやいた。
「……どうも。ごちそうさま」
あっけにとられたエイダンは、どういたしましてと答えて貨物車両をあとにした。
いまのやりとりは夢なんじゃないか。大きく首をかしげながらレストランカーに戻ると、ゾーイに笑われる。
「エイダン君、肩こり?」
「い、いえ! 違います」
しゃっきりと頭をあげて歩く。そうしながら、今度は口もとがほころんでくるのがわかったものの、ゲイルに出くわして姿勢を正す。少しの休憩をもらったエイダンは、ゲイルが車掌室に入っていくのを見計らい、この列車で唯一かもしれない人間の乗客のもとへ向かったのだった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?