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幻想鉄道奇譚 #17

「……ここにいたんだね。探したよ」

 エイミーを見下ろし、息をのむ。ユニコーンの人形を抱きしめている腕に、毛皮のような体毛が生まれていた。こちらを見上げる目つきは鋭く、首筋も体毛におおわれはじめている。満月が過ぎ去ったのに変身をはじめているのは、感情のたかぶりと興奮による、理性ではおさえきれない生存本能の衝動のせいだ。

 落ち着け、とエイダンは自分に言い聞かせた。これ以上興奮させたら、狼になって襲ってくるかもしれない。そうなれば相手が幼い女の子であろうが、エイダンは敵わない。なによりも、この子に〝襲わせた〟ことになってしまうのだ。それだけは絶対に避けなくてはいけない。

「機関車の車掌のエイダンだよ。覚えているかな?」

 エイミーは小さくうなずく。

「どうしてこんなところまできたの?」

 なるべく穏やかに訊ねたつもりだが、声は震える。エイダンがしゃがむと、エイミーは深くうつむいた。

「……わかんない。なんとなくこっちにある気がしたけど、全然ないんだもん。……疲れちゃった」

「郵便局?」

 こくんとうなずく。スミスの言ったとおりだ。これが本能のなせる技らしい。

「君のお手紙をだしてあげるって、車掌さんが……スミスさんが言ったの、覚えてるかな?」

「覚えてるけど、やっぱり自分でだしたくなったの。切手を買うおこづかいはあるから、好きなのを選びたかったし、なるべくかわいくして送りたかったの。ちゃんと謝りたかったから……」

 目に涙が浮かんでいく。くしゃりと顔をしかめると、肩を震わせた。そのたびに指の爪は伸び、首の体毛もあごや頬までおおっていく。この姿で列車に戻り、ギャレットに見つかりでもしたら大変だ。興奮や怒り、悲しみと憤り。Aに詳しいわけではないが、そういった感情を静めないかぎり、この変貌は止まらない予感がする。

「謝る?」

「……うん」

「どうして謝るの?」

「……ジェニーがべつの子と公園で遊んでるのを見たの。それで私、怒っちゃったの。そのあとのことはよく覚えてないけど……ジェニーは腕にけがをして泣いてて、ジェニーのママとべつの子のママが、私のママになにか言って、ママはたくさん謝って、ショールで私をくるんで、それで……歩きながら泣いてた。こんなはずじゃなかったって言いながら」

 その後、母親は手際よく、迷いもなく、ミンタカ島を目指すことにしたのだ。知人がどうのと言っていた母親の口ぶりから予想するに、それは前もって決められていたことのように思える。そうして準備万端できっかけの訪れを待ち、やっと巡ってきた機会を逃すことなく乗車したのだろう。

「……ジェニーに、けがをさせちゃったことと、一緒に魔法の世界にいけなくてごめんって、謝らなくちゃ」

 そうつぶやいたエイミーは、こげ茶色の毛に包まれた細い腕で、ユニコーンの人形を抱きしめた。頭からは獣の耳が飛びだし、もはや五割が狼の姿だ。通りがかりの誰かにこの姿を見られたら、大変なことになる。

 落ち着け。僕が落ち着かなくちゃ、この子も落ち着けないもの。

「そ……っか。じゃあさ、とにかく、一緒に郵便局にいってそのお手紙をだそうか」

「……うん」

 エイダンが手をつなぐと、頭からつきだした耳がやや引っ込む。よし、いいぞ。

「その、君の言う魔法の世界には、どうやったらいけるのかな」

「おまじないをとなえたら、このユニコーンが本物の姿になるの。それで背中に乗せてくれて、連れていってくれるんだ」

「そっか……」

「でも、そんなの嘘っぱちだって知ってる。そんな子どもじゃないもん。でも、ジェニーは信じてたから私も信じてるふりしてただけ。魔法の世界なんてないし、ユニコーンだってどこにもいないもん」

 思いがけない現実的な意見に、エイダンは驚いた。

「そうなの? でもさ、いるかもしれないよ?」

「……いないもん。私みたいのはいても、そういうきれいなのはいないもん」

 エイダンの右手をぎゅっと握り、うつむいた。〝そういうきれいなの〟だなんて、まるで自分は醜いと言わんばかりだ。

「……どうせなら狼じゃなくて、ユニコーンがよかったな。そうしたらジェニーにけがをさせるんじゃなくて、背中にのせてあげられたから」

 賢くて、優しい子だ。この子は全部わかっている。これからどんなところへいくのかも、すべてではないにせよきっと予感している。でも、哀しみや怒り、恐怖まではおさえこめないから、反応として外にでてしまうのだ。だとしたら落ち着かせて安心させ、喜ばせることができたらもとの姿に戻るかもしれない。

 エイダンはズボンのポケットに左手を入れた。そうして自分に問うてみる。できるかな。わからない。でも、たくさん練習した課題だから、一瞬の姿だけなら大丈夫かもしれない。

 とにかく、試してみるしかない。だってこれが、僕にできる唯一のことだもの。

「じゃあ……もしもユニコーンと会えたら、魔法の世界はあるって信じてくれるかな?」

「え?」

 首をかしげたエイミーは、真剣に考えている顔つきになる。

「それ、どういう世界? どんな魔法が使えるの?」

 考えていなかった設定だ。ひねりださなくちゃ。

「そこは……えーと、一人でも強く生きていける世界なんだ。つまり、そういう魔法が使える世界っていうかね。いやな人もいるけど気にしない魔法が使えるし、親切な人にはちゃんと優しくできる魔法だって使える。そうやってへこたれずにいたら、君のことをわかってくれる素敵な友だちにいつか会えるよ。そういう世界だ。どうかな、悪くないよね?」

 嘘はつきたくない。でも、いまはそう言ってあげたい。自分にはすでにない希望だけれど、この子には叶える力があるかもしれないから。

 エイミーはしばらく黙っていた。エイダンの右手に包まれた小さな手の爪が、少し短くなった気がする。首や頬の毛も、風が吹くと綿毛のように宙を舞いはじめ、やっと肌が見えてきた。

「……あんまり楽しいところじゃないみたい」

 エイダンは笑ってしまった。

「まあ、そうだね」

「……どうしたらそこにいけるの?」

 一人ぼっちだった少年時代を、エイダンは思い返す。いまも変わりはないけれど、多感だったころに受けた苦しさは、いつの間にか消えていた。少しは大人になったということかもしれない。

「いやなこととか辛いことがあったとき、目を閉じて〝強くなれますように〟って唱えるんだ。そうして目を開けたら、そこはもう魔法の世界だよ。この世界と見た目は同じだけど、ちょっと違うんだ」

「魔法が使えるのね」

「そう。自分の心を強くしたり、守ったりできる魔法だよ」

「……なんか、つまんない」

 エイダンはまた声をあげて笑った。すると、エイミーの手の力が強まる。

「……でも、素敵な友だちに会えるのはいいな。いいわ、信じたいから信じてみる」

「よし。じゃあ、目を閉じて」

 手を離すと、エイミーはきつく目を閉じた。エイダンはお守りとして持ち歩いていたグローブをポケットからだし、両手にはめる。もう二度とエーテルには触れないつもりだったのに、さらりと宙を撫でると生まれる星屑のようなまたたきに、どうしようもなく胸がときめいた。

 はじめてエーテルに触れたときの感激が、蘇る。こんな自分にも、何者かになれる希望があったのだと思えた、あの嬉しさ。

 風の流れ。かすかな日差しの感触。

 宙を泳ぐ淡い輝きの紐を、グローブをつけた両手の指にからめていく。いくつかかけあわせた音のような呪文を、それに適した周波数の声にのせる。すると、エイミーの肩がぴくりと上下した。人間にとっては無音でも、人狼の耳には届くらしい。

 声の音にあわせ、エイダンは無心でエーテル紐を両手で編み、大きくしていく。はじめは綿菓子のような薄靄の塊が、やがてうっすらと姿をかたどりはじめ、淡く光る。

 雨雲が近づいていた。湿気と重い空気に邪魔をされ、せっかく編み込んだエーテル紐が、いまにも消えそうで心もとない。定着させられないのだから、ほんの一瞬だけしか見させてやれないけれど、でも――。

 それでも、その一瞬に賭けるしかない。

 額から汗が流れ落ちたとき、エイダンは急いでエイミーの肩を軽く叩いた。

 エイミーが目を開ける。純白のたてがみを風になびかせたユニコーンが、たしかに、目の前に存在していた。優しさをたたえた琥珀色の瞳で、エイミーを見つめている。

「わあ……! どこからきたの? どうやって呼んだの? さっきの不思議な声で呼んだの?」

「そう。君に会ってくださいって伝えたら、きてくれたんだ」

 そう言ってまばたきをした刹那、もう空気中にとけるようにあっけなく、あとかたもなく消えたのだった。

 もしもギルバートなら、確実に定着させた。背中に乗せてあげることだって、簡単にやってのけただろう。でも、僕にはこれが精一杯だ。精一杯なんだ。

 ごめんよと言おうとして口を開きかけたとき、エイミーが言った。

「きれいなものはすぐに消えちゃう。またきてくれる?」

「……どうかな。僕にはわからないけど……。ユニコーンは気まぐれだからね」

 嘘をついてしまった。ばつが悪くなって視線を落とそうとした矢先、エイミーが嬉しそうに笑った。

「でも、いいもん! 見られたからいいんだ!」

 腕や顔をおおっていた毛はすっかり抜け落ち、爪の伸びも止まった。と、ぽつりと頬に雫があたり、地面が点々と濡れはじめる。エイダンはとっさにジャケットを脱ぎ、それでエイミーを頭からすっぽりと包んだ。

「雨が降ってきたから、列車に戻ろう。お手紙は次の駅でだすといい。それでいいかな?」

 エイミーはうなずき、ユニコーンの人形をぎゅっと抱きしめた。

「うん。でも、もういい。急がないんだ。ずっとあとで、自分でだすことにする」

「そっか……そうだね。それがいいよ」

 エイダンは急いでエイミーを抱えあげ、雨に濡れながらひたすらきた道を歩く。

 それにしても、僕は本当にどうしようもない。あんなに努力した課題すら、満足に修復できないのだもの。誰がうしろだてて誰に推薦されようとも、どんなに力をそそいだところで、国家資格試験に受かるわけがない。わかっていたけれど、これではっきりしたじゃないか。

 ――断ろう。

「どうして笑ってるの」

 小さな笑みを見られていたらしい。なんでもない、とエイダンは答える。あくびをしたエイミーは、疲れたらしく目を閉じた。ぐっと体重がかかって重くなったが、エイダンは一歩一歩、ゆっくりとぬかるみを進んだ。

 まるで、たしかな自分の未来を歩きだそうとするかのように。

 とるに足らない人間だということを、はじめて誇りに感じながら。

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