1987:さよならのハニー&レモン[中編]
([連作短編]茶飲みともだち:#06)
ノーザン・カウンシル。僕らのバンド名だ。
文化祭のバンドリストに登録し、放課後は毎日三宅家を訪れ、倉庫で練習をした。コピーする曲を何度も聴きなおし、修正するを繰り返す。マサは歌詞カードの英語にカタカナをふりながら、とにかく耳で覚えていった。キーボードと管楽器のメロディラインをカバーするのは無理があったものの、なんとなくかみあったり形になってくると、どうしようもなく胸がおどった。
たったの三曲。でも、偉大なる三曲だ。
そんな僕らのこそこそした活動は、どこからどうもれたのかいつの間にか広まっていた。こんなに噂が広まったのは、おそらく謎多き三宅くんがドラムを叩くという事実に、誰もが驚きを隠せなかったせいだ。無理もない。そして、なんとなく予想はついていたのだが、三宅くんは密かに女子にモテていたらしい。ほっそりした三宅くんがドラムを叩くというギャップに、クラスの女子たちはとうとう落ち着きをなくした。それまではまるで眼中になかったであろう僕とマサにいったん近づき、なんとか三宅くんとつながろうとする女子がやたら増えたことで、その興奮具合はうかがえるだろう。
逆に、なぜか僕らと距離をとりはじめた女子もいる。渋谷トモミだ。
普段どおりに挨拶を交わしたり、軽口を言いあったりはすれど、必要以上に近づいてこない。それはおそらく、三宅くん目当てのほかの女子たちと一緒にされたくなかったからだろう。
そのプライドの高さ。さすがは、僕の永遠のライバルである。
一見、平然として見える渋谷だったが、僕にはわかっていた。やたらと女子に呼び出される三宅くんの一挙手一投足に気を配り、彼女ができてはいないか目や耳を澄ませているのが手にとるように伝わっていたからだ。
三宅くんがフリーのうちに、練習場所に渋谷を誘おうかと思うことはあった。スタイル・カウンシルのコピーをすることは秘密だったけれど、渋谷なら口は固いし信用できる。三宅くんと自然にうちとけることができれば、二人はうまくいくかもしれない。
でも、僕は誘わなかった。
なぜか、誘えなかったのだ。
* * *
一軒家に暮らしていた三宅くんは、たくさんのレコードを持っていた。ほとんどが洋楽で、僕の知らないバンドばかりだった。
「こういうの、注文したの?」
「いや。父さんが単身赴任で旭川にいるから、頼むと送ってくれたんだ」
「それはいいな」
マサが言う。三宅くんは小さく笑った。
「でも、もうできなくなるかな」
「単身赴任、終わるのか? なら、札幌の姉さんに頼めばいいんじゃないか?」
マサが笑みを向けると、
「……うん。だね」
三宅くんは曖昧に微笑み、レコードを変えた。僕は音楽よりもレコードジャケットに夢中で、どうすればこういうのがつくれる仕事に就けるのか、頭を悩ませはじめていた。だから、三宅くんの意味深な横顔に気づかなかった。
いや。ただ、気づかないふりをしていたのかもしれない。
文化祭まで二週間と迫ると、校内も活気づく。放課後は文化祭の準備にあてられて、後輩も先輩も関係なく廊下を奔走していた。逆に、コピーする曲を一応マスターした僕らのバンドは、グループで分けられた出し物の準備もあって、練習の間が空くようになった。
いったんバンドから離れると、同じクラスだというのに三宅くんを遠く感じた。そのうえ、三宅くんは放課後になると先生に呼び出されることが増えて、練習の頻度はさらに減った。進路のことだと三宅くんは言っていたし、まだ高二なのに偉いなとマサは感心していた。でも、三宅くんを目で追う渋谷を見るたびに、僕の胸はざわついた。
進路のことなんて、文化祭が終わってからでもよくないか?
そんな違和感を抱いていたのに、僕は無視した。
無視して、なにもしなかったのだ。
なにもしないまま数日が過ぎたとき、三宅くんが学校を休んだ。ほかにも休んでいる同級生はちらほらいたので、さして気にしなかった。でも、明日も休んだら電話をしてみようとマサと話したその日の夜。
自宅で晩御飯を食べていると、ふいに母が言った。
「そういえば、夕方スーパーで細野さんに会ってね。ほら、細野さん、病院で働いてるじゃない? 薬とお酒をたくさん飲んだ女の人が、意識不明で救急で病院に運ばれたんだって。助かったらしいんだけど、危なかったみたい。なにがあったんだか、嫌だわねえ」
妹は夕方のアニメに夢中で聞いていない。げんなりした父が肩を落とした。
「ご飯を食べているときに、ずいぶん楽しい話題だな」
父さんの皮肉を、母さんはいつものごとく聞いていない。
「その人につきそってた息子さんがかわいそうだったって。その子、あんたと同じ高校の子みたいよ?」
僕もげんなりした。プライベートがダダ漏れのそいつに同情するしかない。
「そういうこと言いふらすなよ。ほんとおしゃべりだなあ」
僕の意見を、母は無視した。
「三宅さんって子、あんた知ってる?」
三宅家に電話をするも、誰も出なかった。
晩御飯はそっちのけですぐに上着を着込み、外に出る。オレンジ色の街灯に照らされながら、自転車のペダルを必死に漕いだ。
夜風が冷たくて、吐く息が白い。こんなふうに自転車に乗って病院を目指していると、習字教室の村井先生を思い出す。
三宅くんの家で、おばさんを目にしたことは一度もない。僕の母さんみたいにどこかでパートをしているんだろうと思っていたけれど、部屋に引きこもっていたのだろうか。いや、事実はまだわからない。
同じクラスの三宅くんじゃない、別の三宅くんかもしれないと自分に言い聞かせながら、病院を目指した。
駐輪場に自転車を置き、夜間用の入り口を通る。受け付けで要件を伝えると、見舞いはできないが病室のある階を教えてもらえた。エレベーターに乗り、指定された階でおりる。消毒液の匂いと、寒々しい蛍光灯。一直線にのびた廊下の奥に、ベンチに座っている人影があった。私服姿で深くうつむき、ヘッドフォンでなにかを聴いているその姿には、見覚えがありすぎた。
三宅くんは僕に気づかない。なにを言えばいいのかもわからないまま、ベンチに近づいて隣に座る。
肩が震えている。三宅くんは、声を殺して泣いていた。
僕はなにも言えないまま、ただそこにいた。すると、ウォークマンのスイッチがカチリと止まる。しばらくじっとしていた三宅くんは、ヘッドフォンをはずして首にかける。袖で涙をぬぐうと、ふと隣の僕を見て息をのみ、困惑した。
「……お、俺の母さんの友達がここで働いてて、三宅って人が入院したとかって聞いたから、も、もしかしてと思って……」
薬をたくさん飲んで救急で運ばれただなんて、とても言えない。
「た、大変だったな。病気、とか……?」
顔をそむけた三宅くんは、肩を落としてうつむいた。
「……母さんが。死のうとした」
消え入るような声でささやく。あまりに直球の返答に言葉を失い、呆然とする。頭の中が真っ白になっていると、三宅くんの横顔の口角が、強がるように上がった。
「うちさ、離婚するんだ」
えっ、と声にならない息を、僕は吸う。
「単身赴任してた父さんが、母さんと別れたいって。慰謝料も払うからって、書類持った弁護士が何度も家に来てて。母さん、気晴らしになるってずっとパートしてたんだけど、そんなんでミスが多くなってこの前辞めたんだ」
「そう……だったのか」
間抜けすぎる僕の返答に、三宅くんは小さくうなずく。
「……そうしたら、どんどん不安定になって。近所の友達みたいなおばさんが、気にして様子見ててくれてたし、なんとか調子よかったんだけど、ここんとこだんだんマズそうな感じになって。今日こそちょっと危なそうだったから、学校休んで見張ってたんだけど」
目を離したすきに、浴室で倒れていたのだそうだ。
「……明日、姉さんが来てくれる」
「……そっか」
口をつぐむ。僕はただ、銅像みたいに隣にいることしかできない。すると、三宅くんが言う。
「父さんとのことは、去年からなんとなくあって。でも、こういう感じになったのは、夏休みが終わったぐらいからで。なんか……父さんにいい感じの人がいるとかってさ」
鈍感な僕にもわかる。ほかに、好きな人がいるってことだ。
なにも言えない。気の利いた言葉が、まったく浮かんでこなかった。
「俺はもうさ、好きにしていいって、母さんに何度も言ったんだ。姉さんも、辛そうな母さん見たくないから、別れなって言ってて」
押し黙った三宅くんは、何度も深く息をつく。やがて、意を決したように口を開いた。
「釧路の……祖父母のとこに引っ越すんだ」
「え?」
「もともと準備はしてたんだ。文化祭が終わったら引っ越す予定だったんだけど」
言葉をきり、うつむく。そして、
「早まった。ごめん」
三宅くんが言った。
「……そっ、か」
三宅くんは、僕を見ることなくさらに深くうつむいた。
「……ごめん。ずっと言えなくて」
無理もない。僕が三宅くんだったとしても、きっと誰にも言わないだろう。
そんなこと、言えないさ。言えるわけがない。
「そんなの、いいよ」
「転校とかの手続きはもう終わってるから、母さんが退院したら姉さんとすぐ釧路に行くと思う。姉さんは、文化祭が終わってからでいいよって言ってくれたけど、母さんこんなだし、姉さんにも仕事とかあるし、俺の気持ちもそれどころじゃないっていうか……」
「……わかるよ」
舞台に立てない。演奏ができない。完全再現が夢と化す。でも――。
「楽しかったからさ、いいじゃん」
三宅くんが顔を上げ、僕を見た。
「あんなめちゃくちゃかっこいい曲、三宅くんに教えてもらわないと知らなかったしさ。みんなで演奏できて楽しかったじゃん。な?」
表情を歪ませた三宅くんは、とっさに顔をそむけてうつむく。しばらく押し黙ってから、ゆっくりと口を開いた。
「どうせ転校するし、誰とも仲良くするつもりなかったんだ。でも、なんかさ、一人でドラム叩くより、あんなふうにスナくんと後藤くんと演奏できてさ。ほんと、すごい楽しかったよ」
それから、スタイル・カウンシルのボーカル、ポール・ウェラーを真似たマサの歌い方でクスクス笑い、はじめてうまく演奏できたときのことを話して笑った。ひとしきり笑ってから、三宅くんはまたうつむく。
「ほんとに、ごめん。後藤くんにも謝まらないと」
「学校、来られる?」
「たぶん。一回くらいは」
「……そっか」
「スナくん。このことは、その……」
「三宅くんが言うまで、誰にも言わないよ。マサにも言わないから」
「ありがとう」
「うん」
三宅くんの肩を軽く叩き、腰をあげようとしたとき、
「あのさ。あの日、誘ってくれてありがとう。実はさ、めちゃくちゃ嬉しかった」
三宅くんはそう言って顔を上げ、僕に向かって微笑んだ。
「おう」
僕も笑みを返し、立ち去った。
月のない夜道、自転車を走らせる。なぜだか無性に叫びたくなったが、必死に我慢してペダルを漕ぐ。発散できない我慢はやがて涙になり、僕の視界を曇らせた。
日本語の意味もわからずに、スタイル・カウンシルの「マイ・エバー・チェンジング・ムーズ」を口ずさむ。
調子っぱずれな僕の歌は、秋風の白い息とともに、さいはての乾いた夜空にとけていった。
[後編に続く]
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