幻想鉄道奇譚 #9
都が遠ざかり、丘陵の森から田園地帯へと列車は走る。通路の車窓に映るのは、うす暗い電動式ランプに照らされた自分の顔だ。
クーパーとスミスが車両をまわっている間、エイダンは閑散としたレストランカーで、ゾーイとともに車内販売のワゴンを二台用意をした。雑誌、果物、ポットの紅茶、パトリックによる焼き菓子類とサンドイッチを並べていく。そうしている間も頭のなかに浮かぶのは、ギャレットの言葉だった。
いったいどんな方法なのだろう。早く知りたくてたまらないが、まずはするべきことをこなさなくてはならない。
「私は五号車からまわるから、あなたは一号車からまわってくれる?」
「はい、わかりました」
「あなたがいてくれて助かるわ。ここよりも車内販売のほうが忙しいもの」
そうなのか? エイダンは内心首をかしげる。出発してまだ間もないのだから当然なのだが、レストランカーは閑古鳥がないていた。でも、まさかこのままというわけじゃないだろう。パトリックとゾーイの二人だけでここを仕切るのは、考えてみれば無理がある。
「クーパーさんやスミスさんも、ここを手伝ったりするんですか?」
「いいえ、まさか!」
ゾーイが笑う。
「じゃあその……もしかして、どこかの駅から乗ってくる給仕係の乗務員がいたりしますか?」
パイプを吹かすパトリックが笑った。
「ここを使う者なんていやしない。いたとしても、せいぜい一人か二人だろう。わしとゾーイで充分まわせるのさ、若者よ」
五日もの間、乗客は車内販売の食事だけで、部屋に引きこもっているということだろうか? いや、そもそも夜間の列車なのだから、乗車している間はきっと眠るのだ。そして停車している日中、村の食堂での食事を楽しむのが、乗客の慣例になっているのかもしれない。うん、きっとそうだ。
なるほどと納得しつつ、列車の揺れに注意を払いながらワゴンを押す。
途中、五号車のギャレットのドアノブに〝休憩中につきお静かに〟の札がさがっているのを確認してから、四号車でクーパーに出くわす。無言の会釈ですれ違い、二号車でスミスに出くわした。例の約束に相当する人物がいたかどうか訊ねられたエイダンは、「いませんでした」と即答する。スミスとわかれてから一歩遅れでギャレットの顔が浮かんだものの、香水の残り香が似ていただけだという結論に達して言わずにおく。
ワゴンをとめ、一号車の一人用個室からノックする。車内販売だと伝えると、薄くドアが開く。真っ暗なすき間から顔をのぞかせたのは、若くも老いても見える不思議な風貌のやせ細った男性だった。彼が猫背気味に乗車する姿を、エイダンは覚えている。こうして顔をつきあわせると、落ちくぼんだ大きな目がぎょろぎょろとしていて、失礼ながら気味が悪い。もう何日も眠っておらず、乱心の手前のような落ち着きのなさがうかがえた。男性はサンドイッチと紅茶に小銭をだした。
「釣りはいらない。なあ、通路の電動式ランプを消してくれないか? この列車は古いから、電動だとか電気だとか導入していないと思ったのに、あっちこもっちも光りまくっていて落ち着かないんだよ」
エイダンが了承すると、男性は「早くしてくれよ」と言い捨てて、ドアを閉じた。
二十世紀目前の近代であっても、いまだに科学の発展を拒む人々がいる。エイダンの父親もそうだから、強く押し付けるようなことはしたくないし、安心してもらえるようできるかぎりのことはしたい。とはいえ、通路の灯りを勝手に消すわけにはいかないから、クーパーに相談しなくてはいけない。今度はなにを言われるのだろうかと考えたら、エイダンの気分はいっきに沈んだ。
次の個室は老夫婦で、焼き菓子と雑誌、果物を購入した。エイダンはためしに、レストランカーでの食事をすすめてみる。細く開けたドアから顔半分を見せた老紳士は、どこか哀しげな笑みを浮かべながら丁重に遠慮した。
「やっぱり、バーレンで食事されるのですか?」
なにげなく駅名をだして訊ねると、老紳士は目を丸くした。
「バーレンは食事できるようなところなどないよ」
「えっ?」
今度はエイダンが瞠目する。直後、ドアは静かに閉じられた。
ワゴンの品物が順調に減っていくのとともに、エイダンの違和感は増していった。この列車の乗客はどこかおかしい。豪華で素敵な列車だというのに、誰一人長旅を楽しんでいるように見えないのだ。むしろ、人目をしのんで遠くへ逃げようとしているかのように思えるのは、気のせいだろうか。
三号車にさしかかる。反対側の奥にゾーイが見えた。
「車内販売です」
ドアが細く開く。そこから顔をのぞかせたのは、さきほどの母親だった。
「……焼き菓子とお水をいただくわ」
エイダンが差しだしたとき、ドアがほんの少し大きく開いた。女の子はおとなしくデスクを前にして腰かけており、手紙を書いているのか一生懸命にペンを走らせている。エイダンが立ち去ろうとした矢先、母親が声をひそめた。
「……ねえ、あの、この列車は大丈夫なのでしょ? 知人にそう聞いて乗ったんですの。その彼女が、アースニアの港で待ってくれていることになっているんですのよ。ですから、なんとしてでもいかなくちゃ。ね、大丈夫なのよね、そうなのでしょ?」
大丈夫? 大丈夫って、いったいなにが?
「え、ええ……もちろんです。ご安心ください」
そう答えるしかなかった。エイダンの返答に安堵した母親は、一瞬薄い笑みを浮かべてからドアを閉めた。
乗客の個人的なことを詮索すれば、クーパーに列車をおろされるはめになる。ギャレットとの出会いに期待しているいまとなっては、もはやそうされてもいいような心境ではあるのだが、帰るための方法に困るからできれば避けたい。だけど、どうしても考えずにはいられない。
まるでこちらを警戒しているかのように、どうしてみんなドアをあんなふうにして開けるのだろう。大きく開けて招き入れてくれたのは、いまのところギャレットだけだ。
夜間の列車とはいえ立派なレストランカーだってあるのだし、大人の乗客なら豪華列車の旅を少しは楽しんだっていいはずだ。それなのに、ほとんどの人たちに快活さが感じられないのはなぜなのか。
エイダンが乗ったことのある列車といえば、故郷を往復する二等車両だけの普通列車なのだが、車内販売のお菓子はお楽しみの一つだし、同室になった人とのなにげない談笑も醍醐味だ。ゆるやかに去っていく車窓の眺めに英気が養われて元気になり、ときには歌いだす人だっている。そういうときはどこからともなく手拍子が起き、それが広がって大合唱になり、終わったときには車掌を巻き込んだ大爆笑に変わっていたりする。
そういった軽やかな明るさが、この列車にはまったくない。すべての車両が一等の個室だからだろうか。それにしたって、どの個室の乗客もひたすら静かで、どことなく暗い。
なんだかまるで、墓地にいるみたいじゃないか?
背筋に悪寒が走り、エイダンは身震いした。走る墓地だなんてばかげているし、妄想でもさすがに失礼すぎる。でも、これではっきりと決心がついた。冷たい車掌コンビとは仲良くなれそうもないし、この列車の雰囲気にも馴染めそうにない。残念だが一往復を終えたらすっきりと辞めよう。
おかしなものでそう決めたとたん、気持ちが晴れた。なにを言われても辞めるのだからどうだっていいし、車掌コンビに認められなくてもそれでいいのだと思える。家族にまだ手紙をだしていなくてよかったと、胸を撫で下ろすしかない。
列車の個室は七割ほど埋まっていた。三号車の途中でゾーイと合流し、レストランカーに戻る。
テーブルを前にして座ったパトリックが、車窓を眺めながらパイプを吹かせていた。そのほかに客はいないが、パトリックもゾーイも気にしている様子は微塵もない。
「ありがとう、助かったわ。けっこう売れたでしょ?」
「はい」
「なにか変わったことはなかった?」
「え?」
ゾーイとパトリックの眼差しには、エイダンの返答を気にするかのような含みがあった。変わったことだらけですと言いたいが、クーパーの忠告が脳裏をよぎっていき、こう言うにとどめた。
「変わったことはとくにありませんが、静かなお客様が多いんだなあ……とは、思いました」
子どもみたいな感想になってしまい、エイダンは頬を染めてうつむく。もう少し気の利いたことが言えないものか。微笑んだパトリックはパイプの煙を吐き、小さく嘆息した。
「控えめな表現だ。まあ、怪我がなくてなによりだ、若者よ」
「えっ?」
眉間に皺を寄せたエイダンに向かって、パトリックは言葉を続ける。
「昔は、この車両にたくさんの乗客がきて料理と葡萄酒を堪能し、談笑し、暗がりを走る大人の余暇を楽しんでくれたものだ。しかし、その役目が飛行船に奪われてからというもの、この夜間走る豪華列車は、すっかり別のものになってしまった」
「別のもの、ですか?」
パトリックはパイプで口をふさぐ。エイダンがゾーイに視線を移すと、苦笑を浮かべていた。
「余計なことを言うと車掌コンビに叱られるから、私はなにも言わないわよ。でも、あなたが自分で気づいたら、それはあなたの考えになる」
パトリックは煙を吐きながら、嘆息する。
「どうせすぐにわかることだ。残念だが、こればっかりはどうすることもできんしな」
二人とも、なにを言っているのだろう? エイダンが戸惑いの表情を浮かべたときだ。
「おい、どうして電動式ランプを消さないんだ!」
突然、出入り口から声があがった。通路の灯りを消してくれと懇願してきた、一号車の男性だ。エイダンはすぐに謝罪した。
「も、申しわけありません。車掌長に相談してからと思っておりまして、これからすぐ――」
「早くしてくれ、お願いだ……!」
男性は頭を両手でわしづかむと、声を荒らげる。
「勇気をふりしぼってこいつに乗ったのに、電気電気電気……びりびりして眠れやしない! どこもかしこもいつでも明るくて気が休まらないし眠れない! こんなことなら半月かかったっていいから馬車にすればよかったんだ……クソッ!」
舌打ちし、よろめきながらエイダンに近づいてきた。
「なあ、闇はどこへいったんだ? 本当の暗闇は、いったいどこへいったんだ? 教えてくれ!」
そう叫んで目をつりあげた瞬間、唇の端の牙をのぞかせる。エイダンがはっとした刹那、彼の両手が伸ばされて首がつかまれそうになり、
「うわっ!」
うしろにのけぞり、バランスを崩して尻もちをつく。するとゾーイが慌てもせず、
「失礼、お客様」
すまし顔でコップの水を男性の顔にかけた。うっ、と彼が目を閉じたすきに、パトリックがブーツから折りたたみナイフをだす。直後、男性の背後からすっと両腕がのびた。
「お客様」
男性をうしろから羽交い締めにし、
「お静かに」
そう言って、彼の鼻と口にハンカチを押し付けたのは、クーパーだった。男性は眠るように意識を失う。震えながらなんとか体を起こしたエイダンの脳裏に、エイミーの爪がよぎる。それとともに、違和感を覚える乗客たちやゾーイの意味深な言葉、パトリックの含みのある言葉をかき集めていく。すると瞬時に、一つの答えにたどりつく。ああ、まさか、そんな。でも、そう考えるとつじつまがあってしまう。
――この列車の乗客は、ほぼ全員、Aだ。
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