幻想鉄道奇譚 #14
ギャレットの密偵のような真似をしてまで、エーテル修復師の国家資格試験を受けたくはない。それに受けたところで、合格するとも思えない。やめたほうがいい。僕には向いていないもの。
そんな考えとは裏腹に、ふたたび制服に腕をとおしたとたん迷いが生じる。単純明快なパトリックの言葉を聞いたときは断ろうと考えていたはずなのに、こんな機会は二度とないぞと別の自分が訴えてくるのだ。
この仕事もどうせ辞めるんだろ。そのあとどうする? すぐに仕事が見つかる保証なんてないじゃないか。
だったらのるしかない。のったほうがいい。こんな機会はもう絶対にないんだぞ!
答えのでないまま、エイダンは寝癖の髪を帽子に押し込める。車窓から見えるのは、昼前の曇天だ。パトリックのベッドはすでに無人で、きれいに整えられてあった。エイダンもその真似をし、休憩の交代を告げるために部屋をでる。
一号車をのぞき見ると、静まり返っていた。通常であればこういったとき、乗客は外へでて散歩をしたり、馬を借りて景色のいい場所に繰りだすのだが、Aの乗客たちは個室に鍵をかけたきり、まんじりともしていない様子だ。
不気味な静寂を振り払うように、車両の先頭にある車掌室までいってドアを開ける。挨拶をしてクーパーとスミスの顔を見た瞬間、もう一つださなくてはいけない答えがあったことをいまさら思い出した。
一往復を終えてから辞めるか、それともいまここでおりるのか。
「顔を洗っていないのに制服を着ている現状について、なにか私に言うことは?」
クーパーの手厳しい指摘がいやみだということに、頭の働かないエイダンは気づけなかった。
「えっ?」
満足に眠れていないから、まだ眠い。あくびを堪えていると、スミスと目があった。
「制服を着ているってことは、まだ乗るつもりだってことじゃないのか。そうだろ?」
実はよくわかっていない。条件反射で着てしまっただけだ。
「……そう、ですね」
説明するのが億劫で、そう答える。視線を交わしたクーパーとスミスは、さも面倒そうに同時に息をつく。いろんなことがありすぎたうえに睡眠不足と疲労のせいで、二人の態度に腹も立たない。もしかしたら慣れたのだろうか。そうかもしれない。
「ミスタ・カミングス。ここでおりないのであれば、身なりをきちんとしてください。とくにそのスラックスの皺が気になりますが、いまさらどうすることもできませんのであきらめましょう」
言葉をきったクーパーは、おもむろに腰をあげた。
「しかし! いいですか、ミスタ・カミングス。ベッドのマットレスをいったんあげて、その下にスラックスを丁寧に置き、ふたたびマットレスを戻して眠るんです。そうすれば皺はできません」
あっけにとられるエイダンを見て、スミスが苦笑した。
「ゲイルは皺を憎んでる」
「え?」
「もちろん、すべてでははありませんぞ。肉体の皺は讃えるべき生きた証。身なりの皺は憎むべき惰性の証ですからな」
なるほど。エイダンは目を丸くして、感嘆した。詩集か小説からの抜粋だろうか。
「名言です。誰の言葉ですか」
クーパーはエイダンを見ると、ほんのかすかに胸をはった。心なしか口髭もぴょんとたった気さえする。
「私です」
そう言った彼の口の端が一瞬あがったように思えたけれど、きっと眠気が生みだした妄想だ。
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