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幻想鉄道奇譚 #13

 十五分の休憩をギャレットのもとで過ごしたエイダンは、気もそぞろのまま車両の見まわりに戻った。それから車内販売を手伝い、少しの休憩を自分の部屋で過ごし、クーパーに命じられるがまま、淡々とまた見まわりをこなす。一方クーパーは仕切り部屋の男性の様子を確認するためか、スミスとともにひっきりなしに貨物車両に向かっていた。エイダンは彼らになにも問わず、余計なことを言って首をつっこむような真似もせず、ただ二人の背中を目で追った。その間も頭にあったのは、ギャレットとのやりとりだ。

 常に緊張を強いられている時間は刻々と過ぎていき、なにごともなく東の空が白みはじめてくる。もうすぐバーレンに着くとなったころ、クーパーとスミスがエイダンのいる車両に戻ってきた。一足早く業務から解放されたエイダンは、クーパーから「どうしますか」と訊ねられた。

「えっ?」

「そろそろこの列車がどういった列車なのか、なんとなく察したのではありませんか。もしもバーレンでおりるのであれば、馬車を用意することもできます。無理に業務を続ける必要はありませんよ」

 辞めさせたがっているのが、手に取るように伝わってくる。エイダンはぼうっとしたまま、なんとか声にした。

「そ……うですね。あの……考えます」

「バーレンを離れて次の駅に向かってしまったら、サウスシティまでかなりの距離になります。出発の夕方までに決めることをおすすめします」

 エイダンはおとなしくうなずき、のろのろと自分の部屋に戻った。帽子をとって制服を脱ぎ、肌着に寝間着のズボンをはく。制服を壁にかけてからサイドテーブルに眼鏡を置いて、片側のベッドに潜りこんだ。そうして泥のように眠るつもりだったのに、頭が冴えているせいで睡魔はまったく訪れない。

 壁側を向いて毛布をかぶり、ぎゅっとまぶたを閉じる。すると、ギャレットの見せてくれたグローブがありありと脳裏に浮かんできた。

 指にはめこまれた細やかなカットのクリスタルは、光の加減で七色に変化した。墨色のベルベットに、銀糸で刺繍された女王陛下の横顔。グレートランド王国刻印が入った木箱は見たことのあるものだったし、なかにおさめられていたのもたしかにエーテル修復師のグローブだった。でも、エイダンの知っているものとはあきらかに違ったのだ。

「あの、これは……? 僕は純白に金糸のホワイト・グローブしか知りません。この黒いグローブは、なんですか?」

 ギャレットはゆったりとした仕草で、葡萄酒をグラスにそそいだ。

「ホワイト・グローブは芸術、ブラック・グローブは武器を意味する」

「えっ」

「ブラック・グローブは、エーテルを武器として扱える資格証明かつ身分証だ」

 はじめて知らされた事実に、エイダンはドアを背にして立ちすくんだ。

「武器、ですか?」

 そんなことは習わなかった。エーテルが武器になるだなんて、誰も教えてくれなかった。いま自分が耳にしていることは、本当なのだろうか。信じられないし、想像もつかない。

「特別な訓練を受けなくてはいけないけれどね」

 グラスを口に運んだギャレットは、エイダンの驚きに笑みを返す。

「私は商家の出身でね。何不自由のない少年時代を過ごし、エーテルを集める才能にも恵まれた。当然のごとくエーテル修復師を目指して大学に進学したものの、父親が賭けごとにのめりこんで破産した。そのせいで中退する身になり、しばらくは探偵まがいのことをしていたんだ。そんなあるとき、とある貴族に雇われた。それがきっかけで、ブラック・グローブを手にすることになったというわけだ」

「……そのブラック・グローブは、ずっと前から存在していたんですか?」

「いいや。誕生したのは内務大臣が変わってからだ。犯罪に使う者がでないともかぎらないから、公にされていないんだよ。そういうわけでこれを手にする国家資格を受けるには、いくつかの条件がある。エーテル修復に関して大学四年生程度の知識があり、それ相応の身分の方のうしろだてがあり、まっとうで真面目な人柄であり、そして、すでにブラック・グローブ保持者の推薦人があること」

 そうすれば別枠の国家資格試験が受けられる。資格取得者になったあかつきには、主に政府の仕事を引き受けることになるのだという。その報酬は、伯爵階級の年収並みだそうだ。

「どうだい?」

 ギャレットがエイダンを見た。

「興味があれば僕のうしろだてを紹介し、僕が推薦してあげるよ。もちろん、ただではないけれどね」

「えっ?」

 ギャレットがにこやかに笑む。

「実のところ、さきほどの騒ぎはなんだったのかずっと気がかりなんだ。あの乗客は本当に酔っていたのか教えてもらえたら、僕のこの気鬱も晴れるんだけれどね」

 ギャレットの意図がわからず、戸惑う。でも、クーパーとの約束があるし、さすがに軽々と話すわけにはいかない。

「はい……あの、そうです。酔ってました」

 棒読みの嘘をつく。ギャレットの片眼鏡の奥の目が、クーパー並みに鋭くなった。

「あの車掌長の言うとおりだってことかな?」

 エイダンが小さくうなずくと、ギャレットは「ふうむ」と苦笑した。

「……どうしてそんなことを、訊くんですか」

「この列車の乗客はほぼ全員がAではないかと、当局は依然から睨んでいた。ご存知のとおり、近頃はAへの締め付けが厳しくなってきている。いままでは暗黙の了解としていたことも調査対象にくりあがったため、私が乗車したというわけなんだ。だから、カミングス君。それが事実かどうか教えてくれないだろうか。そして、もしもそれが事実なら――」

 言葉をきり、葡萄酒を飲む。残りの入ったグラスをまわしながら、ギャレットは続けた。

「終着駅につく間に、誰がAか私に教えてもらえないかな?」

 つまりはそれが、エイダンを推薦する条件なのだった。こんな機会はこれが最初で最後だろう。間違いなく二度とない。でも。

「……すみません。僕は乗務員になったばかりなので、そういったことは……よくわからないんです。なので、あの……返事は少し時間をいただいてもいいでしょうか」

 ギャレットは快くうなずいた。

「もちろんだよ。僕も終着駅までいく身だからね。ゆっくり考えるといい。もちろん、このことは僕と君の秘密だ。わかるね?」

 そう言ってエイダンを見すえる目に、暗い影が落ちる。エイダンはそのときはじめて、ギャレットを得体の知れない人だと直感した。もしも話したらどうなるのだろう。想像するのも恐ろしい。

「……はい」

 ギャレットのもとを離れてからのことは、あまりよく覚えていない。そして、いま。毛布にくるまったエイダンは、まぶたをきつく閉じて会話のはしばしを反芻していた。何度頭のなかで繰り返しても、そうとしか思えない。

 エーテルを武器にできるギャレットは――B・Bだ。

 彼に推薦してもらえたら、国家資格試験を受けられる。合格したら彼のようなB・Bとなり、Aを取り締まるためにブラック・グローブを所持して高額の報酬を得る、華やかな人生が待っている。

 サウスシティの高級住宅街に家を建てるのもいいだろう。その報酬と地位があれば、貴族のご令嬢とのお見合いだって夢じゃない。家族の借金も払ってしまえるだろうし、なんなら田舎に家を建ててやることもできる。いや、農地を誰かにゆずってから、サウスシティに呼んで一緒に暮らしたっていいのだ。父親は嫌がるかもしれないが、そのうちに楽しんでくれるようになるはずだ。母親と姉は最初から、きっと喜んでくれるに違いない。

 魅惑的な都会の生活。流行のドレス、美しいアクセサリー。姉には身分のある男性と結婚し、幸せになってもらいたい。田舎の人々はエイダンをたたえ、エイダンの家族を羨むだろう。大学時代の同級生は手のひらを返したようになって、すりよってくるかもしれない。そうしたら思いきり足蹴にしてやればいい。

 ああ、きっと最高の気分だろうな――。

「眠れないのかね」

 何度めかの寝返りをうったとき、パトリックの声がして驚く。のろりと毛布から顔をのぞかせると、パトリックは反対側のベッドに腰掛けて、小さな本を読みながらパイプを吹かせていた。どんな本を読んでいるのだろう。サイドテーブルに手を伸ばしたエイダンは、横たわったままとっさに眼鏡をかけた。

「……聖書ですか」

「意外かな」

 はいと言う代わりに、いいえと答えておく。パトリックは笑った。

「それで? 眠って起きたら、お前さんはどうする?」

「……まだわかりません」

 エイダンは低い天井を見つめた。小花柄が愛らしい。これがもしもフィリップス・アンド・エーテルプロダクツによるものだったら、ゆったりと順々に小花が咲き誇っていくのを楽しめただろう。

 そうなりたかった。美しいものを生みだす人に、なりたかったはずなのに。

「……僕は負け犬だ」

 考えるよりも先に声になってしまい、はっとする。なんでもないですと言って壁側を向こうとした矢先、

「負け犬のなにが悪い」

 びっくりして視線を移すと、パトリックはページをめくっていた。

「人殺しのクズよりもよっぽどマシだ。若者よ」

「……それはまあ、そうですけど……」

 人殺しとはまた極端な。パトリックなりの励ましの言葉に、エイダンはうっすらと笑った。同時にふと思う。この謎めいた老齢の男なら、どんな答えをだすのだろう?

「あの、パトリックさん。聞いてもいいですか」

「しかたがない。聞いてやろう」

 たとえば、とエイダンは言う。たとえば、自分にとっても家族にとっても喜ばしい機会なのに、個人的には全然嬉しいと思えない申しでがあったとき、パトリックさんならどうしますか。

「そんなこともわからないのかね」

 パトリックは苦笑し、聖書を閉じた。パイプの火を消してアルミケースにのせる。

「わしは二十五歳のころから、嬉しくないことはしないことにしている」

 ベッドに入ると、壁側を向きながらあくび交じりに言う。

「参考になったかね、若者よ」

 なんて清々しく、明快な答えだろう。

「……はい。とても」

 小さく微笑んだエイダンは眼鏡をはずし、朝の訪れとともにまぶたを閉じた。

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