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幻想鉄道奇譚 #15

 スミスと交代したエイダンは、夕方の出発時刻までクーパーと業務に就くことになった。車掌室はクーパーの個室も兼ねており、窓際の長椅子に毛布がたたまれて置かれてある。細長いデスクが左側の壁につくりつけられてあり、その下の箱には整理された書類が仲良くきっちりとおさまっていた。ハンガーにかかった制服のジャケットは皺一つなく、デスクの上の小物類までもがお上品に置かれてあって、クーパーが相当なきれい好きであることが伝わってくる。

 クーパーから車両内の見まわりを命ぜられ、エイダンはゆっくりと一周して戻った。なにもなかったことを言い終えると手持ち無沙汰になり、気まずさを隠すために背筋を伸ばして長椅子に腰掛けた。

 クーパーはデスクを前にして座り、書類にペンを走らせたり判を押したりしている。彼からの指示を待つ間、エイダンはギャレットからの提案をどうすべきか思案した。断りたい。でも、もったいない。

 エーテルを武器にするなんて、どんな訓練をさせられるんだろう。呪文もあらたに覚えなくちゃいけないだろうし、声だってまた練習が必要なんだろうな……。

「整備中の機関士の様子を見てきます。すぐに戻りますので、ここにいるように」

「あ、はい」

 クーパーがでていく。嘆息したエイダンは、深くうつむいた。いったいどうしたらいいんだろう。パトリックのようにすっきりと決められたらいいのに、そうできない。そうできないのは、欲があるからだ。一目置かれたい、見返したい。すごいと言われる人気者になりたい、お金持ちになりたい。

「……僕はどうしたいんだ」

 うううとうめいて前かがみになったエイダンの視界に、長椅子の下の奥にある箱が飛び込んだ。瞬間、エイダンは目を見張る。鍵と脚付きの箱は、夜空を連想させる濃紺の天鵞絨。総布張りの世界で刺繍のような三日月と星々が息づき、またたき、そして動いていた。

 横顔の三日月がまばたきをし、微笑む。満点の星々が無数に流れていくなか、箱の下側をぐるりと飾るカスミソウがきらめき、風にそよいでいる。エイダンは考えるよりも先に手を伸ばした。震える両手で箱をつかみ、奥から取り出してすぐに底を見る。

 フィリップス・アンド・エーテルプロダクツ。

 初期の簡素なロゴに、息をのんだ。教科書のペン画でしか見たことがないけれど、間違いない。これはフィリップス卿のデビュー作、『幻想夜話』だ。相当な値段が予想される国宝級の宝石箱が、どうしてこんなところにあるのだろう?

 過去の乗客の忘れ物だろうか。なかにはなにが、入っているんだろう?

 見てはいけないと思いつつ、鍵付きなのだから開くわけがないのだしと、蓋に手をかけてみる。そんなエイダンの予想に反して、あっけなく開いてしまった。

 なかに入っていたのは、色あせたたくさんの写真だった。

 華やかに着飾った男女が、レストランカーでグラスをかかげてポーズを決めているもの。乗降口の手前ですまし顔をつくる家族連れ。車両内の個室で手をつなぎ、微笑んでいる老夫婦。すべて、この列車と乗客を写したものだ。そしてそれらの写真には、必ず一人の人物がいた。

 〈K・S・R〉のロゴが刺繍された帽子とジャケットの制服がよく似合う、恰幅のいい男性だ。どの写真でも乗客に囲まれており、口髭をぴょんとはねさせ、優しげな笑顔を浮かべている。

 目を凝らすと、彼の胸ポケットには一輪の花が挿してあった。まるでスミスのようだ。いや、スミスが彼の真似をしているのか。

「……前にいた車掌さんかな」

 どれも楽しそうな写真だ。長椅子のシートに箱を置いたエイダンは、夢中になって写真を見る。美しい日々のラストを飾ったのは、一番底におさめられていたもの。蒸気機関車を背景に、「いい旅を!」という大きな看板を囲んでいる当時の乗務員の集合写真だ。交代人員も含まれているのか、総勢三十人はくだらない。

「あっ」

 クーパーがいた。何年前のものなのかわからないが、見た目はいまとそっくり同じだ。その左隣には、小柄でハンサムな青年がいる。とっさにパトリックの面影が重なって、エイダンは目を丸くした。

「もしかして、パトリックさんかな」

 見れば見るほどそうとしか思えなくなってきて、一人でにやにやしてしまった。若かりしパトリックのまわりには、同じく白いシャツ姿の給仕らしき若者が五人もいた。ほかの乗務員は知らない人ばかりだが、もしかしたら見落としているかもしれない。目を皿のようにして見入っていたときだ。

「君に余計な暇を与えてしまったようですな」

 クーパーが戻る。エイダンは飛びあがった。

「す、すみません。この箱が見えてしまって、それで」

「もとに戻したらレストランカーへいってください。ゾーイが今夜分の食料を貨物車両から運ぶので、その手伝いをお願いします」

 怒っている様子はなく淡々とした声色だからこそ、なおさら恐ろしい。

「すみませんでした……」

 エイダンは震えながら写真を丁寧に整えて箱に戻し、きっちりと蓋をしてからもとの場所に置いた。その暗がりで、満点の星々がいっそう輝く。手がけた人物は苦手だが、作品はやはり素晴らしい。本物を目にできた感激で、胸がいっぱいになってしまう。

「……素晴らしい芸術作品です」

 吐息交じりにつぶやいてしまい、はっとして唇を引き結ぶ。すると、クーパーが言った。

「大切なものをおさめておくためには、全財産も惜しくはない。いまではそれが、私の資産のすべてです」

 エイダンは驚き、クーパーを見た。椅子に座ってこちらに背中を向けた彼は、「早くいきなさい」と言って口を閉ざす。エイダンは一礼して車掌室をでた。

 あの箱は、クーパーのものだった。資産のすべてと言っていたから、かなり裕福だったらしい。車掌の給金で手に入れられるようなものではないから、親族の遺産かなにかを相続したのかもしれない。

 クーパーはあの長椅子で横になるとき、おそらく写真を見ているのだ。いちいち鍵をかけるのが面倒だから、きっとかかっていなかったのだろう。

 笑顔の素敵な車掌の姿が、エイダンの脳裏にすっかり焼きついていた。いい時代だったんだろうなと、しみじみする。パトリックの年齢からすれば、三十年ほど前のことかもしれない。それにしてはクーパーに変わりがなさすぎるが、年齢が外見にでない人はいるものだ。

 三十年前となれば、スミスはあの車掌を知らないはずだと、ふいに思う。だから、胸ポケットの花は偶然の一致かもしれない。そんなことを考えながら三号車に入ったとき、珍しく通路にでている女性にでくわした。落ち着かない様子で車窓を眺めており、エイダンに気づくや近づいてくる。

「……ちょっと、あなた」

 エイミーの母親だった。顔面を蒼白させながら周囲に目を配る。

「大変なんですの。助けてちょうだい」

 そうささやくとエイダンを個室に招き、ドアを閉めた。エイダンは驚く。エイミーの姿がどこにもないのだ。

「……起きたらエイミーがいなかったんですの。お願いですから探してちょうだい。でも、大騒ぎにはしないで。もしもエイミーがなにかしでかしたら、養育者だったわたくしや夫までが罪に問われるかもしれません。そんなこと、想像するだけでも恐ろしいことですわ」

 養育者? けげんに思うエイダンにかまわず、母親は小声でまくしたてた。

「あの子は養護院から引き取った子なんですの。わたくしや夫と同じように人間だと思っていたのに……。とにかく、もう面倒はみきれませんし関わりたくもありませんから、ミンタカ島の施設に送るために連れてきたんですの。それなのに、まさかこんなところで見失うなんて……!」

 終着駅のアースニアから船で五時間の距離、北西方向にその離島はある。グレートランドの領地ではあるが、古から棲まう民族の子孫らが統治しており、グレートランド政府とは一線を画していた。

「どうして、ミンタカ島の施設なんですか?」

「この土地で人間ではないとわかったら、すぐにB・Bに連れていかれるでしょう? でも、ミンタカ島なら受け入れてくれる文化があるそうですし、統治者の呪術を政府が恐れていてむやみなことはしないのだって、知人が教えてくれたんですの。ですから、せめてもの親心ですわ」

 お願いだから探してくれと、母親は懇願する。エイダンは落ち着くように母親をうながし、車掌室に戻ってクーパーに説明した。

「……それはまずいですな。君はゾーイに説明して協力をあおいでください。私はレニーを起こしてから機関助士らにも説明し、手分けをして探すように伝えます。列車を放っておくわけにはいきませんから、私と機関士、パトリックは残ります」

 わかりましたと告げたエイダンは、急いでレストランカーに向かう。途中、ギャレットの個室の前を通りすぎるときは、緊張して息を殺した。そうした自分の態度からして答えはもうでているように思えたが、いまはエイミーを見つけるのが先決だ。

 ゾーイに伝えると、それは大変だと血相を変える。

「わかったわ。いきましょう」

 エイダンは一日ぶりに外へでた。

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