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幻想鉄道奇譚 #3

 この広告は三か月も前のものだよ、君。

 ふっくらとした赤ら顔に髭をたくわえた〈K・S・R〉の人事担当、ベネット氏にそう言われたエイダンは、雑多な事務所でただうなずくしかなかった。

「……はい」

「どうして三か月前にきてくれなかったんだね?」

 書類に囲まれたデスクから、上目遣いでこちらを探る鼻眼鏡のベネット氏の顔がのぞく。若いころのサンタクロースみたいな人だと、エイダンは密かに思った。

「……そのときはその、募集している文言が目に入らなかったと言いますか……」

「三か月も前の広告の文言を頼って、直接訪問していただけたことには感謝するが、すでに乗務員は決まって募集も締め切られたとは考えなかったのかね?」

「随時募集とありましたし、それにあの、失礼ながら、もしや決まっていたのだとしても、この三か月でなにかしらの欠員があったのではないかと思いまして……」

 おずおずと答えるエイダンに向かって、そのとおりであるとでも言うかのように、ベネット氏は一瞬口角をあげた。が、すぐに険しい表情をつくると、エイダンの経歴書に視線を移す。

「ふうむ……それにしても、君。ロイヤル・アーツ・アカデミーでエーテル修復を学んだのなら、そういったことを活かせる職業に就いたほうがよくはないかね?」

 そのとおりです。でも、理由があるんです。心のなかで返答しながら、エイダンは頬を赤くした。

「……あの、よく見てください。その下に理由が」

 ああ、とベネット氏はうなった。

「中退したのかね」

 声にださないでください。

「ええ……まあ……」

「なぜだね」

 えっ、と息をのんだものの、エイダンは素直に答えた。

「卒業試験を……あの、パスできなかったのです」

「ほほう……なるほど。アカデミーでエーテル修復を専攻している学生の卒業試験は、舞台上で数分間の修復ショーを行うと聞いたことがある。つまり君は、そのショーに失敗したというわけかな?」

 なんとか忘れようとしている最中で、まだ忘れられていない傷を掘り返さないでいただきたいのに。

「……ええ、そういうことです」

 顔を真っ赤にしたエイダンは、こちらに聞き耳をたてているらしき秘書のデスクを横目で探りながら、ベネット氏に向かって姿勢を正した。やはりここでも半端者扱いを受けてしまうらしい。これ以上辱めを受けるのはやりきれない。求人しているところなら仕事はなんだっていいのだし、万が一と思ってきてみただけなのだ。雇ってもらえそうな様子じゃないし、さっさと次の青果荷積みの面接にいこう。椅子を引いていとまを告げようとした矢先、ベネット氏が言った。

「いままで働いていたボタン工場は、どうして辞めたんだね?」

「えっ?……と、その……機械についていけなかったのです」

 三か月前。さまざまな面接を受けていたエイダンには、大学を卒業できなかった〝半端者〟の肩書がついてまわった。最初にエーテル画家の使いっ走り、次に新聞社、印刷所、文具品を売り歩く販売員と、できるだけ学んだことを活かせそうな職業を探した。けれど、大学卒業者や経験者が受かっていき、中退したうえに要領の悪そうな印象を与えてしまうエイダンを気に入ってくれるところはなかった。

 自分の技能を活かすことはあきらめ、ほかにもたくさん受けたなかでやっと受かった仕事は、ベルトコンベアで流れてくる色とりどりのボタンから不良品を取り除くため、一日中選別するというものだった。集中力と体力のいる仕事に創作の喜びはなかったが、給金は悪くなかった。実際、はじめてもらった給金には感動を覚えたし、父親には手袋を、母親と姉にはショールを贈ることができた。

 けれどもその感動は長く続いてくれず、やがて機械の速さに選別が追いつかなくなっていく。班長に叱られることが増えていったあるとき、ふと思ってしまったのだ。

 このままここで機械みたいに働いて叱られて、僕は死んでいくんだ。

 そうはっきりと悟ったら、いまにも首をくくりたくなった。でも、自分の亡骸にすがりつく家族を想像して思いとどまり、ぐずぐずと思案した末に結局辞めてしまったのだ。

 こんな自分はわがままなのかもしれないと、エイダンは常に悩んでいた。給金を得るための仕事に創作の喜びなんて必要ないのに、まだエーテル修復師を目指していたころの特別感と自尊心が、頭のすみに巣くっているらしい。

 なにかに夢中になって、忘れたいのに。それを目指していたことすら、なにもかもすべて忘れてしまいたいのに。

 結局のところ、僕はだめな人間なんだ。いつだってその答えにいきついてしまう。

 僕はベルトコンベアの上から取り除かれた、不良品のボタンみたいなものなんだ。使いものにならず、捨てられて燃やされるだけのものたちの仲間――。

「やってみるかね」

 唐突なベネット氏の言葉に、エイダンは目を丸くしてしまった。

「えっ」

「〈エンチャンテッド・スターズ号〉に、ちょうど乗務員の空きがあってね。夜間走る列車だからなかなかに体力はいるが、それでもよければやってみるかね」

 チラシに気づいたのは、部屋を掃除していた今朝のことだ。捨てようとして目に入った広告の文言に気づき、焦って直接きてしまった。そんな行動とは裏腹に、心のどこかではどうせまただめだろうとあきらめていたのだ。それなのにまさか、夢みたいだ。

「はい! でも……僕には乗務員の経験がありません。それでも大丈夫なのですか」

「みんな最初はそうだよ。ちなみにだが、機関車は好きかね」

 ものすごく好きというわけではないが、とりたてて嫌いでもない。

「まあ、そうですね」

 うなずいてから一瞬押し黙ったベネット氏は、なぜか眼光をきらりと強くさせた。

「ちなみにだがね。我が社の鉄道の……〈エンチャンテッド・スターズ号〉について、なにか噂めいたことを耳にしたことはあるかね?」

「え? いえ……すみません。乗ったことのない鉄道ですし、機関車や列車についても詳しいというわけではないので……。広告にあった〝長距離鉄道〟とだけしか知りません」

 エイダンの返答に、ベネット氏はどこかほっとしたかのように目尻を下げた。

「かまわんよ、それでいい。では仕事内容についてだが、君には車掌の補佐をお願いしたい。ようするに、乗客のお世話だ」

「はい」

「北のさいはての港町、アースニアが終着駅だ。片道五日間、往復十日の乗務になる。〈エンチャンテッド・スターズ号〉は、時速三○キロで十時間走る。機関車と車両のメンテナンスのために日中は走らないから、その間はほかの車掌らと交代で休憩だ。往復十日を終えたら、二日の休み。そしてまた往復の旅がはじまる。そういうわけで、君自身の生活リズムも狂うことになる。もちろん、簡単な仕事じゃない。それでもよければ、やってみるかね」

 随時募集の意味が、なんとなくわかった気がした。それでもやってみる価値はありそうな気がしたし、なによりもやっと胸を張れる心持ちにもなった。

 父さん、母さん、姉さん。僕、蒸気機関車の乗務員をしているんだ。そんな手紙の書きだしは悪くない。むしろ、とてもいい感じじゃないか。

「僕でよければ、ぜひやってみたいです。よろしくお願いします」

 エイダンの言葉に、ベネット氏は満足そうにうなずいた。

「こちらこそ、よろしく頼むよ」

 明日、同じ時間にまたここへきて、制服を受け取とることになる。ベネット氏と握手を交わしたエイダンは、意気揚々と事務所をあとにした。

 今度こそ、大丈夫だ。今度こそ、きっと夢中になれる。

 そうだよ。今度こそ、忘れてしまえる。そう思うと、やっと少しだけ重荷をおろせた気がした。

 大きく息を吸い込んだエイダンは、軽やかな足取りで通りを渡った。

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