幻想鉄道奇譚 #7
困惑を押しやりながら、乗降口の階段をのぼる乗客に手を貸した。若い男女、老夫婦、家族連れ、一人客。年齢も性別もさまざまな人たちはみな、どこか緊張したような面持ちで乗りこんでくる。
ふたたび蒸気があがり、汽笛が鳴った。あと数分で出発となったとき、若い母親に手を引かれた七歳くらいの女の子が、ユニコーンのぬいぐるみを片手で抱きよせつつ構内を歩いてきた。
「ジェニーにちゃんと謝ってない。ジェニーはこのこと知らないから、手紙で謝らなきゃ。それとも、ママがジェニーに言ってくれた?」
「小さな声でおしゃべりして、エイミー」
「ねえ、ジェニーに言ってくれた?」
母親が周囲に目をくばった。
「エイミー、静かにして。騒がないの」
「騒いでないわ。ジェニーにこのこと言ってくれたのか訊いてるだけ。ママ、ジェニーに言ってくれたんでしょ?」
「うるさいわね。静かにしてって言ってるでしょ」
苛立った母親が、エイミーなる娘の手を強く引っ張る。エイミーの目に涙が浮かんだ。
「どうして怒るの。もうやだ! どこかにいくなら、ジェニーにちゃんと謝ってからにしたかったのに!」
「エイミー、黙りなさい」
「ジェニーとジェニーのユニコーンと、魔法の世界にいく約束してたのに! おまじないをとなえたら、私のユニコーンもジェニーのユニコーンも本物になって、魔法の世界に連れてってくれるんだって、ジェニーが言ってたのに! 私、その約束破っちゃったことになる!!」
あと数歩で乗降口の階段というところで、エイミーが歩みを止めてしまった。また汽笛が鳴る。困り果てた母親がその場にしゃがむと、エイミーはいまにも大声で泣きそうな表情になった。どうやらエイミーにとっては不本意な旅らしい。理由は知るよしもないが、楽しくはなさそうだ。かわいそうにとエイダンが同情した直後、外にでたスミスが親子のそばに近づき、腰をかがめた。
「こんばんは、車掌のスミスです。君の名前はエイミーでいいのかな?」
エイミーはけげんな顔でスミスを見上げ、こくんとうなずく。
「お話しが聞こえてしまったんだけれど、君がジェニーに手紙を送って、お返事を待つのはどうかな? 便箋と封筒をあげるから、列車のなかで書いたらいい。それができたら、僕がどこかの駅からだしてあげるよ」
エイミーが瞳を輝かせた。
「……本当? だしてくれる?」
「約束するよ」
スミスはにっこりと微笑んだ。あんな顔もできるのかと、エイダンは自分の目を疑る。
「……ありがとうございます」
安堵したように息をつく母親に、スミスは爽やかに答えた。
「どういたしまして」
便箋と封筒をあとで持っていってあげるというスミスの言葉に、エイミーはいますぐがいいと駄々をこねた。母親がたしなめると、またもや泣きそうな顔になる。スミスはエイミーと手をつなぎ、優しく言葉をかけ続けた。そうして列車に乗りこんだところで、親子を個室に案内するとエイダンに告げる。
「わかりました」
そう答えたエイダンの視界に、スミスの指をぎゅっと握っているエイミーの手が飛びこんだ。えっ、と息をのんだ直後、スミスが耳打ちした。
「約束を忘れるなよ。いいな」
そう言い残してから、親子とともに一号車の通路を歩き去った。出発を知らせる笛の音がこだまし、急ぐ乗客が次々に乗りこんでくる。エイダンはスミスに教えられたとおり、レストランカーや車内販売のアナウンスを忘れずにこなしつつ、インクと鉄の匂いをなんとか探ろうと健闘した。そうしている一方で頭のなかに浮かぶのは、エイミーの鋭い爪だった。エイミーの爪は感情の昂ぶりに比例するかのように、エイダンの視線の先でぐんぐんと伸び続けていたのだ。
あの子は、人狼だ。ということは、母親もその可能性が高い。
乗客にAがいたっておかしくはないのだが、普段接することのなかった存在が間近になって、妙に落ち着かない気持ちになる。それとともに、以前目にしたB・Bに連れられていく男性、すがりつく女性の姿を思い出し、妙に胸がざわめいた。なんだろう。なんだかいやな予感がする――。
「ちょっと、君。車掌さん?」
うしろから声をかけられて、エイダンは振り返った。帽子に片眼鏡、黒い外套を羽織った紳士が、肩で息をしながら乗降口に立っていた。両手にトランクを持っている。
「急いできたものでのどが乾いてしまった。すまないが私の部屋まで水を一杯、お願いしたいんだが」
クーパーよりも少し若そうな年齢の紳士は、柔和な微笑みを浮かべた。青い瞳もちゃんと笑っているように思える。ずっと気を張っていたせいで、思いがけない乗客のこんな笑顔にほっとしたエイダンは、やっと自然な笑みが顔に広がっていくのを感じた。
「承知いたしました。お部屋はどちらでしょうか」
男性は片方のトランクを床に置くと、外套の内ポケットからチケットをとりだした。番号は五号車の一人用個室をしめしている。
「水をすぐにお持ちします。そのお荷物も運びましょうか」
「いや、結構だよ。見た目ほど重くはないんでね。ありがとう」
車内販売とレストランカーのことを伝えると、男性は満足そうにうなずきながらトランクを持ち、エイダンの前を通りすぎた。その瞬間、レモングラスを連想させる上品な香水が、ほんのかすかに漂った。インクと鉄の匂いにはほど遠い。
出発を知らせる長い汽笛が響きわたる。外から乗降口をあがってきたクーパーは、最後の確認をして手をあげるとドアを閉じ、鍵をかけた。
「ミスタ・カミングス。レニーは?」
がたたんと列車が揺れる。いきさつを伝えると、クーパーはわかったとでも言うようにうなずいた。ゆっくりと列車は加速していき、夜の構内が車窓を過ぎていく。エイダンは五号車の紳士に水を渡す旨を伝え、クーパーに背を向けた。そうしながら、エイミーが人狼であると伝えるべきか思案した。きっとスミスが気づいているだろうから、クーパーの耳にも入るだろう。自分が首をつっこむ必要などない。でも、もしもスミスが気づいていなかったら?
「あの、クーパーさん」
振り返ったエイダンは彼に近づき、視線を落としながら声をひそめた。
「……スミスさんが連れていった女の子は、おそらくですが、あの……Aというか、人狼です。爪が、その……」
告げ口をしているようで気分はよくない。ゆっくりと目線をあげると、クーパーは別段驚いておらず、どこまでも冷静な眼差しでこちらを見つめていた。
「ミスタ・カミングス。そういった詮索は感心しませんな。もしもまた同じような詮索をしたとわかったら、この列車からおりてもらいます」
単調な声音の返答に、エイダンは戸惑った。
「せ、詮索した覚えはありません。僕はただ、お伝えしたほうがいいのではないかと思ったので……」
視線を険しくさせたクーパーが、自分以外の誰かに言ったかと訊いてくる。エイダンはもちろん否定した。
「では、それを貫いてください。このことはほかの誰にも話してはいけません。もちろん、同室のパトリックにも。わかりましたか」
クーパーの言うとおり、乗客の個人的なことを言いふらすのは下品な行為だ。言わなければよかったと、エイダンは深くうつむいた。
「……はい、わかりました。すみませんでした」
よかれと思って伝えたことが、まさかきつく注意されるほどの裏目にでてしまうなんて。クーパーとスミスの冷たい態度について、ゾーイはエイダンのせいではないと言ってくれたが、そうでもないような気がしてきた。なんでも自分を責めてしまうのは悪い癖だが、自信がないのだからしかたがない。
「チケットは確認済みなのですな?」
「あっ、はい」
「よろしい」
クーパーが紳士の部屋の鍵を渡した。そうしながら、落ち込んでいくエイダンに追い打ちをかける。
「水はコップに入れてお持ちするのではなく、水差しと一緒にお渡しするように。接客の基本ですよ、ミスタ・カミングス」
そんなことも知らないのかと言わんばかりな忠告を残すと、背中を向けて一号車を去った。
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