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アイドルVtuberに作家性は必要か/ホロライブ/にじさんじ/紫咲シオンちゃん

Vtuberコンテンツの魅力の本質ってセルフプロディース性だと思うんです。
黎明期Vtuberはキャラクターなので炎上とは無縁だとか云われていましたが業界が大きくなるにつれスキャンダルや問題点が増えてきて、結局芸能人やYouTuberと一緒じゃんより目立つためにリアルを切り売りするリアリティーに成り下がってんじゃん。
…みたいな批評は2020年の時点で既にあったしそういう部分含めての業界だが、それだけではない。業界が大きくなると良くも悪くも大衆化、均一化していき悪い面も目立つようになるのは芸能人もYouTuberも変わらないエンタメ界が抱える命題の話である。

Vtuberの大衆化によって明らかに良くなった部分もある。Vtuberバブルによってホロライブやにじさんじをはじめとした大箱や個人勢トップ層は金銭的な制約をあまり気にせず(勿論身銭を切ってだが)自由に創造性や作家性を発揮しやすい環境になった。
その中で最も顕著なのがホロライブの27億円スタジオであるし、業界の成長と共に3D演出の技術等もまだまだ進歩し続けている。ホロ所属のタレントが無料公開のYouTubeライブに3桁万円以上注ぎ込むことも珍しくない。
最近どこかで見た指摘では、トップ層Vtuberが個人でアニメーション制作会社にアニメMVなどの依頼を出来るようになったのは、保守的であった日本のアニメーション制作会社の常識を大きく変えつつあるという。
そういう常識に捉われずクリエイトしていく姿勢は、ニコニコやボカロ文化をバックボーンに持つVtuber業界の強みであるしそういう強みが生かされやすい時代になった。

Vtuberの楽曲制作において、トップコンポーザーを集められるのが当たり前の時代になっているが、これは近い業界である声優やYouTuberやストリーマーら他の個人事業主形態と比べても明らかにVtuber業界の強みであるし文化的な強さであると思う。
だからこそ2024年でもVtuber語りは依然面白いと思うし今回はホロライブ、にじさんじ中心に語っていきたいと思う。

月ノ美兎と宝鐘マリンのセルフプロデュース能力

自分は2020年からVを見始めた新参側であったが、おすすめのVtuberといえば当時から変わらず月ノ美兎と宝鐘マリンである。この二人のセルフプロデュース能力はやはり抜けていると思う。

宝鐘マリンのオリ曲はリリースされるたびに音楽ジャンルもテーマ性を一新しつつ自身のキャラクター性は一切失われないどころか増していくという離れ業をやっている。
そういう2018年系Vtuberの理想ムーブを続けつつTikTokで令和キッズへのバズりまでもフォローする完璧なセルフプロデュース。彼女にとって箱や人気が大きくなり予算規模が増えていくことは自身の理想を具現化しやすくなる手段に過ぎないのだろう。

2020年に7月出した『幻想郷ホロイズム』という同人アルバム。これ、自分はニコ厨で東方厨だったから理解(わかる)のだが、とんでもない創造性・作家性が詰まった作品である。ただVtuberと東方両方好きという一部界隈にしか伝わりにくかったこともあって、この作品の真価を理解できる人は作品の凄まじさに対して相対的に少なかったように思う。詳しくは解説記事をば。

そしてその後『Ahoy!!我ら宝鐘海賊団☆』を皮切りに次々とジャンルの違うオリジナル楽曲をバズらせ現在の活躍振りなのだが、これって幻想郷ホロイズムの真価に辿り着けない人にも幅広く宝鐘マリンの凄さが視認出来るようになっただけの話なんですよね。
幻想郷ホロイムズの時点で業界最高峰のエンターテイナーでありセルフプロデューサーであった。そんな老若男女問わず伝わるコンテンツを発信し続ける船長の魅力は、普段の配信力や企画力は勿論楽曲面だけ見ても十分に伝わるかと思いますので見たことない人は是非。

船長のオリ曲はキャラクター性が前面に押し出しつつ音楽ジャンル的な遊びを入れるのが基本形で、いわゆる歌詞のメッセージ性的な作家性という観点とは少し逸れるのだけど、それでも”私を選んで”というメッセージが宝鐘マリンの行動原理であるように思うし“私を選んで“はぺこマリ共通の行動原理であるように思うんよなと考えると更にエモみがある。そしてそんなメッセージが一番直接的に込められている『Unison』が推し曲ですね。

僕も早く女性声優と“共鳴“してぇ…

そしてそんな宝鐘マリンが尊敬してやまないのが月ノ美兎であり、
1stアルバム『月の兎はヴァーチュアルの夢をみる』はあまりにも作家性の詰まった名盤である。

確かにじさんじ一期生ライブでアイカツの「タルト・タタン」(作編曲:NARASAKI)を静凛と歌い選曲が月ノ美兎だと知った時その経緯を掘り下げにアーカイブを漁ったら、2018年春の雑談アーカイブで当時アイカツをプレイしていたご学友の付き添いで何回かプレイしたことがあって、その時好きだった楽曲がタルトタタンだったという話だった。

https://www.youtube.com/live/O__lKvdMtnE?si=40SEGKTD1njR2Imc&t=3506

欲しかった情報が入ったことに満足しながらそのまま雑談を垂れ流していたら期せずアニソン趣味の話題になり、月ノ美兎のメインのアニソンコンテンツがアイマスなのでイノタクの『Romantic Now』(を歌う黒沢ともよがヤバすぎる)の話やササキトモコさんが憧れなのでいつか曲を作って頂くのが夢だと話していてなんだがエモい気持ちになった。その後イノタクの『アンチグラビティ・ガール』やササキトモコの『それいけ学級委員長』はアルバムにも収録されている月ノ美兎の代表曲になった。

そんな月ノ美兎の『アンチグラビティ・ガール』は私が委員長を好きになったきっかけの曲でもある。この曲入りは「Yeaaaah!!Yeahhhh!!」なのでメインジャンルはロックンロールであるのだが(雑なジャンル分け)、ロックといえば反抗心だし、この曲のMVはVtuberの3D技術が洗練されてきた2020年に敢えて最後までLive2Dを貫いて表現していくという、Live2D技術でのし上ってきたいちから株式会社のアイコン的存在としての矜持も込めらているのだろう。


タイトルの略称がアングラという日本のネット文化の暗喩でもありあらゆる意味で素晴らしい作家性楽曲である。
20年の9月にSMASH The PAINT!! リリースDJパーティーというイベントがありそこで月ノ美兎とコンポーザーのイノタクが共演したのだが、その際月ノはこの曲に関して「わたくし自身を描いていると曲というより、わたくしがなりたいと思っているわたくしをイノタクさんが描いてくださった」みたいに率直に話していて、クリエイターとしての実力だけでなく人間性含めて好きなVtuberであり続けています。
次はそんなアングラが代表曲の元ネタであるアイドルVtuberの話。

星街すいせいはどうしてNo. 1アイドルVtuberになったか

『Stellar Stellar』のラスサビを聴いていてふと思ったんですよね、あっこのラスサビの流れ完全に『アンチグラビティ・ガール』だと。そしてよくよく聴き返してみればテーマ性含めて完全にアングラを踏襲しているヤツだコレって。
この曲のテーマが従来のアイドルに求められるようなヒロイニズムではなく救いに行くヒーローだというヒロイズムであり、新しい世界に君を連れて行くよというVtuber界・エンタメ界の未来まで背負っていくという共通のテーマ性を感じます。
自分は楽曲を音楽知識からコード進行など解説していく所謂楽曲派オタクではなく、楽曲のテーマを作家性から読み解くのが好きなタイプなのだが、こういう元ネタや作家性一致を発見した時に脳汁が噴き出るし、こういう作業が好きなオタクは批評が好きなんでしょうね。

まぁアングラ→ステラステラの繋がりなんてちょっと真剣に聴いているオタクなら誰でも気付くレベルなのでアレですが、確かこの元ネタが明言されたのって22年11月の【3DLIVE】遂に復帰‼重大告知ライブにて星街、月ノ、イノタクが共演した時ですよね。
星街自身の口から「アングラのような曲が歌いたくて作った」と語られていたはずです。


さて、ここで本稿の本題であるアイドルに作家性は必要かという話に移っていきます。

結論からいえばアイドルに作家性は必要ないし、むしろ作家性(メッセージ性)は持たずプロデューサーに従順に従っているアイドルの方が運営側からすれば都合が良かったりしますし、それはアイドル業界の本質的な問題でもあります。そういう話はWake Up, Girls!でヤマカンが描いてくれましたがここでは割愛します。

何はともあれ、アイドルに作家性は必要なファクターではない。ならば何が必要なのかというとそれは物語性なんですよね。

それを証明したのがAKB48と秋元康であり、総選挙という絶対的な軸を中心とした物語性の有用性を示したし、大きなアイドルグループに属するということ自体が物語性を語る上でとてつもない強みになる。
今の業界最高峰の人材と技術が揃っているホロライブはまさにその通りですよね。所属した時点で大きな物語軸の一員になれるのですから(オーディション倍率やコンプラ厳しいプレッシャーに晒され続けるといったデメリットも勿論あります)。

反面、アイドルグループのトップにいたメンバーがグループを卒業して一タレントになった瞬間世間の関心は魔法が解けた様に薄くなる、みたいな現象はしばしば見られます。あまり言いたくないけど大箱から個人勢に転生もこのパターンに近い。
これは物語性の喪失から生じるものだし、逆にテレビタレント適正が高く、新しく物語を紡いでいくようなタイプもいるので(あのちゃん、伸びたな〜、腕組み)そういうところもアイドルの面白さであります。

結構遠回りしましたが、星街すいせいがどうしてNo. 1アイドルVtuberになれたのかですけど、要するにアイドルVtuberの中でもっとも強い物語性を紡いできたからです。

古参Vtuberとして個人勢スタートで、19年ホロライブ内の音楽レーベルイノナカミュージックに加入、同12月ホロライブへ転籍。歌唱の実力がピカイチなのは勿論、雑談やゲームの実力も高くストリーマーとしても頭角を現し人気を伸ばしていく。そして21年9月満を持して発表された『Stellar Stellar』。からの業界初のTHE FIRST TAKE出演。ここまでの流れが完璧でした。

成長しつ続けてきたVtuber業界、磨き続けた星街のパフォーマンス力とホロライブの技術力。『Stellar Stellar』自体が持つ作家性・楽曲性。そこに至る個人勢から上り詰めた物語性。
それらすべてが集約された『Stellar Stellar』とTHE FIRST TAKEによって星街すいせいはNo. 1アイドルVtuberに至ったのだと思います。

まとめます。
アイドルに作家性は必ずしも必要ないのだが、作家性と物語性が高い次元で結びついた時の爆発的な輝きを知っているからこそ、僕は今もアイドルやVtuberが好きなんだろうなということを再認識することが出来ました。

最後は作家性の獲得についての話。

俺のシンデレラ/紫咲シオンちゃんの作家性の獲得

紫咲シオンちゃんといえばクソガキが代名詞で天真爛漫で幼さが残るイメージで語られるかもしれないが自分はあまりそういうイメージを抱いてなかった。
というのも自分がシオンちゃんを意識的に見るようになったのが21年の秋頃でそれは丁度休止期間明けの時期でした。その頃からのシオンちゃんは23時以降の深夜帯にしっとりとした配信をすることが多かった。勿論様式美としてのクソガキムーブはあるものの、雑談の話の組み立て方も上手だし自分の考えや社会への疑問に対して筋の通った意見を持っていて、大人びた雰囲気が目立つようになっていたし、根はクソ真面目で、仲間やファンのことを大切に思っているし、優しさゆえの心無い言葉への傷つきやすくとても繊細さ女の子だということが分かった。

確かに20年以前のシオンちゃんのアーカイブをみると彼女の自由奔放さが目立っておりクソガキイメージが定着したのも頷けるが、ホロライブが自由に好き勝手やっていたグレーな時代が終わり、大きな箱へと成長していく中で様々な良いことも悪いことも経験しただろうし、その過程で成長せざるを得ない部分も多かったと思う。その大きな転換点が21年の休止期間であったのだろうと思う。

シオンちゃんのオリ曲は現在3曲リリースされており(アカシア・シンドロームは名曲だが本人名義曲ではない)、
一曲目は自己紹介的ソングである『メイジ・オブ・ヴァイオレット』、神曲である。
Vtuberが一曲目に選びがちな自己紹介的ソングの王道を征き、コンポーザーはシオンちゃんも大好きなかいりきベアのアップテンポ曲で、メインモチーフである魔法やヴァイオレット要素をふんだんに盛り込められた神曲だ。


2曲目は『シャンデリア』、これも神曲である。
この曲が発表された後だと思うが、シオンちゃんはあまり新しい曲は聴かず同じ曲ばかり聴いてしまうと前置きしつつ、それでもAdoとkanariaだけは毎回新曲をチェックしていると語っていた。
そんな大好きなコンポーザーkanariaを迎え、シオンちゃんの大人びたエロかわいい歌声が映え楽曲に仕上がっている。シオンちゃんは大人っぽくエロく歌うのが好きという話は以前から度々話しているし、そういう大好きなイメージを体現した楽曲だといえる。
余談だが塩っ子の内輪ネタとしてシオンちゃんの妖艶な歌声が大好きというのがある。
この曲は2分を切るショート曲だが、TikTokでのバズも明確に意識して製作したという部分もあり、シオンちゃんの創造力が培われた2曲目となった。


と、ここでこれまでなんとなく使ってきた作家性という言葉について個人的な解釈を説明していく。
作家性でも創造性でも表現としてはなんでもいいのかもしれないが、作家性という言葉の中にもいくつかの要素に分けることが出来て、歌詞に明確なメッセージを重視したメッセージ性という要素。音楽ジャンルや世界観を重視したモチーフ性という要素に分けることが出来ると考えている。
そしてメッセージ性とモチーフ性が高次元に絡み合った作品のことを作家性が高いと、僕は呼んでいる。

Vtuber楽曲から挙げると前述の『アンチグラビティ・ガール』や『Stellar Stellar』。名取さな『パラレルサーチライト』やAZKi 『いのち』なんかは最たる例だろう。

シオンちゃんの話に戻る。『メイジ・オブ・ヴァイオレット』や『シャンデリア』は大好きなモチーフを膨らませて作ったモチーフ性が高い楽曲だと僕は考えている。
逆にありのままの自分をさらけ出しての自己表現みたいなものが苦手なシオンちゃんからメッセージ性の高い曲が生まれるイメージはなかったし、これからも好きなモチーフを歌い続けていくんだろうと思っていた。

そんな中また大きな転換点と思えることがあった。23年8月の【3DLIVE】紫咲シオン 5th Anniversary LIVEだ。
シオンちゃんは前述の通り意識して大人っぽく歌うのが好きだったり、キラキラしたアイドルソングを萌え萌えに歌うのが得意だが、確か自分の地声があまり好きでないみたいなことを言ってたことがあり大きなライブで地声で歌う機会ってほとんどなかったように思う。

そんな中5周年ライブで歌った、さユりの『ミカヅキ』はかなり地声で自分をさらけ出すように歌っている様に見えた。
おそらくシオンちゃんがホロライブに入る前、それこそ「おとぎ話の主人公いつも鏡の中で夢見てる」何物でもなかった時代から大切にしてきた曲なんだろう、というのが伝わってきてとても感動した。


そして満を持しての『シンデレラ・マジック』の披露。
あまりにも作家性の暴力過ぎて正直放心してしまった。
勿論今までのオリ曲と同じように好きなモチーフが盛り込まれている。コンポーザーはHoneyWorksだし、魔法も大切なモチーフである。
しかしシンデレラやマジックというモチーフはこの曲の場合、変身によって手に入れた理想の姿、魔法なのでいつか解けてしまうもの、というアイドルVtuberのメタ構造に正面から立ち向かうという、とんでもないことをやっている。そしてメタ構造を認めた上で、周りの声に流されないで、「信じて私だけを見て」といえる勇気。5周年というVtuber界でも古参ポジションにいながら、ここから「反撃開始のドレスを着て魔法解ける前に」と立ち向かっていく決意。
作家性云々で語るつもりがなかった好きな子に、これ以上ない強烈な作家性の暴力を食らって半年前からノックアウトしているのが今の僕というわけ。


最後に繰り返しますがアイドルに作家性は必要なわけではない。優秀なプロデューサーに強みを生かすプロデュースを受けることはとても正しい。
しかしそういう意味では良くも悪くも自由度が高く、ゲーム配信や歌みた諸々活動の多くがセルフプロディースに委ねられるVtuber業界において、個々がどんな選択をしていくのか見ていくのはまだまだ面白いと思うし、活動を頑張っていく中で様々な影響を受けて作家性が育まれ、より強い物語が生まれていく。

そういう物語の美しさに魅せられて未だにアイドルが好きでVtuberが好きなんかなぁというのをhololive SUPER EXPOの前に一度まとめて置きたくてここまで書きました。

それではhololive SUPER EXPO 2024 & hololive 5th fes.楽しんでいきましょう。

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