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「 夢の続きが始まりました【第八十一章 (母さん) 】」

2023/4/29
石川善一52才です。

私は【母さん】と呼びたかった。

本人に向かって1度も呼んだ事がないのだ。

母は、息子に1度も【母さん】と呼んでもらえないまま、この世を去った。

物心ついた時、私は母を【ママ】と呼んでいた。
母も、
「ママがやってあげるね」
「ママにも見せて」…のように、
自分の事を【ママ】と言っていた。

幼稚園 …………「ママー (^o^) 」
1年生 …………「ママー (^o^) 」
2年生 …………「ママー (^o^) 」

私は小学3年生で初恋をした。

授業参観に来た母は、帰り際に「ママ先に帰ってるね」
…私は凄く嫌だったのだ。
好きな子がいる前で、石川君はママって呼んでるんだね…と
知られるのが恥ずかしかったのだ。
もしかして、赤ちゃんみたいって思われちゃったかな…?
顔を真っ赤にして怒っている私の雰囲気に、母は気付いたのだろうか…?
「お母さん買い物してから帰るから、カギで入っててね (^o^) 」…
母が自分の事を【ママ】から【お母さん】に
切り替えたその瞬間を覚えている。

それから私は母を【ママ】と呼ばなくなった。
【母さん】に切り替えたかったのだ。
でも…タイミングがつかめず…。

愚かな【照れくさい】が発動してしまった私は、その後、
「ねえねえ」、「あのさぁ」、「ちょっとちょっと~」…
母を呼ぶ時はそんな感じになってしまった。
母は何年も…ずっと何も言わなかった。

20才の時、母は、
「ケイ君(いとこのお兄ちゃん)、最近「おふくろ」って呼ぶようになったんだって」
「あんたも、ねえねえとかじゃなくて「おふくろ」にすれば?(^o^) 」
…「うっせーよ」…。
呼び方についての話は、後にも先にもその1回だけだった。

私が33才の時、母は天国にいってしまった。
1度も息子に【母さん】と呼んでもらえないまま…。

母は発作の後、脳死(植物状態)になり、その状態で2週間生きた。
何であの時【おふくろ】だったのか?…
【母さん】だったら良かったのに…。
いや、母のせいではない。
自分の【照れくさい】がいけなかったのだ。
私は意識のない母の手を握って初めて【母さん】と呼んだ。
植物なんかじゃない…生きてる…人間だよ。
…何十年ぶりに握った母の手のぬくもり。
…………………
今私は、毎朝お線香を焚くとき、
【母さんおはよう】と言っている。
母親に対する【照れくさい】は、私にとって邪魔でしかなかった。

今の若い世代では、
成人しても人目を気にせず【ママ】と呼んでいる青年がいる。
彼らが正解なのだ。
皆さんには、母親に対する【照れくさい】を捨てて、
たくさんの親孝行をしてほしい。

15秒バージョンオリジナル曲【母よ】↓

*【母よ】フルバージョンはこちら↓

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