私と音楽
みなさんこんにちわ。まこです。
本日、12月6日は〝音の日〟だそうです。音の日ということで「私と音楽」について書こうかな。((初めて書くので文章下手ですが読んでいただけると幸いでございます。
私の1番近くにある〝音〟は部活動でした。中学時代は硬式テニス部。ばりばり走って打ってました……シタタタッ ヘ(*¨)ノ
私は小さい頃から音楽が大好きだったので高校生では何かしら音楽に関われる部活に入ろうと決めていました。そこで出会ったのが「音楽部」
主に合唱ですが、楽器を使ったり、踊ったり?!劇だったり、いろんなジャンルに挑戦する部活でした。練習はハードでキツい日々もありましたが、この部活ではたくさんの事を学べました。
高校1年生。1年目から全国大会を経験させてくれました。先輩の大きな力にとても圧倒されました。全国大会を1年生の時から経験することができ、とてもいい思い出、経験になりました。
高校2年生。2年連続の全国大会出場。私の部活は歴史が長くこれまでも全国大会には何度か出場していたのですが1番いい成績が2年連続の全国大会出場でした。この時、全国大会が決まった瞬間、一気にプレッシャーという圧がかかってきました。それは、私たち(このときは高校2年生)が、3年連続という新しい歴史を刻まなければならない。来年も、必ず全国大会出場して、〝初の3年連続全国大会出場〟の歴史を刻んでやる。と、2年生で誓いました。
私が高校1年生の時、先輩が見せてくれたあの全国大会のステージは今でも忘れられないほど目に焼き付いています。私は、これから入部してくる1年生、そして後輩にその景色を見て欲しい。その想いが日に日に強くなり、私が先頭に立って全国大会のステージに立たせよう。自分の中で何かが動きました。
高校3年生。自ら部長に立候補しました。みんなが、賛成してくれて部長に任命。と、ともに〝責任〟という荷物が肩に乗っかってきました。私が中心となり先頭となり、時には後ろからみんなの背中を押す。初めは全く自信がなくて、悩む日々でした。でも、3年間一緒に頑張ってきてくれた仲間(同級生)たちは、私に寄り添って部活を盛り上げてくれました。みんなの言葉や行動が励みになり、自信にもなりました。そして、部長に任命され数ヶ月。毎年冬に行われる アンサンブルコンテストで、3年生女声グループが全国大会出場を決めました。いいスタートダッシュをきれた。これは、来年のコンクールへの流れがきている。これまで以上の自信に燃えはじめました。
世代交代をしてからしばらくたち慣れてきた頃、「新型コロナウイルス」の増加が世界中で騒がれ始めました。アンサンブルコンテストの全国大会は福島。全国大会のメンバーと行けなくなるのではないか、中止なのではないかと不安を出してしまいました。全日本合唱連盟ホームページを見た時は頭が真っ白。アンサンブルコンテスト全国大会の〝中止〟が決まりました。私たちのいいスタートダッシュであったものが一瞬で消された。
いやでも、こんなことで部長が落ち込んでいてどうするんだよ!!何度も自分にいいきかせて、みんなを励ます側に回りました。今だから言えるけど正直立ち直りには時間がかかったかな…^^;まだ、認められないし。
次は、コンクールだよ。夏のコンクール!!音楽部が毎年出場するコンクール。2つある。ご存知の方もいるかもしれない「NHK全国学校音楽コンクール」通称 Nコン。そして、「全日本合唱コンクール」 (←2年連続全国大会出場)
私たちはまだ、Nコンの全国大会には出場した事がなかった。だから今年は、Nコンも全日本もダブル全国大会!!大きな目標を立てて全員でまた走りだしました。
しかし、コロナは日に日に増加していきました。学校の休校。そして私たち合唱人は 世間の目からすこし冷たい目で見られていました。ニュースにもなっていました。「歌うな」「マスクしてでも意味無い。」「合唱がクラスターだ」しばらく大好きな部活、合唱のできない日々が続きました。それでも部員たちは楽譜を読み込んでいた。今できる最大のことをしてくれていました。
やっと学校が再開し、部活も認められました。しかし、マスク着用、窓の解放、空気の入れ替え、距離を保つ。その他にも沢山の条件付きでの部活でした。私たち合唱人はブレス(息継ぎ)を使うため、マスクはとても苦しかった。思いっきり息が吸えない=声が出せない。そして、窓を開けながら放課後部活をしていたら、近所からの「うるさい」「なんで歌っている」というクレーム。それでも私たちは大好きな合唱をめげずに続けました。きっとこの頃1番みんな苦しかったんだろうな。私は部長として、いい言葉を励ましをしてあげたのだろうか。これは今でも後悔しています。
「Nコン中止」「全日本合唱コンクール中止」「イベント中止」「県大会中止」「音楽祭中止」「延期」「中止」「中止」…。
何度きけばいいの!!!!!「中止」と「延期」何度聞いたことか。もう心が苦しくて仕方がなかった。最後の年だよ?!最後の部活なのになんで?!なんであたし達だけ?!?!なんで?!怒りと不安と、悔しさと、もうなんかわかんない!わけわかんなくて、感情がぐちゃぐちゃになった。でも私は絶対に、部員の前では涙を見せないと決めていた。その涙は全国大会にとっておいたから。全国大会で全国のトップになって、ステージの上でメダルとともに涙も見せつけてやろうと。しかし、私が一年前に立てた目標を果たすことは出来なかった。全てのコンクール、イベントが中止になった。3年生はみんな泣いた。私はみんなを笑わせた。本当は泣きたくてたまらなかったぜ〜(o´罒`o) でも、部長がそんなにクヨクヨしていてどうする。部活の雰囲気、暗くするのが嫌だった。だから、私は私なりの変なノリで?部活の雰囲気を明るくすることに必死だった。泣く時はお風呂でシャワーとシャンプーともに流した^^*誰にもバレないからね( ≖ᴗ≖)ニヤッ…
唯一、私たちの救い。それは「定期演奏会」例年なら6月に行っているがコロナの影響で7月に延期、しかし鹿児島でクラスターが発生。8月末に延期になった。保護者のみ。という小規模な定期演奏会だが私たちはその定期演奏会に命をかけた。最初で最後のステージだから。
無事、定期演奏会は成功に終わった。そして、アンコールでは「雨ニモマケズ」を歌った。涙を見せてしまった、、。私たちは今年「ウイルスニモマケズ」よく頑張ってきたと思う。その日までの苦しかった思いが込み上げてしまった。でも、3年生とこう話した。
「すんごい年だったけど、いい意味で思い出のある忘れられない年になったねと、語り合えるようになろう。」
今年はある意味いい年だったのかもしれない。((いや、そう捉えるしかないの。ポジティブに捉えるとそれしかないんだ…。
たくさんのことを学べた。普段当たり前だと思っていた事は当たり前ではない。
当たり前が幸せと知った
当たり前の日々に感謝した。そしてこれからも感謝しよう。一日一日が、かけがえのないものだ。
定期演奏会では「3年生ステージ」というものがある。3曲 3年生で選曲し、3年生だけで送るステージ。
「笑ってたいんだ」「ここにしかないものがある」
そして、3年生だけで作成した
「謳歌」
この歌にはたくさんの意味が込められている。今年の悔しいみんなの辛かった思いを明るくポジティブに捉え、あえて、ポップな私たちらしい明るいマーチにした。
さぁ笑おう
辛い時こそ
思いが実るその日まで
笑って歌おう
多くのことを奪われた
それでも僕ら信じて歌う
この日々はきっと支えになる
ああ歌おう僕らにしか
作れないハーモニー
ああ届けよう思い込めて
この歌を
私が好きな歌詞のフレーズ。どうです?前向きでしょ?(*˘︶˘*).。。1度だけだったけど、この曲を3年生で一緒に同じステージで歌えたことが一番の幸せでした。
そして、これまで支えてくれた3年生(同級生) そして、最後までついてきてくれた後輩。全ての人に感謝。約3年間「音楽部」に所属してきてよかったと心の底から思った。人と人はこんなにも〝音〟で繋がれるんだと。新しいコミュニケーションだと私は考えている。
長くなってしまった…。マジでここまで読んでくれたんですか、、??ありがとうございます。みなさんにもたくさん支えられているんです。感謝しています。これが、
私と音楽
音楽は死ぬまで続けていく。
2020/12/06 うちで踊るまこ
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