【踊り】を暮らしへ還す作業
そこからは舞台で踊るのが楽しくて、幸せで、本当にいそがしかった。
18歳でスタジオのインストラクターになり、いわゆるダンスを教える事をお仕事にしたのだ。
生徒の人達からはくま先生と呼ばれ、
レッスンで踊ればキラキラの視線を向けられ、舞台で踊れば拍手をもらった。
そんな事が続くのだと思っていた。
もちろん続ける事も可能だろうし、
今も続いているといえば続いている。
僕の事を「踊って飯を食ってる人」と
認識している人も多いし、おそらくその部類に入る。
始めて舞台に立ったあの日のから28年が経ち、どうやら僕の踊りはずっと何処かに閉じ込められていたように思うのだ。
きっともっと前から感じていのだが、なかなか長く普通だと思っていた事に疑問を持って立ち止まるのは勇気のいることだ。
閉じ込められていたというと、責任を誰かに追わせているようなので、閉じこもっていたという事になるだろう。
作品を作ったら舞台に上げて、お客様を呼ぼう。ダンススタジオでリハーサルをして舞台で踊ろう。面白い公演がある劇場へ行こう。
ここにずっと居た気がするし、居たいと願ったし、今ももちろん愛している。
ただ息苦しさもある。
呼吸がしたいし、自分の「踊り」にもっと世間を感じさせてあげたい。
そんな事を思った。
僕の踊りはおそらくテレビの前でま始まったし、もっと昔は雨が降らなくて困った人たちが空に向って祈る事で踊りが生まれたかもしれない。
その度にその場所の温度や濃度が変化いていたのだと思うと、本当に愛おしい作業である。
誰もの身体がその作業をするのは確かで、
母親が父親と喧嘩をして足早に家を出ていく所作は、一気に場の緊張を呼ぶし、膝の痛い祖母が孫の僕を見ると、スッと立ち上がって両腕を広げて迎えてくれるあの所作は、僕をどこまでも幸せにする踊りだった。
【踊り】を暮しに還そう。
それは僕一人ではなく、多くの素晴らしくも引きこもった【踊り】を暮しにばら撒きたい。きっとそれは大きな呼吸のようであって
、それぞれの大切な踊りが世間に触れて劇場に戻る。
そんな呼吸を続けたら、いつしか劇場にはいったことのない誰かが巻き込まれ、外に出たことのなかった踊りが街に溢れるだろう。
そんな作業を起こしたい。
ぼくは多くの素敵な【踊る】を知っている。
これからはそうやって生きていこう。
【踊り】を暮しに還す事を人を巻き込みやっていこう。
そういう人間に私はなりたい。
なぜか、宮沢賢治で終わる今日。
ダンス劇作家/熊谷拓明
来年からはこんなこと始めます。
□odoru toko