見出し画像

するするエッセイ【踊ってくらす】#16

さぶすくマガジン「くまのつべこべ」するするエッセイです。毎月15日と30日に更新されるこちらのエッセイ。
どんな事を書くのか…僕自身も楽しみにしておりますので、どうぞ宜しくお願いします。

今日は自分を何かのカテゴリーにはめて安心する事は、不安を招く。
というようなお話です。

何のお仕事してるんですか?とか、何所で踊ってるんですか?
と聞かれることに、いつも違和感を覚えていましたが、そういえば最近聞かれないなと思い、その違和感について考えてみたんです。

何のお仕事してるんですか?と聞かれることは少し理解できるんですね。
踊っているからといってそれが職業とは限らないし、その人のもっとパーソナルなグループをはっきりさせて、安心する情報として整理させたいのでしょう。例えば【普段は営業をやりながら、レッスンに通い、なにかイベントがあると踊っている人】という情報を整理したがるんですよね僕たちって。

何所で踊っているんですか?に関しては今もよくわからないのですが、そんな質問をよくされていましたね。
渋谷で踊ってます。とか、中野で踊ってます。札幌で踊ってます。
とかが答えなんでしょうか?
情報として知りたいのだとしても、札幌で踊ってますって答えた人が、今目の前で渋谷まで来て踊っていたら、それは渋谷で踊っているのに「札幌で踊っている僕」という認識でいろって事なんでしょうか。
さらには、何所に行ったらあなたの踊りが観られますか?とか聞かれるともう意味不明ですよ。
だって今あなた僕の踊り観ましたよね?なんならもう一度今踊りましょうか?
これは目の前の事を見ているようで、実は自分にインプットする情報としてさっさと処理したい、という意識がそうさせているんでしょう。
これは今を楽しめていない気の毒な状況です。しかし、人に対してだけでなく自分にもその目を向けている人が多いなと感じることがあるんです。

今日、自分が何をやったかより、世間的にどんなグループに属していて、どのくらいのポジションにいて、どのように思われているのかを、外からの情報や、外の反応を見て、感じて、やっと自分という形や手触りを知って安心する。

でもこれ凄く勿体ない。

だって外からの自分を知ったところで、外から自分を楽しめる日なんて幽体離脱でもしない限り来ないですから。
だったら常に内側から自分を楽しんだ方がいい。
昨年は大変な一年を過ごされた方が多いと思いますが、楽しい一日だってあったでしょう?
大変だった。という記憶を大きく残してしまって、その中でも楽しかった一日の事を忘れるのって、人生を豊かにする上ではナンセンスです。

ここから先は

905字
ダンス劇とは、日常に溢れるダンスのような瞬間や、演劇のような時間を切り取り、身の回りの【生きる】を楽しむ行為です。 ダンス劇作家として公演を続ける熊谷が、舞台から飛び出し、楽しむを皆様と共有するマガジンです。

ダンス劇作家「熊谷拓明」が、踊り続ける中で身に着けた【生きる】を楽しむ術を、■エッセイ■ダンス朗読劇■オリジナルダンス劇映画■ラジオ■対談…

よろしければ願い致します。頂いたサポートは楽しい【ODORU】企画のの運営費として大切に使わせて頂きます!