晴れ時々センチメンタル
年賀状に、子供の結婚式の写真が使われるようになってきた。
一番美しい年ごろの、一番光を放っている時の写真はまぶしい。
その横で、幸せの絶頂を味わう友人夫婦の顔も輝いている。
このことになんら羨ましさはない。
私達夫婦には子供がいない。
出来なかった。
子育てに、時間とお金を使わなかった分、
二人分の旅行費で、好きなところを旅し、
自分たちのためにお金と時間を使った。
教育問題、ママ友問題に悩まされることはなかった分、
子供の成長の喜びや、子供たちの優しい心を味わうことはなかった。
ママの気持ちはわからないけれど、
子供の気持ちは体験してきたから想像できる。
命に代えても守る存在はないかもしれなけど(夫、ごめん)
その分、気楽だ。
友達の子供や、姪や甥が成長し、
守る存在から、守られる存在に移行している中で、
子供たちの優しさや親を思う気持ちを見聞きする。
なんにもしていないのに、それを欲しがっているわけではない。
子供たちとの愛のある生活、関係があってのそれだから。
姪から、姪の親たちの銀婚式祝のサプライズを手伝ってほしいと言われ、
喜んで手伝った。
自分たちの銀婚式の祝宴は自分達だけでした。
御祝は頂いたけれど、サプライズなるものはない(笑)
そこ?(笑)
この話はさておき、
ここは寂しがってはいけないところだろうか。
姪や甥が結婚し、相手と、相手の家族という親戚が増えていく。
私たちは、親や伯父伯母など減る一方だ。
「子供はまだか?」と言われることがすごく嫌な時期があった。
なのに、姪や甥には、口に出さずとも「子供早く出来るといいな」と思う。小さな命に会いたいなと思う。
でも、姪孫の入園式や卒園式、運動会には、行けない。
行ける?行っていい?・・・このご時世人数制限あるよね。
お宮参りも行きたい。七五三だって行きたい。
けど、なぜ?ってなるよね、きっと。
そのあとの両家のお食事などには、参加できない(笑) よね。
そこ?
友達の子供が成長し、手が離れ、友達に時間が出来て、
再び交流が始まったけれど、
これからは、「孫を見てくれって言われて」ってなり
再び忙しくなってくるらしい。
世の中には、子供のいない夫婦、生涯独身の人も大勢いる。
自分の人生を謳歌すればよいのだし、
私も今までそうしてきた。
けど、たまに、羨ましいなって思うのは、許して。
姪たちには、私の終末にお見舞いとか来なくていいと言ってある。
たぶん、あとの始末も、後見人や弁護士に頼むことになるだろうし。
たとえば施設に入って、誰も訪ねてきてくれなくても、
私は平気だ。
ひとり遊びの出来る質だし、それなりの趣味もある。
そういう時はいいんだ。
他人の世話になることは厭わないし。
むしろその方が気楽だとさえ思う。
でも、たまに、無性に焦がれる時があるんだ。
子供とその先の繋がりに。
それを自分で許そう。
いいよね。無理矢理奪うわけではなく、
思うだけだから。
私はきっと幸せに育ってきたんだと思う。
幸せな家庭に育ってきたから、それを欲しいと思うんだ。
減ってくる家族が寂しくてならないんだろうな。
子孫を残せなくても、人生に意味はある。
誰彼かに関わって、
良きにつけ悪しきにつけなんらかの影響を与え、
仕事で誰かの役に立ち、
消費で誰かの役に立ち生きている。
たまに、センチメンタルになっても許そう。
私は、今のこのままで十分だ。
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