久々投稿 #病は突然に1

どうも、お久しぶりです。あたるです。
前回の投稿が2月末なので9ヶ月経とうとしていることに驚きながらこの記事を書いてます。しかもラジオと銘打ってるのに今回は(というかしばらく)テキストのみの投稿になります。
いろいろと3人のタイミングが合わない時期が続き、そのままズルズルと時間が経ってしまったことも原因の一つなのですが最大の理由は僕が入院するという事態になったことです。
というか2022年11月26日時点でまだ入院中です。


昨年8月末に6年ほど勤めていた会社を退職しぷらぷらしたあと、そろそろ転職先を探さねばなと動き出した2月。
面白そうと思った会社がいくつかあり書類選考や面接をこなしていた3月から5月。
何社かほぼ内定が決まり、そのうち第一希望の一社から最終面接は一緒に食事でもしながらやりましょう、とお誘い頂いたのが6月。順調に進んでいた。
だが、ここで問題が発生する。
微熱が下がらない日々が続く
このご時世、当然コロナを疑った。
とりあえずコロナ対応してくれる医者を探し、近所の町医者的なところがあったのでそこに向かった。
診察時に症状を説明したのだが、うちではみれないからもっと大きい病院に行ってください、との回答が返ってきた。
え、コロナじゃないの?と思った。
そして医者から続けて、救急車呼びますか?自分で病院いきますか?と問われた。PCR検査とかするもんだと思っていたから、それすらしないということは目に見えて異変があったんだろう。
自覚症状があるのは微熱しかなかったけど、咳が出ないこともあるようだし時期的にも第7波がはじまりかけていたタイミングでコロナ以外考えていなかったから動揺した。
最終面接もあるしすぐ済ませられるならその方がいいと思い救急車を呼んでもらった。
5分ほど救急車に揺られ比較的大きな病院に到着し、問診が始まったのだけどここでも動揺する言葉が医者から放たれた。
緊急入院です
帰宅して入院の準備をすることも許されなかった。すぐに病室に案内され、入院着に着替えてベッドに入る。。。

ここで僕の記憶は途切れる。その日僕は意識を失った。
というか思い出しながら書いているけどこの時の記憶も曖昧だ。最初に向かった町医者の場所も名前も覚えていないし診察時の状況も覚えてない。
意識を取り戻した時、すでに7月に入っていた。入院したのは6月13日だったので3週間近く経過していた。
身体の状態は声が出なくなっており下半身は動かなくなっていた。身体中に器具やらチューブやらが繋がっていた。
結核性髄膜脳炎。僕が患った病気の名前だ。脳は頭蓋骨の中にただあるわけじゃない。髄液という液体の中に浮かんでいる。その髄液の中に結核菌が入り込み、脳の様々な機能に障害を与える病気らしい。罹患する人によって症状は違えど、頭痛、易刺激性、嘔吐、発熱、項部硬直、痙攣、局所神経症状、意識障害、嗜眠などの症状が出る。
そして後遺症が残る可能性が高い。僕の場合、下半身が動かないのがそれに当たる。声が出ないのは誤嚥性肺炎を併発していてその治療のため気管切開したためだった。この辺りの症状はまたいずれ書こうと思う。
はじめての、そして長い入院生活が突然にはじまった。


とまぁこんな感じの経緯です。
現在進行形で大変ですが、病状事態は落ち着いており命に別状はないです。今は動かなくなった下半身を回復させるべくリハビリを行ってる最中で、いつまでかかるかわからない状況ですが年越しは確実に病院で過ごすでしょう。
今まで気の抜けたラジオやってたのになかなかヘビーな出来事がおこってブログの雰囲気変わっちゃったけど、あまり重くならないように近況やら入院中の出来事を書いていけたらと思います。
それでは。