CORSAGE DEVANT
そのお店の名前を、今でもふと思い出す。
インターネットの検索窓に打ち込んでみるが、ヒットするものはない。
それならば、僕が記録するしかないだろう。
金沢で大学生をしていた1990年代末の、ある日のこと。購読していたファッション雑誌『FINEBOYS』をめくっていると、あまりにもカッコいいブーツが目に飛び込んできた。
「MIHARAYASUHIRO」
聞いたことがないデザイナーだ。
当時の僕は、ラフシモンズのスクールパンクコレクションに感銘を受けたアントワープ主義者、わかりやすい舶来ブランド信奉者であり、日本人デザイナーにはまったく関心がなかった。
しかし、その日から僕は寝ても覚めてもこのブーツのことしか考えられなくなった。来る日も来る日も夢遊病のように金沢市内の見知った洋服屋を探し回ったが、どうにも見つからない。FINEBOYSを開きブーツの写真を見つめる日々が続く。デザイナーズブランドのアイテムは生産点数が多くないため、人気があるものはすぐなくなってしまう。しかも手近には見当たらないアイテムだ。どうしたものか。
困り果てて馴染みのショップのお兄さんにそのことを打ち明けたところ、「竪町パーキングの裏にある『コサージュ』ってお店でミハラ扱ってるみたいっすよ」と教えてくれた。もう日も暮れていた。当時の金沢の夜は早く、7時で閉まってしまう店も多い。急がねば。僕はその足で、全身に期待を充填させ、知られざるそのお店に向かった。
細い通りの脇、こんなところに洋服屋があったのかという場所に、果たしてそのお店はあった。
「CORSAGE DEVANT」
もう夜だったということもあるが、地方のセレクトショップ特有の、薄暗い、排他的な雰囲気がある。
う、入りづらい…。しかし、ゆかねばならぬ、男なら。ええい、ままよ。
これまた地方のセレクトショップ特有の重厚なドアを開けて入ってみると、広さは10畳くらいだろうか、店内にはほんのりした明かりが灯っている。商品の点数はあまり多くはない。レディスとメンズが6:4くらいだろうか。
「すいません、ここってミハラヤスヒロ扱ってますか!?」
対応してくれたお姉さんに、僕は性急に質問した。そして、自分はかくかくしかじかで困っておるのです、と説明すると、件のFINEBOYSを取り出してどこかに電話で確認し、取り寄せてくれるという。狂喜乱舞。
かくして手に入れた念願のブーツ。履いた後は必ずクリーナーで汚れを落とし、ミンクオイルを塗っていた。僕の人生で、後にも先にもこれほど大事にした靴はないだろう。
対応してくれたお姉さんはTさん(仮)という名前で、安くないデザイナーズブランドを売っているとは思えないほど、気さくで丁寧な人だった。
半月ほどが経ち。
というわけで、見事に常連になった僕は、足繁くこのお店に通うことになった。何故かいつ行っても店員はTさん一人しかいない。すき家のワンオペが問題になる遥か前の時代のことである。女性に年齢は聞かない主義なので正確にはわからないが、当時26歳くらいだったのではないかと思う。何で「26」とか刻みが細かいのか、と問われれば、もしかしたら聞いたのかもしれない。
そして、このお店はいつ行っても不安になるほどお客さんがいなかったので、僕はいつもTさんと長いおしゃべりをしながら、店内に並ぶ洋服を見ていた。メンズよりもロマンティックなレディスの洋服を見るのも楽しくて、ついつい長居をしてしまうのだった。
Tさんはお店で扱っている個性の強い洋服をカジュアルに着こなしていた。まるでパン屋の店員さんのような素朴でお茶目な人柄だったので、見る者にそう感じさせたのかもしれない。僕が当時流行っていたサンローランジーンズのデニムジャケット(よその店で買った)を着ていたら、ボタンに刻まれた「YSL」の文字を見つけたTさんが「イブサンロウラーン♪」と歌った声が、音階つきで、今でも耳に残っている。
さて、馴染みのお兄さんが言っていた「コサージュ」という名前は間違っていて、このお店の名前「CORSAGE DEVANT」は「コルサジュ・ドゥボン」と読む。フランス語で「前身頃」という意味。この通称「コルサ」は、福井県に本社がある「リミューズ」という会社の系列店だった。どういう仕組みなのかは今でもわからないが、同じように洋服の部位を取って名付られたセレクトショップが他の県にもあるとのことだった。
Tさんの肩書きは店長だったと思う。大学生らしく将来の進路に悩んでいた僕が、Tさんに、「どうしてこの世界に入ったんですか?」と尋ねたら「デューダを見て応募したんです」と笑っていた。リミューズグループ、ブラック企業だったのかもしれない。
上に述べた通り、コルサにはTさん一人しか店員がいないのが常だったが、たまにTさんに加えて、何となくたどたどしい感じの女性店員さんがいることもあった。ただ、この人たちはいつも音速でいなくなった。リミューズグループ、ブラック企業だったのかもしれない。
そんなある日、コルサに新しい店員さんが登場する。
その名をKさん(仮)という。Kさんはこれまで逐次投入されてきた謎の女性たちとは明らかにレベルが違い、ブランドやデザイナーに関する知識、ファッション業界に関する知識は言うに及ばず、洋服や靴のケア方法など被服に関する知識も圧倒的な人だった。
スタイルは、時に妖艶な魔女のようにドレスアップし、時に流浪の旅人のようにドレスダウンする、変幻自在の人。
それでいて人となりは至って陽気な、ケレン味のないチャキチャキお姐さんで、Tさんとのコンビネーションも絶妙だった。こちらも正確な年齢は知る由もないが、「是ちゃんとは一回りくらい違うかな!」と言われたことがあるので、おそらく当時30代半ばくらいだったのではないかと思う。
Kさんの肩書きはチーフじゃなかったかな。コンビニもそうだけど、チーフとかリーダーとかオーナーとか店長とか、誰が一番偉いのかわからない。Kさんの配属は、コルサの売上のテコ入れのためだったのか、勤務体制の整備のためだったのか、あるいはその両方だったのかもしれない。いずれにせよ、僕にとってみれば、これまでより一層楽しい日々の始まりだった。
当時はデザイナーズブランドが一種のブームで、今では考えられないほど多くの男性ファッション誌が存在し、デザイナーズブランドを取り上げていた。それなのに、Kさんが加わっても相変わらずコルサのお客さんは少なく、僕も相変わらず長時間、Tさん、Kさんと、ファッションの話、人生の話をさせてもらった。僕はクヨクヨと悩みがちな性格なので、いつもKさんに「大丈夫!大丈夫!」と励まされたものだった。
しかし、いつ頃からだっただろうか、何となくTさんが体調を崩している様子があった。それは僕の完全な勘違いかもしれないし、むしろそうであってほしいのだが、Kさんが一人で店にいることが多くなった。もちろん適切なシフトが組まれるようになっただけなのかもしれない。Kさんと二人で話をするのもとても楽しい時間だった。
そして、Tさんは退職することになる。
もしかしたら、このことは前から決まっていて、Kさんの配属はそのための計画的なものだったのかもしれない。
あともう少しで退職という頃、僕がお店にいると、Tさんが電話番号を教えてくれた。紙を渡してくれたのか、名刺の裏に書いてくれたのかは忘れてしまったが、その後、僕の携帯電話の連絡先に長い間登録されていたことは憶えている。
一度も電話することはなかった。
何故かはよくわからない。僕は、Tさんが体調を崩されているように感じていたから、すぐに連絡するのもおかしいと思ったのかもしれないし、その後、公務員試験に失敗して就職浪人になってしまったので、学生時代の後半は全体的に気持ちが沈んでいたからかもしれない。
そのうち世の中では勝手にデザイナーズブランドのブームが終わり、それと軌を一にするようにして、大学卒業の少し前、コルサはクローズしてしまった。北陸新幹線開通以前の金沢という街は、現状維持をすることでも精一杯な、寂びた街だった。
リミューズグループがかろうじて石川県内に残したのが、小松市の「ファクター」というお店だった。Kさんが店長として入ったのだが、扱っているのはレディスだけだし、当時住んでいた金沢市からは距離があるしで、なかなか訪れる機会がなかった。
初めてファクターに行った時に見つけたのがAF Vandevorstのジャケットだった。ベルベット素材の紫という、何とも華麗な逸品である。AFはレディスしか作っていないのだが、このジャケットはサイズが僕に合っていて、右前の打ち合わせ(=一般的には男性仕様)だった。羽織った際に二番目のボタンを留めなかった(アンボタンマナー)のを見て「さすが!やっぱり服を着る時の仕草が違うね!」「似合うよ!」といいようにKさんに激推しされたが、まあまあ高価な品物ではあるので、その日は買わずに帰った。
そうしたらこれである。
まあ、こうなれば買うしかないよね。
金沢より小さく、しかもヤンキー気質のストリートファッションが隆盛を誇る小松という街でハイブランドのお店を営業していくのはやはり難しかったのだろう。残念ながらその後ファクターも閉店しリミューズグループのお店は福井県内だけになった。その頃ようやく就職していた僕は隣県まで行くことはなかなか難しく、Kさんに会いに関連店舗に行く機会も少なくなった。
そうしているうちに、リミューズグループは社長が夜逃げしたとかで倒産し、関連店舗もすべて閉鎖した。ブラック企業だったのかもしれない。
あの頃。
バイト代を注ぎ込んで、時には信販ローンを組んでまで洋服を買って、いつも貧乏な生活をしていた。僕は喜んでTさんとKさんのカモになっていた。
すべての店舗は跡形もなく消え去って、TさんもKさんも今はどこで何をされているかはわからない。僕とお二人との関係は、どこまで行っても客と店員の関係である。
ミハラヤスヒロのブーツ・シューズ・革パン、トリッカーズのブーツ、ワールズエンドのカットソー・シャツ、シンイチロウアラカワのジャケット・シャツ×2、ポールハーデンのバッグ×2、コッパーウィートブランデルのTシャツ、AF Vandevorstのジャケット…。まだ手元に残っているアイテムもあるし、着古して処分してしまったものもある。
だが、これらを試着した時のこと、買った時のこと、修理に出した時のこと、そしてもう忘れてしまったことも含めた、すべてのときめきと笑顔が僕を形作っている。
今はもう存在しないお店から、今はもう僕が住んでいない部屋に宛てて送られている、何枚もの葉書。紙面いっぱいに書かれた言葉と、それを読んだ時の僕の気持ち。
夜空に輝いている星々は、既に滅びているものもあり、地球からの距離も様々に異なる。
残されたわずかな遺留物と、薄れつつある記憶たち。それらが線を結んで心の中に浮かび上がる、僕にとって忘れ得ぬ星座の名前。
それが、「CORSAGE DEVANT」なのである。