変なワタシがワタシに変わる ~ショート ストーリー~
教室の窓際、前から三番目の席。
そこはワタシの「変な嗜好」を遂行するにとってベターな席だ。先生と視線が合いにくい場所。そして、教室の隅に無造作にまとめられた白いカーテンを揺らす風が運んでくる
〝音の波〟を感じやすい場所だ。それを感じるとワタシは左手で耳にかかった髪をかき上げ、頬杖をつく。
ワタシの「変な嗜好」
それは周りにある喧騒の中から自分の気になる音に耳を傾け、その〝音の波〟を妄想すること。その音の波に漂う間は時間を忘れる。
実際に〝音の波〟が見える能力があるわけではない。しかし、その音から広がるイメージの世界にいることが目の前のしんどさを遠ざけ、気持ちを保つ術になっていた。無意識下でやっていたそれは、経験を積む中で、いつしか意識的に出来るようになっていった。
ワタシは今日も〝音の波〟に浸っていた。
教室から見えるマンション。そのベランダから聞こえる布団を叩く音。
その音の波が向かいのマンションやアスファルトの地面などに跳ね返り、ワタシに届く。音がどこに当たり、ここまで届いているのか妄想していると幼い頃に弟と風呂場でスーパーボールを床に投げつけて遊んでいた記憶とつながっていた。壁や天井、浴槽などに跳ね返ったスーパーボールは予想できず、あらゆる角度から飛んできては避け切れず、二人のどちらかにぶつかる。それが馬鹿みたいに面白く、子どもらしいケラケラとした笑い声が湯気のこもったお風呂場に響く。ワタシは軌道を予測し、よけるのが得意で弟ばかり当たっていた。そんなことを思い出し授業をよそにニヤける顔。変な奴だと思われないように顔を机に伏せ、耳はそのまま布団を叩く音に向け続ける。「ズダッ、ズダッ」と小気味よいリズムがしばらく続く。一呼吸おいて「ズダダーン、ズダダーン、ズダダーン」と強く響いた。きっと、その三回は、アレルギーを抱える息子を守るために、見えないダニや埃を振り落とそうと力を込めた音。そんなことを勝手に妄想する。それは自分の中だけで完結する、誰も傷つけることのない「変な嗜好」
傍から見たら、ただ教室の椅子に座ってボケーとしているだけに見えるかもしれない。しかし、ワタシにとっては自分の五感を活用し、生物としての能力を研ぎ澄ませる時間だ。それはワタシにとって「生きる」を感じ、「生きていく」のに必要な時間でもあった。
日々そんなことをしている自分は「集音器」みたいだなと思う。休み時間に廊下で話す友だちの会話にスナイパーのごとく狙いを定め、五感を総動員し、音を集め解析する。全て聞き取れなくても、そこは妄想で補うのがワタシの特異な才能だと思う。昨日は、女子三人が教室のベランダで日に当たり、手すりにもたれて話す音が、ワタシの横の半分空いた窓から入ってきた。そこに焦点を合わせ集音作業する。スタバの店員のサワイさんという男性がカッコよく、笑顔が可愛くて、優しいらしく、帰りに見に行こうだとか、スタバは高いからマックのバイトのミズノ君に会いに行こうだとか何か楽しそうだ。そりゃ、イケメンじゃなくたって仕事だったら笑顔も優しさも当たり前だとツッコミながらの集音作業。何か機密情報を抜き出すスパイみたいだなと妄想が膨らんでいく。この人間集音器が厄介なのはどんな所で作動するのか自分でも検討がつかないことだ。まぁ、誰に迷惑かけているわけでないから「良し」としよう。一人そう思っている。
今日は金曜日。
長かった一週間が終わる。帰りの会が淡々とこなされ、担任が話す内容は大体同じ。「土日は一週間の復習のための休みだ」と話している。先生から発せられた「一週間」という音が耳に残り、振り返ってみたが何をしたか、思い出せない。無理に絞り出そうしたところでたいしたことをしてないことに気づき妄想をやめると先生の話が終わっていた。
日直のやる気のない声を先導に挨拶をする。
「起立。さよーなら。」
「さよーうな…」
挨拶が終わらないうちに、椅子を引きずる音が地鳴りのように一斉に響き、ダルそうな挨拶は、教室から眺めるゴミ置き場の二羽のカラスの交わらない会話と共に、足下から頭に突き抜ける「ギギゴゴゴー」という響きに飲み込まれた。他のクラスも終わったようで、教室の前方と後方、そして上からも椅子の地鳴りが、重低音の効いたサラウンドスピーカーのごとく、四方八方から響く。つい十分前まで、授業の先生の声と音楽室から聞こえる合唱だけが響き渡たる、秩序の保たれた校舎の音の波が、放課後になり生徒たちのはしゃぐ声と部活動にエネルギーを捧げる者たちの掛け声で満ち満ちていく。それは、教室で静かに座わること強いられ、先生の指示に従っていた生徒たちが、拘束から解放された歓喜のようだ。
ワタシはその歓喜の輪に入ることなく、周囲がせかせかと帰り支度をする間、ひとり、机に肘をつき、ぼんやりと誰も気にもとめないであろう音に耳を傾けていた。この静寂と喧騒の移り変わりの差を感じることが、ワタシの学校での密かな楽しみだった。
「おい」
音の世界入り込んでいたワタシを現実に戻す音が割り込んできた。ワタシはビッと本能的に背筋に力が入る。臨戦態勢になった身体は、警戒したまま後ろを覗くと日直当番を淡々と遂行しているカレがいた。
「窓、閉めるぞぉ」
ワタシの返事を待つまでもなく、机と窓の狭い間を横歩きですり抜け、スダッ、スダッと窓を閉めとテンポよくカギを閉めて回っていた。急に声をかけられたことにイラっとして睨むも、すでに廊下に向かっていて、眼球は空しくカレの背中を追っていた。楽しみを奪われたワタシは機嫌が悪くなった。
廊下の窓をチェックし、教室に戻ってきたカレがワタシに近寄ってきた。
「おー、わりーわりー。お取り込み中、失礼。どんな波を聴いてたの?」
カレは、言葉ばかりの謝罪をし、大真面目に聞いてきた。しかし、その神妙な面持ちの裏にある好奇心を隠しきれていない。カレはワタシよりワタシが感じていた「波」に興味があるのだ。しかし、それを隠せない素直さがワタシの安心感になっていた。
ワタシのこの「変な嗜好」を〝音の波〟という言葉にしてくれたのはカレだった。
一緒のクラスになって、二か月くらい過ぎた頃だった。放課後、いつものように机で頬杖をついていると暇そうに見えたのか、いきなり声をかけてきた。他人の評価なんか気にせず自分の興味はみんなも知りたいだろうという感覚で話してくるので、一部の女子からはうざがられていたが、物知りで話も面白いので同性からは好かれていた。彼の話を聞きたいというひそかなファンもいて、ワタシもそんな一人だ。
初めてワタシとの会話の第一声が「量子力学って知ってる?すごいんだぜ」だった。
ワタシが興味を示したからか、その後、「量子力学の話」は続いた。目に見えている色も、聞こえている音も、今、手にしている鉛筆も、小さく、小さく、原子レベルより小さくしていくと最後は全ては粒になり、波で出来ている…。というような話だったが正直、ワタシには理解が追いつかなかった。よくわからないながらも彼から聞くとわかった気になれた。妙に言葉に説得力があり、話を聞きながら、音が「波」で、伝わるイメージがワタシの中で広がり、映像と言葉が一致した気がした。
ワタシが感じる音へのイメージって、「波」のことなのかも…
ワタシはもっと「波」のことを聴きたくて、自ら、うなじに隠れているホクロを見せるような気恥ずかしさがあったが、カレならそれを見せても変な意味に捉えず、ワタシの知りたい意図をわかってくれそうな気がして、ワタシの「変な嗜好」のことを打ち明けてみた。
「君が音を感じるという感覚は「音の波」をキャッチしていることであって、
強ち間違ってないかもな」
カレの「音の波をキャッチしている」という言葉にビッときた。今まで何て言ったらいいのかわからなかったことに名前を付けてくれたことでワタシの嗜好に輪郭がついた気がした。ワタシをわかっているという嬉しさに身体が熱くなった。ブワーって熱が上がっていき、ワタシの顔は赤くなっていた。あの時のことを思い出すと、今も前世からの探し物を見つけたような沸き上がるヨロコビと、赤くなった顔をカレに見せてしまった恥ずかしさが絡まり、血流がザワーっと身体を巡る。
それからと言うもの「音の波」という言葉が私自身の言葉になっていった。
その日の帰り道、始業式の日に無理やり入らされたクラスのグループLINEから消しゴムの写真のカレのアイコンを見つけてメッセージを送った。この熱が残っているうちに何かを伝えないと二度と、この「音の波」の理解者とこの話が出来なくなってしまう気がした。
なんとか力学の話
よく、わからなかったけど
「音の波」
いいなって
なんか、すくわれた
ありがと
返事があってもなくてもいい。伝えないとワタシの中の熱いものに怒られる気がして、エイヤって送信ボタンをタップした。カレからは返信はなかったが、それから、ワタシがボーッとしているのを見つけては、
「どんな音の波、聴いているの?」
と笑いながら声をかけるようになってきた。ワタシはそれが苦手で、一度も答えたことなかったけれど、カレが「ワタシの嗜好」をわかってくれているということだけで、なんか、嬉しかった。
しかし、一ヶ月ほど前から学校に行くのが嫌になっていた。それはこの「変な嗜好」のせいだ。知りたくない余計な音を拾ってしまったのだ。
ワタシはいつものように机にひとりでいると、黒板の前で男女が集まって話をしていた。時折、その集団がワタシを見るので、「ああ、ワタシの話をしているんだな」とすぐに察した。ワタシは気づかないふりをして、眠そうな仕草で机に突っ伏した。
いつもなら人間集音機よろしく耳を開放するのだが、これは聞きたくないと直感的に感じ、集音機作業を中止しようと試みた。しかし、習慣とは恐ろしいものでワタシの焦点はすでにロックオンされていて、ワタシの意志に反して音は収集され続けた。人は「行きたくない、行きたくない」と思っている方に行ってしまう。そんなものかもしれない。
女の声がこちらを向いている。見なくてもわかるワタシへの視線。黒板の前はいつもこの女の声が響いている。男と話すときの声。普段とは違う鼻にかかる声色が耳につく。これはお気に入りの男子に声をかける時に発せられる周波数だ。
「ねー、あの子と仲いいんでしょ?聞いたよー」
「あー、昔のことだよ。今はぜーんぜん。いつも一人だな。友達いないんかねー。なんかあいつ変。自分の世界にいっちゃってるみたいな。なんかさー、オレ、ああいう変な陰キャかましているやつ、苦手なんだよなー」
聞こえてきたのは、このクラスでよく知る声。幼稚園の頃から、ずっと一緒の学校に通う雄太の声だった。
雄太は幼稚園の頃、よく泣いていた。少し強く言われると涙を浮かべて、ワタナベ先生やワタシのところに慰めてもらいに来ていた。ワタシは雄太と家が近所で親も仲が良かったこともあり、幼稚園の頃は何をするにも一緒だった。彼は体が小さく喘息があったので雄太のお母さんから、「雄太を守ってあげてね」と言われ、その頃は真面目に守っていた。小学校に上がるとそれぞれ仲の良い友達ができて、徐々に「普通の友達」になっていった。小学校の高学年になると、雄太はバスケを始めて、急に背が伸び、運動神経も良かったこともあり目立つ存在になっていった。スッキリとした顔立ちが韓国アイドルの誰かさんに似てると話題になり急にモテはじめた。中学になるとそのモテっぷりは校内でおさまらず、他校から雄太を見にくる女子まで現れた。「この間も他校の女子から、LINEを交換して欲しいと言われたけど、俺、そういうのじゃないから断った」と自慢げに話しているのも集音調査で把握していた。
しかし、ワタシにとっては、雄太は雄太でしかなくて、いつまでも泣き虫のユウタだった。周りは雄太を見る目が変わっていったが、ワタシの中の雄太はそのままだった。
雄太と一緒にいるその男女六人グループは『イケテル』グループとして一目置かれていた。雄太が何か言うとみんな同調する。そうしないと、グループで空気読めない感じになるのをワタシは何度も集音していた。
人気者の彼は陰気なワタシと幼なじみだという事を隠したいのだろう。しかし、それは雄太のカッコつけたい性格がそうさせるだけで本当はそう思っていないという自信がどこかにあった。ワタシは幼稚園の頃、園庭の遊具の下でふたり隠れて「いつも、いっしょにいてね」という、雄太の舌ったらずな幼い声を思い出していた。彼のことが好きという恋愛感情は全くなかったが、お互いの過去を知っているという安心感があった。ついこの間だって、偶然、近所のコンビニで会った時、どっちが誘うわけでもなく横の公園の入り口の車止めに腰かけてとりとめのない話を三十分くらいしていた。ワタシにとって雄太は、純粋で無垢な幼き時間を共に過ごしたという、今から他の人がいくら頑張っても追いつけない特別な友達であり、それは深いところで繋がっている感覚になっていた。いくら繕っても隠せない過去を知っていることが「信頼のお守り」になっていた。クラスメイトが知らない人気者の秘密を知っていることが、ワタシのひそかな優越感になっていたのかもしれない。だからと言って、クラスカーストの三角形の上位に君臨するイケテルやつらの前で私をディスっているという事実に、ショックを隠せなかった。それは、一瞬にしてワタシをその三角形の底辺に落とした。それは、これから始まるワタシのクラスでの立ち位置を予想する事は容易なことだった。
それからのワタシは「底辺はテイヘンらしく、誰にも見つからないように、大人しくしていよう」と決めた。学校では必要最低限の会話でのりきり、声をかけられない術を見いだしていた。少しでも見つかると「変なヤツ」と思われてしまうのではないかという妄想に取りつかれていた。それは自意識過剰だとわかっていても、その不安を消すことは出来ずにいた。
廊下の窓閉めを終えたカレが、日直の仕事の書かれたチェック表を持って、机に伏せるワタシの前にきた。
「わりー、ペン貸してくれない? 何でもいいよ」
不機嫌なワタシのことなど気にも留めずに飄々と声をかけてきた。そんな調子の良さとワタシの「変な嗜好」を知っている安心感にいつの間にか自分が不機嫌なことを忘れさせていた。そして、今ならカレに聞けるかも。そう思った時には口を開いていた。
「ちょっと、いいかなー?」
顔を上げると、正面にいたカレが思った以上に近くてドキッとする。
「なに?」
ニコニコと聞いてくる。カレは質問には、いつもオープンだ。
「聞きたいことあるんだけど」
ワタシは、カレの空気感につられ、自然と言葉が出ていた。
「おー、ペン貸してくれたらいいよ」
深刻そうな雰囲気かわすカレ。そんな配慮も出来ることもワタシは知っている。
「じゃあ、特別に四色ボールペン貸してあげる」
カレの調子に乗っかってみる。
「いいよ、鉛筆で」
ちょっと面倒そうだ。
「そのボールペンにシャーペン付いてるけど」
特別とか言ってしまってから、めんどくさく思われていないかなと不安になる。
「いや、鉛筆で。特別とか言われると、こえーじゃん」
楽しそうな答えに安心した。
「もう、出しちゃってるもーん」
そんな、普通のやり取りが嬉しい。それは荒んだワタシの心にのめり込んでいたオモリを一旦、横に置いてくれた。
「ワタシって変かな」
ため息混じりに聞く。いきなり、言われても困るだろうが、今の私には言葉を選ぶ余裕はなかった。
「うん、変だよ」
息の詰まりそうな鉛色の空気をはねのけ、カレは嬉しそうに答える。
「何で嬉しそうなの?」
ワタシは少し不満気に聞くも、この軽さに救われていた。
「だって、変だもん。知らなかったの?」
何か、バカにされた気がして、ふくれっ面になったワタシはカレの眼を見れず、上履きの色の着いたつま先に目を落としていた。
カレは続ける
「ボクはどう?変?」
「うん、変なやつだ」
お返しとばかりに強い口調でやり返した。
「じゃあ、お互い『変』同士だね」
イタズラっぽく笑うカレにつられてワタシも笑っていた。
「変ってさ、
相手と自分の違い気づいたってこと
変はキミが認めたキミの特徴さ。
変だと思う自分が、
自分の存在を
教えてくれてるんだって思うんだ」
何だか、わかるような、わからないような返答だが、
なるほどと尊敬の眼差しを向けていた。
確かにカレは変わり者だ。
変な言葉の使い方をするし、いつも、遠くを見ている。
ワタシの周りにはないタイプだ。
顔は普通だが、そこに魅力を感じている。
「ずっと、前にさ、変わりたいっていってたよね」
真っ直ぐ、遠くを見つめながら、ワタシの返事を待つわけでもなく続ける。
「大丈夫、変われるよ」
意外な言葉にカレの顔を瞬間的に覗いていた。
「変なワタシを大切にしてごらん。
変なワタシがワタシに変わるから。
変は他の誰でもないキミなんだ。
みんなね、
そこにキミを見つけてる。
そこにキミを感じている。
それが、気になるキミになっている。
キミだって、
みんなに認められたいでしょ?
変じゃなかったら、
キミはいないと同じ。
誰も気づいてくれないキミなんだ」
勇気づけられたような
そうでもないような。
でも、
『変なワタシ』を認めてくれたようで嬉しかった。
家に帰り、スマホを見るとカレからメッセージが届いていた。
『変なワタシ』
を受け入れて、
大切に出来ると、
周りがその魅力を知る
認められた変なワタシは
『ワタシに変わる』
両手で抱えたスマホをぎゅっと胸に押し当てて、
遠くを見つめる顔を思い出していた。
「ワタシ、変われる」
胸のスマホに向かって
そうつぶやいた。
〈完〉
読んでくれた方へ
最後まで読んでいただきありがとうございます。
全ての「変なワタシ」を開放すること
それが生きやすさにつながる。
そんなことに思いを向けことばをつなげました。
「変」はワタシとアナタとの違いでしかなくて
そこには良し、悪しはない
「変」にヨロコビの種がある
「変」を抱きながら進もう
この小説は赤池由記子さんの植物文字から妄想し、つないだストーリーです。
赤池さんに、感謝とリスペクトを送ります。 オドモ リョウ
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