10年目に入って今思うこと
おどらぼの巖というよりも、個人の感想に近いかもしれません。特に何を考えているのかわからないと言われることも多く、頭の中をどう説明していいかわからないのですが、ちょっとでも伝わると嬉しく思います。拙い文章になることご容赦ください。
どうしてもおどらぼのいわお、もしくは会社の代表としてのポジティブな要素ばかりを出さないといけないと走ってきた九年間だった。
なので最近noteというものを書いていない状態でした。2024年2月でおどらぼは10年目に突入しました。これもこうしてこのブログを読んでいただいてるみなさん、そしておどらぼの事業やイベントに関わってくださる皆さんのおかげです。そして何よりこの9年間支えてくれている、働いてくれたメンバーの皆さんに本当に感謝しています。本当に毎日ありがとうございます。
正直、個人的な気持ち的には限界に近いくらいの毎日が何年も続いてるように感じます。今日が終わったら明日の納期があって、ギリギリで何日も終わってはまた新しい制作に取り組み、そして睡眠も毎日3時間くらいを10日以上続けては、その次の日に死んだように意識を失い、そしてまた意識を戻したら納期に追われてまた走り出す。この繰り返しの毎日が続いています。これが幸せなのか不幸せなのかそんなことも考えられないようなくらい日々はすぎていき、一緒に働いてくれているみなさんのことや、そして支えてくれているみなさんのことも正直目に入っているようでどこか入っていないような感覚の日々を過ごしてきてしまっていたように感じます。
おどらぼは2015年に個人事業主でしていた仕事の限界を感じ、イベント会社の人に法人化しないと大きい仕事は渡せないと言われて、ノリに近い形で作った会社です。最初はダンスイベントとしてしていたものが、会社の名前にしてしまおうと思って、こうしてノリで法人化されて、阪急三番街のクリスマスの仕事やグランフロントのつるんつるんのステージの演出を孫請けみたいな形で受けたり、最初の四年間は役員報酬もゼロで、従業員も社員という形ではゼロの状態で本当に勉強状態でした。自分はユーエスジェイで働いている仕事のお金で生きて、おどらぼはジリ貧状態で、自分たちのいいと思うこと、仕事として依頼が来たものを断らないようにずっとしてきました。
▷売上の推移
1年目:200万
2年目:400万
3年目:800万
4年目:1億5000万
5年目:2億4000万
というようにラッキーが重なり、自分たちから雇用を創出するチャンスに恵まれました。この状態で関西のダンススタジオ事情におどらぼができることがあるのではないかと思い、自分たちができる練習スタジオの形を作りたいとオドラボスペースを作りました。そして初の社員登用を行い、ここから頑張ろうというタイミングでコロナの緊急事態宣言に突入。
おどらぼやイベント、仕事、そして毎年続いていた芸術祭は空中分解しました。そしてサポートしてたスタッフも芸術祭の考え方の方向の違いでここで一旦作り上げてきたものはゼロに戻ってしまったように感じます。
ただ国は優しく雇用調整助成金という制度を利用させていただき、仕事がない時期もなんとか耐え抜き、オドラボスペースを中心に、コロナ禍でもイベントをしたい人のために、いろいろなプラットフォーム作りやサポートをし続けました。ダンスをしたい人とダンスを見たい人がこの中にもいる限り、おどらぼはダンスのイベントをやり続ける意味があると思ったからです。
私たちはコロナ禍に入る前に頑張ってノウハウを蓄えてきた、ライブ配信の番組制作事業に思いっきり舵を振り切り、このコロナ禍を逆手に新しいスキルを手にしながら着実にリアルが戻ってくるタイミングを待って、突き進んできました。
▷売上の推移
6年目:1億2000万
7年目:1億8000万
8年目:4億2000万
このビジネスとして利益を生み出した分をどう関西のダンスシーンに還元できるのかを考え、積極的に動かして行きました。私たちの会社はダンスシーンに自分たちのビジネスを通じて還元させていくことに意味を感じています。
オドラボスペースは
2020年2月に3スタジオ
2020年11月にST4を開業
2021年は物件が見つからず断念。
2022年に西九条に習い事教室としてオドラボスタディと3スタジオをOPEN。そして2023年2月に西九条に追加でST4.5を開業。そして11月に千鳥橋に3スタジオをOPENさせ全部で12スタジオになりました。
そしてこのオドラボスペースは、低価格の無人スタジオとして確立させて行きました。ここで大事なのは自分たちのスタジオが選ばれることではなく、その先シーンがどう動くかまで設計することです。
大阪にはダンススタジオやレンタルスペースはたくさんあります。
ダンスシーン全体に必要なのは適切な価格で適切にみんながお金を落として、楽しみ環境を作るということです。
仮にオドラボスペースが使われるようになると、他のスタジオの利用が減る可能性があります。ここで起きるのは利用者のスタジオ比較です。
これが競争とサービスの向上を生みます。
そこで適切な価格をダンサーが考え、自分たちの都合に合わせてスタジオを選びながらお金を落とすことができます。
これをすることで、どんどん傲慢な利益システムのスタジオは淘汰され、金額が適正化されるか、もしくは消費者が選択しなくなります。
ここにおどらぼのダンスシーンへの還元があると思い、スタジオをはじめました。
今の目標はこの流れを名古屋にも作ることです。
おどらぼNAGOYAというイベントは2018年から行なっており、私たちは小さいながらもコツコツと名古屋で活動してきました。
名古屋のダンスシーンにもそして名古屋のメンバーにも雇用とシーンの還元をしていけるならチャレンジしてみたい。そう今は思っています。
9年目:5億
(2024年1月まで※現在決算集計中につき正確な情報ではありません)
2023年はキッザニア甲子園、福岡のアクティビティ開発に携わることができました。職業としてのダンスを自分たちの手で手がけることができ、教育事業やこれから先の未来の子供たちにできる可能性を感じることができたのは大きかったです。
そして私たちおどらぼはこの10年目から何ができるのか、
そしてダンスが好きな人に、ダンスに関わる人たちにどういうことができるのか。正念場になります。
このままでは自分たちはただのエゴで終わるし
何も変えれてないしダンスシーンにも恩返しできていない。
リーダーとして次はどういう動きをするべきなのか
代表として何をしていくのか
考えても考えてもまだまだ答えが出ません。それくらい頭打ちに近いくらい10年目の壁は大きいです。まずは売上を倍にできる仕組みを作り、行政に参画しながら、教育事業に大きく参入していきたい。今のビジネスモデルでは2倍を突破できる見込みがないそう絶望を感じました。私の身体が破壊される現実が待っています。
なので自分一人ではできないし、今まで助けてくれてた人たちの連鎖と、そして今働いてくれ支えてくれている人たち、応援してくれてる人たちのエネルギーを頼りながら、もう1つ大きなエンジンをかけて行きたい。
2024年は自分にとっては一から初心に戻って、振り返る一年になっています。仕事ができても人間としては愚かな自分をここでもう一度見直し、折れそうな心と倒れそうな身体をなんとか鼓舞して、自分のエンジンをもう一度かけていきたい。WEB3もプログラミングも勉強しないと置いてかれる。毎日寝ることで誰かに後ろから追いかけられ抜かされる恐怖。人と同じだけの仕事だと要領が悪くて進まないから倍しないといけなくて取り組むけど集中力が続かず、悲しくなる早朝。毎日不安と焦りがずっと繰り返される10年。これもまたいい経験だと認識し、なんとか10年目そして次の20年に向けて突破できる何かを掴みたい。そんなことを今思っています。
元リクルートの藤原さんの100の3乗理論を5乗までして100億分の1になりたい。ダンス×演出企画制作×経営×デジタル×ネイチャーこの5本軸の100分の1を絶対的に確立して行きたいと思っています。
この1月から特に連絡がすぐに返せず、各現場に迷惑をかける量がとても増えています。本当に申し訳ないです。なんとか踏ん張って、戻ってきます。
10年間続けてこれたのもみなさんのおかげです。
自分は才能もなく、人よりも劣等感を感じることもたくさんあった人生ですが諦めなければなんとかなるもんだと思っています。
おどらぼという会社は、失敗しても一緒に全力で何回でもやり直せる、そんな会社にして行きたい。
関西のダンスをもっと面白く!そんなテーマで初めた芸術祭も7年目、自分たちのプラットフォームに今年も多くの人が関わり、新しいエネルギーが生み出されますように。
取り留めもない文章でした。
おどらぼ代表 巖良明
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