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「何もかも持ってる」は「すべてを奪われている」に等しい
ネットフリックスで見つけた
「斉木楠雄のΨ難」
(さいきくすおのさいなん)
がぼくはめっちゃ好きなのですが、
主人公である斉木くんは、
超能力を持って産まれ、
生後14日目にして会話ができた、声を出さずに。
生後1ヶ月で歩くことができた、それも空中を。
1歳になるとはじめてのお使いをこなした、瞬間移動で。
テレパシー、サイコキネシス、透視、予知、瞬間移動、千里眼など
あらゆる超能力を使える斉木くんのことを
みなさん、
どう思われますか?
めちゃくちゃ羨ましいですよね!?
だけど、斉木くんはこう思っているそうです。
「すべてを与えられた男?
だと思ったら大間違いだ!
何でもできてしまう為、達成感を感じることもない。
みんなの心の声が聞こえてしまうので、サプライズもない。
怒りも悲しみもない変わりに、喜びも楽しみもない。
ぼくは全てを奪われた世界一不幸な男だ。」
確かにそうかも知れないなぁ~!
と、妙に納得させられた1話目。
一瞬で斉木くんのファンになりました笑
「才能がないのも一つの才能」
とROLANDさんも言っているように、
”持っていない”
ということはある意味、
幸せなことかも知れないなぁ~と
思います。
なんでこんな話をしようと思ったのか、
というと、
子育て、教育について
ぼんやり考えているときに、
親って、
ついついなんでも
与えたくなったり、
答えを教えたくなるじゃないですか。
例えば、
「あ、そんなことすると怪我するよ」
とか。
お金のことで言えば、
「魚を与えるんじゃない、
魚の釣り方を教えるんだ」
みたいな話。
すぐに与えてしまったり、
教えてしまったりすることは、
自分で獲得する楽しみや、
その過程で得られる経験を奪っているのに
等しいのかも知れないなぁ~、
と、
うまく言えませんが、
そんなことを朝から考えてしまった
今日でした。
今日もあなたにとって
自己ベストな一日でありますように🍀