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正しい諦め方。

どうもです。
2022年も既に中盤戦に突入しており、徐々に梅雨が近付いています。
鬱陶しい季節になりましたね。

ここ最近、ふとした瞬間に昔の映像がバーッと頭の中を流れることがあります。前も時々はあったのですが、最近はしょっちゅうです。
しかも出てくる映像は大半が嫌な思い出ばかり、周囲から嫌がらせを受けたり、怒られたり馬鹿にされたり。

でも、冷静になって考えてみると子供の頃の記憶って嫌なものほど強く残っていませんか?これは私だけではなく、多くの方がそうだと思います。
これは明確に理由があって、人の脳ってやつはマイナスな記憶の方が強く残りやすいんだそうです。厄介ですね。

いじめた側は忘れてるけど、いじめられた側はいつまでも覚えている。
この構図が出来上がる原因ですね。

じゃあそのマイナスな記憶って、一体何が原因で出来上がるんでしょう。答えは色々あると思いますが、その中の一つに「止める」「諦める」があると思います。

部活動・サークル活動・アルバイト・趣味・仕事

皆さんも少なからず何かを途中で止めたり諦めたりした経験はあるのではないでしょうか?
私は小学校時代、空手をすぐに止めました。
私は中学校時代、野球部を途中で止めました。
私は大学時代、アルバイトを途中で止めました。
ダンスも途中で諦めました。
パン屋になる夢も、漫画家になる夢も、ゲームプログラマーになる夢も、お笑い芸人になる夢も、大した努力もせずに全て諦めました。
仕事も途中で諦めたことがあります。※退社はしてない

もちろん諦めずに最後まで駆け抜けたこともあります。
代表的なところだと、高校時代の合唱ですね。
3年間、部活動をやり続けました。

何でも途中で止めたり諦めたりすると、やりきったという記憶がないから、印象に残るのは途中途中のエピソードだけ。そうなると浮かび上がってくるのは、自然と苦労したことや苦痛に感じたことばかりになってしまう。

私は高校一年生の時、卒業する同じ部活の3年生がみんなの前で話していたことを今でも鮮明に覚えています。

「色々辛いこともあるかもしれないけど、せっかく始めた部活動なので3年間やり切ってください。必ず得るものはあると思います。私はありました。」

この先輩は具体的に何を得たのかは教えてくれませんでした。
でもそれが正解だと思います。変にそれを知ってしまうと、心のどこかでそれをゴールにしてしまう。得るものは一人一人違って当然なので、大事なのは何を得たかではなく、最後までやりきったかどうかです。

私は小学校・中学校・高校・大学・社会人になって以降も、それぞれで嫌な思いを何回か経験しました。俗にいう「いじめ」っていうやつも経験しています。そんなに大規模なものではないですが。

でも不思議と過去を振り返ると、高校時代が一番嫌な記憶が少ないんですよね。丁寧に思い返すと、嫌な思いも沢山しているはずなんです。辛いことも沢山ありました。でも、何故かそこまで印象が強くないんですよね。それよりは小学校とか中学校の方が鮮明なんです。

これはやはり、高校時代に合唱部を三年間やりきったという功績があるからだと思います。あともう1つ言うと、三年間皆勤賞でした。こういう何か1つのことをやりきったという記憶が、人生の嫌な記憶を印象弱くしてくれるんだと思います。

この記事を読んでいる人が、今どういう立場の人かは分かりません。

でも、どんな立場でどんな人生を歩んでいる人であっても、共通して言えるのは全ての物事を中途半端に投げ出さないということです。別に、諦めることを完全に否定しているわけではありません。自分の中で出来る全てを出し切って、精一杯取り組んで、その結果納得いく形で諦めたら、それはもうやり切ったと言って良いと思います。

あの時、諦めずに今も取り組んでいたら…。
今、自分はどんな人生を歩んでいたのか…。

こう思ってしまう時点で、それはダメな諦め方です。
何事もやれるところまで全力で。

ではでは。

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