オタクである自分を認められたあの日まで #4
#4 自己表現がしたかった
「唯一無二の自分になれる場所」
「言葉を交わさずとも共感し合える」
そんな安心安全の場所であったヴィジュアル系バンドの世界をなんとなく、気持ちの赴くままに離れた私は、しばらくは手持ち無沙汰な日々を過ごしていた。
あの時、推しを嫌いになったわけでもなく、何か嫌なことがあったわけでもなく、なぜか最高の居心地を与えてくれる居場所を離れられたことが、私の人生における数少ない成長だったのかもしれないと今考えると思う。
少々無気力感に浸る日々を過ごしていた私は、ある日テレビを見ていると、目を奪われるものがあった。
それは韓流ドラマ『美男ですね』の放送だった。チャン・グンソクを筆頭に、パク・シネ、イ・ホンギ、ジョン・ヨンファといった、その後K-POPブームを牽引する人たちが出演するドラマだった。話の内容として、彼らがバンドを組んでおり、そこで繰り広げられる人間模様であったため、私にとっては親しみやすいものだった。
その中でも私が気になったのはイ・ホンギの存在だった。というのも『美男子ですね』にハマっていた頃、深夜の音楽番組にFTISLANDとして出演していたのだ。ドラマの中ではドラマーの役であったが、実際はボーカルとして活動しているということをその時に知った。そしてそこで聴いた「SATISFACTION」という楽曲が頭にずっと残っていた。
ちょっと前までヴィジュアル系バンドが好きだった当時の私としては、キラキラした王道アイドルにハマることはなんだか腑に落ちない、癪に触る、という捻くれたプライドがあった。だが、「バンドなら…」と心のどこかで思う自分もいた。“バンド”というこれまで自分を安心させてくれた存在との共通点がFTISLANDへの興味を誘ったのだ。
と、同時に韓国のアイドルバンド(とここでは彼らを表現したい)に興味を持った理由はもう一つあった。
それはヴィジュアル系バンドにハマった時と少しだけ似ていた。「周囲の友人とは違う自分で在りたい」という想いがあったのだ。
2011年頃、高校生で韓国のアイドルやアイドルバンドにハマっている人はまだまだマイノリティーだった。ほとんどいなかったように思う。当時はRADWIMPSやBUMP OF CHICKEN、HYといった邦ロックのバンドもすごく人気だったし、ジャニーズも人気だった。その中で、あえて異国の、しかも洋楽と呼ばれる英語圏のアーティストではなく、韓国のアイドルに、というのは珍しかったのだ。
周囲がまだ知らない、魅力的な世界を知っている、という事実に自分の独自性・個性を見出していたように思う。
しかも韓国のアイドルバンドを好きになると、必然的に韓国語を習得するようになる。これはなぜかわからないが、吸い込まれるように勉強を始める。結果として、まさしく“自分にしか理解できない世界”が出来上がるのだ。
そんな世界に浸ることで、自分を保てていたのだ。
しかし推しを推すことはそう簡単にうまくいくものではない。実際の推し活というのは一難去ってまた一難状態なのだ。
なんとか自分を保っていた私にある挫折が訪れる。
それは推しとの距離感だ。
“バンド”という大好きだったヴィジュアル系バンドの世界とのたった一つの共通点だけで惹かれ、それ以外についてはヴィジュアル系バンドを推していた時と何も変わらない感覚で推していた。
だが、ヴィジュアル系バンドのメンバー⇔ファンの距離感と、隣国のアイドルバンドのメンバー⇔ファンの距離感にはあきらかに異なるものがある。もはや雲泥の差だ。1対1で話すことができないのはもちろん、SNSで自分のコメントが推しの目に留まることもない、ましてや認知なんてあり得ない(のちに韓国のイベントに通えば、ほんの少しだけその望みがあることを知る)。そしてファンの中のカーストはここにも存在していたが、あくまで韓国現地のファンがトップ。なんならファンサイトなんていう圧倒的な存在感を示すファン集団がいた。日本のファンの中でもカーストトップになりたいと思ったら、韓国でのコンサートやサイン会、イベント、音楽番組の観覧に行っているような韓国アイドルファンのパイオニア的存在になるしかなかった。
もちろん、当時高校生だった私には到底太刀打ちできない話だったのだ。
「私の推しにはもう近付けない」
「推しのいる世界で承認欲求を満たすことはもうできない」
そう思ったのだ。
そして、「じゃあどうしよう?」という壁にぶち当たったのである。
私にとって、「推しを推すこと=自分の存在意義を見出すこと」になっていたのだ。推しを推すことで、跳ね返ってくる何かに期待して、応援していたことにその時気付いた。それは認知という名の承認であったり、推し活に心血注ぐことで上げられるファンカーストによって得られる承認であったかもしれない。
いずれにせよ、すべての前提が崩れ去った。
同時に、「そんな下心で応援していたのか?」と自分が嫌になった。
とはいえ、FTISLANDのファンコミュニティはすごく楽しかった。とても良い仲間が多かったので、応援を続けていた。
だがある日、私はとんでもない衝撃的な出会いをする。
それがBIGBANGだった。
今BIGBANGの名前を出して、「いいよねー!」と言ってくれる人はどのくらいいるのだろうか。今はBTS一色になっているが、BIGBANGは韓国の、K-POPアイドルのHIP HOPの道を切り拓いたと言っても過言ではないカリスマアーティストだ(少なくとも私は今でもそう思っている)。アジア圏での人気が主流だったK-POPアーティストの中で、アジア圏以外でも確固たる人気を誇っていたのだ。だが、ちょうどこの頃メンバーの度重なる不祥事に活動休止していた時期だった。そして2012年。今でも最も幅広い世代が知るK-POPアーティストの楽曲と言いたいレベルで大ヒットした「FANTASTIC BABY」が収録された『ALIVE』で活動を再開したのだ。
日本デビューした頃の「ガラガラGO!!」のパフォーマンスはレコード大賞で見ており、存在は知っていた。だが、この時活動再開をしたBIGBANGは、まさしく“ALIVE”のように漲った何かを感じさせる姿だったのだ。その姿に激震が走った。
音楽・アートワーク・パフォーマンス・ビジュアル、そのすべてがこれまでの人生の中で見てきたものの何倍も、何十倍も、何百倍もクオリティーの高いものだった。次元が違っていた。独特なリズムとビートに乗る、テンポの良い歌詞やラップ、そして「どうしたら着こなせるの?というかどこに売ってるの?なぜそれをカッコいいと思わせられるの?」と聞きたくなるようなスタイリング、そしてレベルの高い歌とダンスのパフォーマンス。ジャニーズのようなキラキラした王道アイドルではなく、どこかちょっと不良のような、ワルのようなアーティスト感、それでいて強い世界観を、目に入るもの、耳に入るものすべてで表現している。今考えれば、ジャニーズとヴィジュアル系バンドのハイブリッド感が私の中にハマったのかもしれない。
すっかりBIGBANGの虜になった私は、彼らの活動を見ていく中で、だんだんとG-DRAGONに惹かれるようになる。隠しきれないカリスマ性、BIGBANGのプロデュースから作詞・作曲までこなす多彩さ。これらを知って、感じて、好きにならない方が難しい。私服も衣装も独特でオリジナリティに溢れている。それでいて、自分の個性や見せ方をよく理解している。自分に手をかければかけるほど、魅力が増すのがG-DRAGONなのだ。
G-DRAGONの存在こそ、まさに“唯一無二”だと思った。
これまで自分が思っていたのは本当に単なる錯覚。こういう人が真の唯一無二の存在であり、「自分を持っている」ということだと痛いほど感じた。「こうなりたい」「G-DRAGONみたいになりたい」と思った。好きという感情ももちろんあるが、憧れの方が強かった。自分らしさを武器にしている彼の姿に。
この話の流れであれば、G-DRAGONに感化されて、自分なりに自分のことを研究し始めるのか?と思いきや、私はG-DRAGONのことを徹底的にパクることを始めた。まずは髪型、ファッションを取り入れることから始めたのだ。「FANTASTIC BABY」のG-DRAGONの通称ワカメと呼ばれていた髪型を真似すべく、片側刈り上げなんてしていた。とにかくG-DRAGONになることを目指したのだ。
ここからどんどんG-DRAGONに染まっていくようになる。G-DRAGONが書く歌詞から彼が何を考えているのかを紐解くように妄想し続けたり、彼の発言を一言一句逃さず吸収したり、彼の思想を自分の中に取り入れていった。気付けば、自分の物事の判断基準のすべてがG-DRAGONになっていた。ちなみに私は大学を選ぶ時の判断基準は「羽田空港に近い方」だった。というのも大学生になったら、K-POPアーティストが来日する時の空港お迎えに行くのが当時の私の夢だったのだ。自分の人生における価値判断の基準が彼の存在になっていたのだ。
当時の私の細胞は、彼が発信する言葉・楽曲・パフォーマンス・公に出る姿で構成されていたと言っても過言ではないと思う。
徹底的にG-DRAGONを見つめる日々を過ごす中でふと気付いたことがある。
それは私にとって、“G-DRAGON”という存在が自分の教祖のような存在になっているということに。そして宗教の信仰のようになっていることに。
これまで誰かをカッコいいと思ったり、応援したいと思ったり、あるいは音楽が好きだと思っても、どこか自分の日常からは離れたところに存在しているものだった。別世界とまではいかないが、自分の日常と推しがいる世界を切り替えるスイッチのようなものが存在していた。だが、G-DRAGONを好きになってから、突然そのスイッチが消えた。自分の日常と彼がいる世界が一緒くたになっていた。ごちゃ混ぜになっていたのだ。そんな感覚を持つことが初めてだった。
そして気付いた。
「ああ、彼の真似をすることは彼の存在を感じることであり、キリスト教信者の方々がロザリオを身につけ、聖書を読むことと同じことなんだ」と。
同時に、そんな推しと同化できる世界にずっといたい、と思った。
結構究極なところまできていたと思う。今振り返って冷静に見ると、かなり盲目的だったと思う。
一体、彼の何が私をそうさせたのか?そこまでにさせたのか?
それはきっと彼の自己表現力の高さだったのではないかと思う。彼は自分が思ったこと、感じたこと、見たもの、聴いたもの、得るものすべてを吸収し、自分のレンズや価値観を通して、受け容れ、感性として昇華する。そして音楽やファッション、言葉や生き方でそれを表現していく。アウトプットとして残していく。彼から生み出されるすべての表現は、彼の考えや価値観、感性に裏付けられたものなのだ。そしてそれが世界中のたくさんの人を魅了している。私もその一人だ。そしてその事実こそが、彼の生き様がたくさんの人から賞賛され、彼自身が愛されている証拠なのだ。
これは誰しもができることではない。ほんの、ほんの一握りの限られた人、天才にしかできないことだ。
でもそれがとてつもなく羨ましかった。
自分に自信がなく、誰かに必要とされること、誰かに承認してもらうことを求める世界にいた私からしたら、とてつもなく眩しくて輝いていて、それこそ別世界だった。違う。そうわかっていても、自分を自分らしくありのまま表現し、人に認められる人間になりたかった。もちろんその裏にものすごい苦悩や葛藤があることも彼を見ていたので、わかっているつもりだ。
だが、“自分らしく在りたい”と、そしてその“自分らしさ”で人に認められたい、と。そう思うようになった。
ヴィジュアル系バンドの世界で「唯一無二の自分になれる」と錯覚し、彼を崇拝することで、「唯一無二になれた」と錯覚していた洗脳が解けた瞬間だった。
すべてはコンプレックスの裏返しだったのだ。でも自分のコンプレックスに気付いたこと、そして自分の欲求にこの時気付けてよかったと、今振り返っても思う。
「自分にしかできない自己表現をすることで唯一無二になりたい」と思っていることに。
おけい
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