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オッカケ経歴書〜前編〜

こんにちは。おけいです。

前回の記事でサラッと自己紹介をしましたが、「これまでどんなオッカケをしてきたの?」という経歴的なものをこの記事で書こうと思います。
経歴が長いので、前編と後編に分けさせていただきます(笑)


〜おけい 2歳〜

私がオッカケの前提となるファンのメンタリティーを持ち始めたのは2歳の頃。

家族は誰一人興味のないLUNA SEAのボーカル、河村隆一をどこからか見つけ出し、毎日「大好き!」と騒ぎ出します。

街のアイドルショップで売っている、表面はカラー写真、裏面は青と白のモノクロ写真で、下にでっかくアイドルの名前が書かれているという昔よくあった下敷きの河村隆一ver.を左手に、当時お気に入りだった人形に「河村まやこ」という名前を付け、毎日右手に抱えている2歳児でした。

当時母親はそんな娘を連れて街に出ると「あら、お母さんが河村隆一好きなの?」と聞かれるものの、全く好きではないため、毎回リアクションに困っていたらしい。

そしてある日、衝撃の一言を発しました。

「駅員さんに渡すやつ、河村隆一に渡したらお家に遊びに来てくれるかな?」

母親は驚きすぎて、声が出なかったそうです(笑)
まだ「切符」という言葉すら知らない2歳児がいきなりこんなことを言い始めたので、そりゃあそうです。
相当会いたかったんでしょうね、、
心の中では「結婚したい!」と思っていたと思います。

この河村隆一との出会いが私に初めて「ファン心」を芽生えさせてくれました。
(今でもひっそり応援中。)


〜おけい 9歳〜

河村隆一以降も様々な人を好きになりました。
スキー選手の船木選手だの、うたのおにいさんだった新納慎也だの、なんだの、とにかく自分が思うイケメンにはすぐ食いつく子どもでした。

そんな私に第2の転機が訪れます。

2003年、NEWSのデビュー。

そう、あの天下のジャニーズ。
いよいよ出会ってしまった、ジャニーズに。

当時バレーボールのイメージキャラクターを務めていた彼らに釘付け。

山下智久。

今もかなりイケメンですが、若い頃は可愛さもあって、当時の私は夢中になっておりました。
私には5歳離れた姉がいるのですが、姉は内博貴くん、私は山下智久くんにハマります。

デビュー曲「NEWSニッポン」が収録されたCDはセブンイレブン限定発売。
どうしても欲しい。
でも私が当時住んでたのはセブンイレブンが出店していない地域…。
悩みに悩んだ私は横浜に住んでいた70歳の祖母に一言。

「おばあちゃん!セブンイレブン行ってきて!そんでもってCD送って!!!!」

祖母は驚いていました。
今考えても思います。
70歳の祖母にジャニーズのCDを買いに行かせた孫の無邪気すぎるわがまま。
でも優しいんです、うちの祖母は。
買って、郵送してくれました。

そしてここから沼がスタートします。

初めて行ったコンサートはタッキー&翼の滝翼春魂。 姉と2人で行ったのですが、横浜アリーナまで父親についてきてもらい、参戦。
この日のために練習した振付も完璧で、死ぬほど楽しかったことを覚えています。
今でもこの時代の滝翼の歌を聴くと、完璧なほど。

本当に楽しくてそこからNEWSのコンサートや関ジャニ∞のコンサートにも行きまくり。
トロッコから身を乗り出してくれた小山くんとハイタッチできたことや、たっちょんに手を振ってもらったことは…今でも忘れられません。
ジャニーズでは山P、翼、まっすー、仁くん、たっちょんにハマり、本当に楽しませていただきました…。
「チェリッシュ」の衣装の手袋を作ったり、「好きやねん、大阪」のエイトくんを作ったり、うちわを作ったり、イッピ袋を作ったり、とにかく推しに気付いてもらうために必死になり、お風呂では毎日振付の練習にハモりの練習と激しくのめり込んでいきました。

「ジャニーズ大好き!」な私は中1になり、ある日転機が訪れます。


〜おけい 13歳〜

13歳になった私は小学生時代の友人と再会します。
その友人がなんと中学生になり、バンギャと化していたのです。

バンギャとは「バンギャル」の略で、ヴィジュアル系バンドの熱心なファンである女性のことを総称した言葉です。

私はこの友達との久々の再会をキッカケにバンギャルへとシフトしていくことになるのです…。
(まさかここで2歳の自分に原点回帰することになるとは誰が想像していたでしょうか(笑))

当時流行っていたヴィジュアル系バンドはthe Gazetteやアリス九號.、アンティック−珈琲店−、シド、彩冷える−ayabie−、ナイトメア、少女ロリヰタ−23区−、SuGなどなど。
所謂「ネオヴィジュアル世代」。
このあたりはほとんど聴いていました。

そんな中で一番どっぷりハマったのが彩冷えるでした。

当時の私は彩冷えるのボーカルの向日葵くんがとにかく好きで好きで、必死で追っかけていました。
実際の追っかけのHow toはこの彩冷えるのオッカケの時に学んだと言っても過言ではありません。
インストアイベントと呼ばれるサイン会やチェキ会、ツアーバンドだったので各地で行われるライブ、そしてこれらの移動経路での入待ちや出待ち、すべてをやりきりました。
中学2年生の頃がおそらく全盛期。
お小遣いをとにかく貯めて、家出少女ばりにオッカケをしていました。

ヴィジュアル系の世界にのめり込めばのめり込むほど、ファッションにも反映されていき、私服はパンクロック系に。
髪型もアシメの売れないホストみたいな髪型にし、少女ロリヰタ−23区−のリョヲ丞がオン眉の髪型にした時は可愛い!と同じ髪型に。
メイクも眉毛は極細で派手なシャドウに目の下にホワイトのアイライン的な。

そんな私に向かって、当時の担任が放った一言が

「お前、眉毛も前髪も無いけど大丈夫か?」

今考えたら結構ゾッとしますね(笑)
でもこのバンギャ時代は後にも先にもないくらい一番楽しいオッカケ生活だったと思います。
一緒にオッカケをする仲間もいたし、オッカケ対象のバンドマンたちとの距離感もちょうどよかったし。
あとはバンギャって本当に色々な人がいるので、人生の勉強にもなりました。

あの3年間は私にとって人生の宝物です。


前編はここまでとしますかね!
ちなみにこの前編は私のオッカケ人生の3分の1くらいです。
後編はかなりボリューミーになりそうですが、ジャンルとしてここが区切りが良いので、ここで切ります。
V系は本当に私の青春。
今彩冷えるが復活してくれたことは青春が帰ってきたみたいです。

この後の私のオッカケ経歴書もお楽しみに〜!


おけい

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