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TwitterでバズったSUPER GT最終戦の涙

12月1日(火)、ボーッと仕事をしていた時に事件は起きた。
何気なく私用のスマホを見ると、1件の通知が。
「Tadasuke Makino・牧野任祐さんがあなたのツイートを…」
よくわからん。なんだこれ?と思い、通知をタップすると、このツイートが。

ファッ!?!!?!?!牧野選手…!?!!?!?!え?!?!!?!?!私のツイート、RTしてる?!?!!?!?!と隠せない驚きと動揺、そして何よりも嬉しさが込み上げてきて、その後の仕事が手に付かなかったことは言うまでもなく。牧野選手はTwitterのタグ付けはあまり見ないと以前ライブ配信で話されていたので、牧野選手の目に留まったことがとても嬉しかった…!でもそれより何より牧野選手がRTしてくださったことにより、この感動的なシーンをたくさんの人に見ていただけたことが、何よりもいちばん嬉しかった。

あのシーンはRAYBRIGの優勝が決まり、山本選手がウィニングラップでガス欠になってしまい、パルクフェルメまで牽引されている時に撮影したものです。牧野選手は山本選手とマシンを出迎えるためにピットウォールからパルクフェルメに向かって歩いている途中でした。ピットのところをトボトボと歩いており、ちょうど平川選手のマシンが戻ってきたりしている時で会場としても興奮とバタバタで少し混沌とした状況でした。そのため、おそらくあの2人に気付いている方は少なかったと思います。私はサーキットにいる時は常に牧野選手の姿を追っていて、本当に偶然撮影できた写真で、私自身も涙を堪えながらシャッターを切っていました。

せっかくこのツイートがこれだけの注目を集めたので、私の知る限りにはなりますが、牧野選手のドライバー人生を支えたお2人のお話をしたいと思います。(※過去のメディアでの情報をもとに書かせていただきますので、実際とは異なることがあるかもしれません。お気付きの場合は教えていただけますと助かります。。)

安田裕信選手と牧野任祐選手

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今年SUPER GT 300クラスにGAINER TANAX GT-Rで参戦していた安田選手。日産のマシンに乗るドライバーであり、一見接点がなさそうに見えるこの2人なのですが、牧野選手は「ヒロ君」と呼ぶほど慕っている先輩であり、兄貴分なのです。
安田選手と牧野選手は関西を拠点として活躍されていたドライバーであることから牧野選手が幼い頃から接点があったのではないかと思うのですが、2人のドラマは2011年頃から始まったようです。牧野選手のお父様はレースがお好きで、クルマ好き。趣味でカートに乗られていたこともあるそうで、牧野選手がレースを始めるきっかけもお父様だったそうです。そのお父様が会社を経営されているのですが、2009年頃、会社の経営状況が苦しくなってしまい、一度活動を休止しています。そして2010年に再開し、2011年には全日本カートFS125クラスでチャンピオンを獲るなど、素晴らしい活躍を見せます。同時にFTRS(フォーミュラトヨタ・レーシングスクール)を受講して合格します。しかし、スカラシップ生であっても翌年のFCJ(フォーミュラ・チャレンジジャパン)に出場するためには数百万円の費用が必要になります。ですが、この頃、再びお父様の会社の状況が芳しくなく、費用を用意することができなくなってしまいました。スカラシップは辞退せざるを得なくなり、ドライバーとしての道は断たれたように思われました。そして牧野選手は「もう僕はレースを辞める」と決意してしまいます。
正直、モータースポーツという競技は他のスポーツと比べ物にならないくらいお金がかかります。以前、福住選手がカートからフォーミュラカーに転向した頃、練習機会を得るのに苦戦していた話をしていたのですが、その時にも「親に負担をかけたくなかった」という話をしていました。きっと牧野選手ご自身はもちろん、牧野選手のご両親も苦渋の決断だったことでしょう。
しかし、その牧野選手を止めたのが安田選手だったのです。安田選手も一時レース活動を諦めかけた経験があるそうです。「カートでも何でもとにかく乗り続けていたら絶対にチャンスがあるから」と安田選手はご自身が始めたカートチームHIROTEXに牧野選手を誘ったのです。安田選手はそれまで牧野選手と特別親しいわけではなかったそうなのですが、牧野選手の速さには気づいており、「辞める」という話を聞いた時に、何とかしたいと声をかけたのです。こうして牧野選手は安田選手のカートチームでドライバーを務めながら、様々な方の支援を受け、スーパーFJに出場したり、SRS-F(鈴鹿サーキットレーシングスクールフォーミュラ)を受講し、スカラシップ獲得まで漕ぎ着けたのです。

(↑牧野選手の物語を知りたい方はこちらをどうぞ)

今回SUPER GTで本山哲監督と牧野選手の写真を撮りながら「安田選手もすごい嬉しいだろうに…どんな表情だろう…」と思っていたのですが、残念ながらその姿を見つけることができず…。でもレース後、こんなやりとりが。

これを見て、2人の絆を感じると共に、SUPER GT最終戦終了後の会見でもこのような言葉が。

「僕自身の話になるんですけど、昔レースを辞めようとしたときに、メーカーは違うんですけど安田(裕信)選手のカートチームに拾ってもらって、そこでレースを続けさせてもらえることができたので、安田選手がいなかったら今僕はこの場にもいないと思うので、本当に安田選手には感謝しています」

感動。本当に感動した。
あの時、安田選手と牧野選手が出会っていなければ、今ドライバーとして牧野選手が活躍していることはなく、これまでの素晴らしい走りもない、そしてこの優勝もない。そう思うと、安田選手は牧野選手の恩人なのだろうと思います。


本山哲監督と牧野任祐選手

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本山さんとお呼びするのもモータースポーツファンとしてはなんだか違和感があるので本山監督と呼ばせていただこうと思います。(SUPER GTの文脈ですが、なんとなく。)
安田選手と牧野選手のつながりはご存知の方も多いと思います。では本山監督とは…?今回Twitterがバズった時にも「どこで接点が?」という声をたくさん見かけました。
実はこの本山監督との繋がりも実は安田選手のカートチームがきっかけだったようです。牧野選手のお父様がカートイベントを主催されていたことがあり、そこにゲストとして本山監督が参加されたこともあったようで、幼少期から牧野選手のことは知っていらっしゃったようです。

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そこから数年が経ち、前述の安田選手のカートチームHIROTEXで牧野選手がドライバーを務めていた頃、同時期に本山監督もカートチームTEAM MOTOYAMAをやっていたようで、カートを通じて親交を深めていったとのことでした。本山監督と安田選手は同じ日産のドライバーであることから接点も多く、ここから本山監督を親分、安田選手を兄貴として、牧野選手はグングンと成長していったのではないでしょうか?3人でシュミレータをしに行ったこともあるとか。そこで本山監督からサーキットの走り方を学んだこともあるそうです。
また牧野選手が2015年FIA-F4に参戦していた時、当時SUPER GTを走っていた本山監督がスタート前のグリッドに駆けつける姿が写真に残っていました。

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2016年に発売されたauto sportにはそんな2人の記事が載っています。そこにはこんな言葉が。

ーそれでは最後に、おふたりは師弟関係と捉えてよろしいですか?
牧野:本山さんは僕にとって親分。ヒロくんがアニキ的な存在ですね。
本山:え?任祐は他人だよ(笑)。

仲良しなんだろうな〜と思います。これを踏まえると、またこの写真の重みが増す。

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最後に

レースの世界って、メーカーの色が濃いですし、ドライバーもなんとなくメーカーによってキャラクターが分かれているように感じますが、強い選手はメーカー問わず、どのマシンに乗っても強いんだろうなと感じることがあります。牧野選手の速さはメーカーを超えた繋がりである親分とアニキに支えられているんだなと今回この記事を書いて改めて思いました。2020年のシーズンはもうすぐ終わってしまいますが、これからも親分やアニキ、HONDAの先輩たちから学んで、ますます強くなるんだろうなぁ。そしてそのうち牧野選手が先輩となり、後輩に教えを伝えていくような未来がすぐ来るんだろうなぁ。先日のSUPER FORMULAで大湯選手が優勝した時にパルクフェルメにやってきた牧野選手はその片鱗が垣間見えたような気がしました。

やっぱりモータースポーツって、レースって、こういう人間ドラマがあるから面白い。選手のこともっともっと知りたいなと思うのでした。



おけい

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