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自分に対する期待と失望のバランスが整い心地良い
「失望」なんて言っているので暗そうだが、初めに書いておくと、これは明るい話だ。タイトルに【朗報】とつけようか迷ったが、あまりにインターネットちゃんすぎるのでやめました。
自分に対する期待とは、言葉の通り「もっと私はこんなことができるようになるかも!」と、将来を楽観視する気持ちである。根拠が明確になく、自己肯定感も低いので、私にとっては信頼ではなく期待くらいの軽い言葉が相応しい。
自分への期待は人生において本当に大切なもので、これがあるからこそ色んなチャレンジができるし、頑張ろうという気持ちに繋がる。最近は学マスにおいて、もっと私のことねは輝けるだろう、私なら輝かせてやることができるはずだ、絶対いっぱい輝け、という気持ちに繋がり、周回に勤しんでいる。
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でも他人に対しての期待と同様に、自分に対しての期待もでかけりゃ良いというものではない。
こんなこと皆さん分かってると思うので書くまででもないが、自分の能力には限界があり、期待が実態へ対し大きすぎると乖離に苦しむことになるからだ。
期待というのは重量が伴う。重すぎる期待はその人を潰すか、耐えられても両肩がムキムキになり、美容垢に肩ボトックス200単位注射を推奨されるような有様になってしまう。最近は鍼も効くという有力情報を得た。
とにかく、いつか私だって石油王に、と思っても、無理なもんは無理。
どちらかというと大人になって、私の能力って努力したとてこの程度だろうな、ということがわかってきて、肩の荷が降りたような気持ちになった。つまり自分に対する失望である。
つまんね〜大人になったとクソガキに言われそうなことを書いているかもしれない。
余談だが、たまにイイ歳こいてもつまんね〜大人になることをやたらと拒む思春期野郎がいるし、面と向かってそういうことを言われたこともある。そのたびに、そもそもあなたはそんなにおもしれ〜ガキだったんですか?と思う。どうせつまんなかったでしょ。今に始まった話じゃない。つまんないもとい無難なガキが年を重ね、より無難な大人になっただけだ。私と同じだよ。急にキレすぎだろ。
話を戻すが、肝心なのは、期待と失望のバランスだ。期待が大きすぎる弊害は前述の通り、失望が大きい弊害は、何もかもに対するやる気を失ったり自己肯定感がますます下がることだと思う。
私はまだまだ自分に対して期待している。でも期待がもたらす重量を、失望が軽減させてくれて、少しだけ気分が軽やかだ。
だからなのか、最近は以前よりも人生を上手く速く走れている気がする。気のせいかもしれないけど…。多分ね…。
今後も自分の舵取りをしつつ、こんなことまだできるかも!いやこの程度かも!いや頑張ったらもう少しはできるかも!と一人で大騒ぎしながら駆け抜けていく。
最後に関係ない話を。
わかりやすいタイトルをつけようと頑張ってるんだけど、私の能力だとどうしても長ったらしくなってしまい、そうすると銀魂のタイトルコールみたいになってしまって嫌だなオイィィィと思う。私の心の中ではこのnoteのタイトルは黒背景に白の筆文字で書かれている。
ちなみにAIに書いてもらったらこうなった。
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あとサムネもいつも困ってます。
とりあえず適当に自分が撮ったかわいいミッフィーを当てがっているよ、助けて〜