Z世代の大学生が大量に変なサークルを作っているので、その原因を調べてみた
世の中には記録に残りやすい歴史と、残りにくい歴史がある。だとすると、これから述べることは明らかに後者であろう。だからこそ、私たちはそれを記録しなければならないのだ。これから記述することは、日の目を見ない、しかし多くの人が関わった「マイナーサークル」の歴史である。
2010年代に大学生活を過ごした人は知っているだろうが、2010年代のTwitter上で大量の「変なサークル」が誕生した。例えば、以下のようなサークルである。
これだけ見れば、ただ学生の悪ノリにしか見えないだろう。実際に上記のサークルはめぼしい活動をしていない。こうした実態のないサークルをSNS上で設立することが2012年ごろからネットミームとなり、2014年以降、すなわちZ世代の大学生の間で非常に流行した。筆者は珍サークルウォッチャーとして、自身でサークルを運営しながら、2016年以降の6年間、大阪大学を中心にこの現象を観測してきた。
その調査結果がこちらである。2022年1月28日時点でSNS上に存在する阪大の変なサークルをまとめた。「阪大 サークル」「阪大 研究会」「阪大 愛好会」「阪大 同好会」「阪大 会」「大阪大学 サークル」「大阪大学 研究会」「大阪大学 愛好会」「大阪大学 同好会」「大阪大学 会」で検索したり、フォロー欄などから辿ることでサークルを探し出し、それぞれの活動開始、活動終了、フォロー数、フォロワー数、ツイート数、対面活動の有無、初ツイート(自己紹介ツイート)のリツイート数を記入した。
その数なんと302団体。1つの団体の捜索・記入に5分程度かかるので、ぶっ通しでやっても302✖︎5=1510分、したがってこの調査のために25時間もかかってしまった。もちろん、昔のサークルは既にアカウントが無くなっているものも多いので、実際には500団体以上存在したと思われる。ちなみに、この数字は大阪大学だけのものである。有名21大学(七帝大、一橋、東工、関関同立、早慶上智、MARCH)に絞っても、500団体✖︎21=10500団体。
この7、8年の間で10,500団体以上の変なサークルが生まれていると試算されるのである。ようやく、我々が置かれているこの状況の異常性がわかってきただろうか。さらに、フォローやリツイートという形で消極的に関わった人はもっと多い。例えば、大阪大学のサークル302団体のフォロワー数の合計は74,334人だった。こうしたフォロワーたちもこの現象に関わったメンバーとして数えるならば百万人を超える人が関わったことになる。
規模感が伝わりにくいかもしれない。1969年9月、全共闘運動のスターであった東大全共闘の山本義隆議長と日大全共闘の秋田明大議長が、日比谷野外音楽堂で「全国全学共闘会議」を結成したとき、その参加人数は26,000人であったと言われている。すなわち、"68年"の学生運動が数十万人規模であったとすると、この「変なサークル」ムーブメントはそれと同等、いやそれ以上のムーブメントなのである。
もはやZ世代の全共闘とでもいうべきこのムーブメントだが、その担い手であるZ世代の大学生は一体なぜこの現象を引き起こしたのか。そのことについて調べているものは、我々「変なサークル学会」以外はいない。「変なサークルムーブメント」は歴史上、無かったことになるのである。これは普通にしていれば、誰も気にもとめない歴史である。
なぜZ世代は変なサークルを作ったのだろうか?
それが、この文章の問題意識なのである。少し長くなってしまうが、順を追って説明しようと思う(ちなみに1.7万字あるので心してかかってほしい)。
Z世代の大学生の置かれた社会背景
Z世代と括られるとき、多くの場合「生まれたときからインターネットがあるデジタルネイティブ」のように紹介される。しかし、年代ごとに置かれている状況は少しづつ異なっている。2022年現在では、instagtamの利用率が上昇している。そのため、instagtamで勧誘を行うサークルも少なくない。
だが私が大阪大学に入学したとき(2016年)は、まだinstagtamの流行は起きておらず、連絡はもっぱらLINEかTwitterであった。以下のグラフは東工大の調査によるものだが、私の実感とそう違いはない。
2016年当時の様子を紹介しよう。多くの人が大学専用のアカウントを作り(いわゆる大学垢)、#春から阪大といったハッシュダグで新入生同士が繋がり、LINEグループへと誘導される。学内の部活動・サークルも、アカウントを作り、新入生と思しきアカウントを大量フォローし、直接勧誘を行う。そのため、SNSをしていない学生は圧倒的に情報を得るのが難しく、大学デビューに「乗り遅れる」可能性が高かった。
この状況は、インスタが流行する今でもそれほど変わったわけではないが、2015年~2018年あたりは今よりもTwitterの影響力が大きかったというのは間違いないだろう。また、それ以前(~2014年)になると、mixiの影響力が残っている。
変なサークルが大量に発生する上で、不特定多数に共有する(リツイートする)機能があるTwitterの存在は重要であった。mixiやinstagtamにも変なサークルは存在するが、Twitterとは比べようもないほど少ない。2015年以降の変なサークルの流行は、Twitterの流行と軌を一にしているのである。
変なサークルブームの黎明期「ぼっちサークル」運動
さて、少し時間は前後するが、2012年~2013年ごろ、Twitter上で「ぼっちサークル」ムーブメントが生じた。詳しくは、変なサークル学会の第一報であるべとりん氏の記事を見ていただきたい。
べとりん氏は、ぼっちサークルに代表されるようなTwitter上に大量に登場した活動目的不明のサークル群を「Twitterサークル」と呼称し、以下のように3つの特徴があること指摘した。
事実、当時ぼっち系サークルだけでも全国に数十団体、童貞サークル、帰宅部、ダメ人間の会など合わせると、百を超えるTwitterサークルが存在していた。SNS上で変なサークルを作るブームの、源流の一つであることは間違いだろう(その他には、成瀬心美同好会、SOS団などもムーブメントとして存在した)。
しかし、こうしたぼっち系のサークルと、2014年以降増加したサークルはその性質において大きく異なっているように感じる。それは、特徴の1番目である「普通の人間関係に伴う居心地の悪さを避けることを志向する」という点である。べとりん氏は以下のように指摘する。
だが、このような”生きづらさ界隈”としての性質が、初めに例に挙げたような「微分サークル」や「大阪湾を味噌汁にしようサークル」にあるように思えない。むしろ、こうしたサークルは「居場所」よりも「話題を集める」活動を志向しているように思える。
筆者はこれをTwitterサークルと区別する形で
インフルエンサーサークルと呼ぶことにした。
2014年以降、すなわちZ世代の大学生たちが、多くのインフルエンサーサークルを設立し、そしてそれがSNS上の変なサークルムーブメントを主導していったと考える。その事例として大阪大学におけるインフルエンサーサークルの歴史を紹介したい。中でも、ブームのきっかけとなった二つの団体を紹介する。この二つは奇しくも同じ年、2016年にインフルエンサー化した。
インフルエンサーサークル①阪大農学部
一つ目が阪大農学部である。「大阪大学には農学部はないが、『阪大農学部』はある」というスローガンに表されるように、存在しない学部の名を、彼らは勝手に拝借した。本来公的な呼称であるはずの「阪大農学部」という単語をハッキングし、公的とは対称的なアナーキーかつそれでいてポップな活動を次々打ち出して行ったのである。
さて創設者である木村さんはインタビューの中で「生活費を稼ぐため」学祭(2016年5月)に出店したところ「サークル名に興味を持った新入生が『入りたいと言ってくれて』」と述べている[1]。つまり、阪大農学部は一回きりの「ネタ」であったが、そのネタ性ゆえに多くの新入生が集まった。例えば、阪大経済学部の学生が「阪大農学部」に所属しているという事実はそれだけで面白く、以下のツイートのように阪大農学部に行くだけでも注目を集めることができた。
阪大農学部は、「農」を基盤として多彩な活動を行なっている。下記のツイートがバズっているように、学生サークルである場合「何かを極め過ぎてしまう」というのは、しばしSNS上ではネタとして消費される。
注目すべきことに、当時の阪大農学部はスローガンとして「脱法は違法ではない」を掲げており、実際に「そんなことしてもいいの?」と思えるような破天荒な活動を数多く行なった。その代表例が2016年の鶏小屋の建設だろう。学内の敷地に無断で鶏小屋を建設し大学当局と揉めたのである。学生センターとの争いは当時、SNSで実況中継されており、大きな注目を集めた。私自身、ハラハラしながら見守っていたことを覚えている。
これは6年も昔の話しであって、現在これらの建造物が存在するかは不明である。しかし2016年当時において一時的にであれ黙認されていたことは特筆に値する。
他にも、大学祭で芋煮を販売し100万円overの最多売上を記録したり、近隣の畑を借りて農業をしたり、生ハムの原木でパーティをしたり、メダカの品種改良をしたり、箕面市長と会談をしたり、...etc、とSNS上での話題には事欠かない団体であった。Twitterサークルでありながら、現実世界でインパクトある面白い活動を次々と打ち出す姿は、当時大学1年生だった私からすると衝撃的だった。その高い注目度は、学内メディアや地元新聞等で取り上げられたことからも確認することができる。特に代表であった木村氏は、学内で行われたアンケートで見事「阪大でいっちゃんおもろい学生」に選ばれ、毎日新聞に取り上げられている。
阪大農学部自体は木村氏卒業後の現在も存続している。初期のアナーキーさはないものの、高いネタ性はSNSからも伺うことができる。また、メンバーの一部が「ともだちの家」というフリースペースを運営するなど、その活動はさらなる広がりを見せている。
インフルエンサーサークル②空気抵抗サークルと積分サークル
二つ目が空気抵抗サークルと積分サークルである。阪大農学部から遡ること2年前、積分サークルは2014年に以下のツイートで鮮烈にデビューした。一方で、空気抵抗サークルはその二日後に設立されている。
リツイート数から見てもかなり話題になっていることが分かるだろう。だが、活動初期は対面での活動をした形跡はない。例えば、以下のツイートでは新歓スケジュールを提示しているが、実際には行っていないようである。ときどき理系のネタツイートをするだけのものであり、実態のない架空のサークルであった。
しかし、これらのサークルは阪大農学部と同時期である2016年を境にインフルエンサー化し、2017年に活動が活発化する。そのこと説明するためには、まずこのサークルの創設者を紹介しなければならない。
人によっては驚かれるかもしれないが、実はこの二つのアカウントの運営者はどちらもyoutuberのはなおである。
現在、「はなおでんがん」というチャンネルで、阪大の同級生であるでんがんとともに活動している。チャンネル登録者数は175万人(2022年1月31日現在)で、2021年の男子高校生向けの人気youtuberランキングでは、東海オンエアに次いで第二位を獲得している[2]。
現在では国内有数のトップクリエイターである彼であるが、これらのサークルを作った2014年4月はまだyoutuberになっていない。ただの大阪大学基礎工学部の学生、平澤(注:はなおの本名)君でしかなかった。インタビューで明らかにしているように、当時はニコニコ動画に投稿していたようである。youtube活動をスタートし、”はなお”になったのは2014年の11月のことであった[3]。
もちろん動画投稿をはじめてすぐに有名になったわけではない。半年後の2015年5月になっても、はなおはまだ300人しか登録者がいなかったのだ。しかし、そこから快進撃が始まる。1ヶ月後の2015年6月22日には登録者数1000人を突破、2016年3月5日には1万人を突破したのである[4]。この時期になると学内ではなおは有名人であった。私の友人らが、はなおに写真を撮ってもらったことを自慢するほどに。
話を戻そう。以上のように、2014年~2015年の段階では、はなおよりも空気抵抗サークル&積分サークルの方が知名度が高かった。しかし、2016年3月に登録者数1万人を突破した時点で、ついにはなおの知名度の方が逆転したのである。そして、この逆転したタイミングで、彼はこの実態のない架空サークルを「利用」し始めるようになる。すなわち2016年4月、積分サークルと空気抵抗サークルの新歓が行われたのである。
ここでの合同新歓の様子は、以下のようにYOUTUBEの動画として投稿された。ここでは、のちにYoutuberとしてはなおの動画に数多く出演することになるキムも参加している。
2016年度は積分サークルが出演することはなかったが、2017年5月1日「積分サークル始動!秒速5センチメートルは本当に正しいのか花びら落下実験したら想像以上に速かったww新海誠チャレンジ、略してマコチャレ!」を皮切りに、5月15日「積分サークルによる飲み会が大学一マジキチすぎた...」10月2日「試験倍率600倍!積分サークルの新入部員は現れるのか?サークル活動に完全密着!!」10月3日「積分サークルで積分代行サービスのビジネスをはじめます」10月8日「積分サークル、解散の危機。」など積分サークルにフューチャーした動画が頻出するようになる。マサラタウン氏やラザール氏などの初期に頻出していたメンバー(主にウィンドサーフィン部のはなおの同期)は、しだいにこの積分サークルと入れ替わっていった。
当時私の友人が積分サークルに所属していたが、はなおが動画の要員として頭数が必要なときに、その都度LINEグループで声がかけられていたらしい。
そして2018年4月11日「【阪大王】新入生50人vs積分サークル早押しクイズバトル!!」が最後の新歓だった。この新歓で、のえりん、さるえるといった後の主要メンバーが登場しているが、これ以後、積分サークルが部員を募集することは無くなった。ちなみに筆者は当時この新歓に参加し、この動画にもほんの僅かながら見切れている[5]。
この動画ののちに、積分サークルの個別アカウントが生まれ、積分サークルのメンバーは、はなおとは個別にも活動するようになる。こちらは現在、登録者数46.7万人であり、単体でもかなり人気がある。また、メンバーとはなおの関係は継続しており、現在も積分サークルのメンバーの一部が、はなお(現在のチャンネル名は「はなおでんがん」)やサブチャンネルである「株式会社ホエイ」の動画に頻繁に出演している[6]。
インフルエンサーサークルの特徴
さて、べとりん氏によると2010年代前半に多数存在したTwitterサークルは、以下のような特徴を持っていた。
積分サークルも阪大農学部も、2と3は満たしている。存在自体がネタであったことは明らかだ。さらに、どちらもTwitterサークルに特徴的な先にTwitterアカウントが存在し、後から実際の活動が付いてくるという変則した形を満たしている。
しかしその一方で1は満たしているとは言い難い。まず、阪大農学部の方から検討しよう。阪大農学部は「サークル選びがうまくいかない新入生のセーフティネット」と一部から言われているように[7]、そのような性質がないわけではないが、創設者の設立目的が居場所作りであるようには見えない。むしろ目的は直接的・間接的であれ「面白いこと」をすることであり、その行為がしばしば「SNS上で注目を集めた。ここで彼らが目立つことを目的にしてたかは問題ではない。いずれにせよ阪大農学部はインフルエンサー的であったのである。
そして積分サークルに関してはより顕著である。はじめこそ架空のネタサークルであったが、2016年からはSNSで注目で集めるために露骨に団体を利用するようになっている。積分サークルは、はなおの動画において「大学生らしさ」や「理系らしさ」を維持する上で欠かせない役割を担っており、(積分サークルの部員には主体性があるものの)、はなおが自らのマーケティングのために、「サークル」と「そこに所属する学生」を利用している側面があるのは間違いない。その意味で、インフルエンサー的であるといえよう。
全国でも増加するインフルエンサーサークル
さて、このようなTwitterサークルのインフルエンサー化は阪大だけではなく、全国的に行われていた。その早期の例は東大みかん愛好会(2013年設立)と、サークルクラッシュ同好会(2013年設立)であろう。どちらも、設立当社は完全にネタだったが、次第に活動がベタになった。例えば、前者は2014年に大学祭で「みかんジュースの出る蛇口」という企画を行い話題になった。
他にも、早稲田エナジードリンク研究会(2014年設立)、大学のお水飲み比べサークル(2016年設立)、そして私の設立した阪大トイレ研究会(2017年設立)などがある。こうしたサークルは数千~数万人のフォロワー数を抱え、テレビや新聞、webメディアなど、様々なメディアに取り上げれられた。
またサークルを肩書きとして利用したYoutuberだと、京都大学キャップ投げサークルの創設者わっきゃい(執筆時の「わっきゃいチャンネル」の登録者数64.8万人)、東京大学クイズ研究会所属で知識集団QuizKnockを設立した伊沢拓司(執筆時の「Quizknockチャンネル」の登録者数180万人)。どちらかと言えばテレビタレント寄りではあるが、東大謎解きサークルAnotherVisionの元代表である松丸亮吾(執筆時の「松丸亮吾 / RIDDLERチャンネル」の登録者数22.9万人)などがいる。
すなわち2010年代後半以降目立ったtwitterサークルは、居場所指向的ではなくインフルエンサー的であり、以下のような特徴を持っていたといえよう。
もちろんSNS上で話題を集めようとする理由はさまざまである。イベントの集客、部員募集などの間接的なものもあるだろう。一方でYoutuberは活動目的それ自体が話題を集めることである。いずれにせよ、その活動は外部に向いている[8]。
阪大農学部、積分サークル以後の阪大マイナーサークル
さて阪大農学部や積分サークルの登場後、大阪大学では様々なTwitterサークルが生まれ、その中には数千ものフォロワーを抱える人気インフルエンサーサークルも生まれた。特に話題になったものをいくつか挙げよう。
もちろん、これはほんの上澄みだけである。実際は、多くの団体がここまで目立つことなく、活動を停止している。本論の冒頭で紹介したリストはまさに、そのような死んでいったサークルの様子である。
手前味噌であるが、筆者はこのような状況に問題意識を持ち、2019年からマイナーサークル合同説明会の運営に携わった。これは毎年春に開催され、2021年には3回目が開催された(注:3回目は別の方が運営)。
以上のように、2021年の現在においても脈々とインフルエンサーサークルが誕生している。
インフルエンサーサークルはなぜ増加したか
それではいよいよ本題である。なぜこのようなインフルエンサーサークルがなぜ大量に生まれたか、すなわちなぜZ世代の大学生たちは居場所志向から注目志向になったのであろうか。
個人的にはこの注目志向への移行は、Z世代の若者に限るものではないと考えている。
2010年代後半から、SNSが加速度的に発達し、TwitterやYoutube、instagramなど、人々が1日に摂取する情報量はこれまでとは比べものにならないものになり、欲しい情報を手に入れようにもむしろノイズが多いという状況になった。その結果、ヒッピー的な「思想の自由」に基づいたWWW(ワールドワイドウェブ)はもはや機能しておらず、インターネットの世界は、情報の内容よりもいかに注目を集めるかというアテンションエコノミーの場となってしまったのである。
初期のTwitterにあったような、現実に馴染めない人のためのアジール的な空気は薄れ、SNSもまた資本主義的の土壌になった。「ぼっちサークル」が、「ぼっち」をキーワードに連帯をしようとしたのは既に過去のものとなり、パーカーを代表する「ぼっち系Youtuber」が数多く活動する世界。「ぼっちである」ことすらも、アテンションエコノミーに回収されてしまうのである。
若者の欲望も、「社会に馴染めない」から「社会で目立てない」=「何者でもない自分」というものが増えた実感がある。いや、そもそも「社会で注目されていない人」は存在していない人=透明な人間である。インターネット上にいない人は、あたかも存在しない人のように映る。
この「居場所」から「注目」への変化は漫画における「ぼっち」の表現からも読み取ることができる。谷川ニコの『私がモテないのはどう考えてもお前たちが悪い!』(2011-)の主人公・黒木智子は第一話でぼっちであることを気にし、そんな自己を肯定するため、群れる他の高校生に足して攻撃的になる。
しかし一方で、『宇崎ちゃんは遊びたい!』(2017-)の主人公・桜井真一はぼっちであることを意に介することはない。それはぼっちであることを肯定しようという自意識の試みではなく、文字通り「全く気にしてない」のである。一方でヒロインである、宇崎はその名の通り「うざい」くらいに主人公に絡んでくる。だが主人公(とその主人公に感情移入する読者)は、この性的に魅力的で可愛い宇崎に過剰なまでに注目を浴びることで欲求を充足させる。これは、まさに居場所から注目へ変化を表している。
この注目への志向は、SNS上の変なサークル以外にも、大学お笑いブームや、大学生Youtuber/大学生インフルエンサーの増加、果ては意識高い系ブームなども当てはまるだろう。
まとめると、10年代後半に変なサークルが大量にできた理由は、Twitterがアテンションエコノミーの場になったこと、そしてZ世代の若者の欲望の対象が「居場所」から「注目」に変化したことなどが考えられる。
なぜ「大阪大学」であったのか。
しかし、これだけでは「大阪大学」にTwitterサークルが多かった理由を説明しきれていない。実際の数を調べていないので分からないが、大阪大学では京都大学や早稲田大学に並んで日本でもトップクラスの数の「変なサークル」が存在した。ただ、京都大学や早稲田大学は、昭和の頃から伝統的に「変なサークル」が多く存在していたのに対し、大阪大学ではそうではない。では一体なぜ大阪大学でこれほどまでに変なサークルが生まれたのだろうか。
理由は主に3つ考えられる。一つ目が、一部の大学教職員が「変なサークル」に融和的であったためである。阪大農学部が鶏小屋の件で揉めた際にも、一部教員が理解を示し積極的に擁護した。トイレ研究会の活動でも、複数の教員や職員が理解を示してくれ、むしろ教職員側から活動の依頼が行われ、その結果が学内のトイレ改修などに結びついた。中でも中村征樹教授と伊藤雄一教授は、自らも現在YOUTUBEで活動するなど、インターネット文化に精通しており、これら二人の先生はしばしば「変なサークル」に接触している。私の運営しているトイレ研究会でも大変お世話になった[9]。
二つ目が学生管理が緩かった点である。京都大学をはじめ全国の大学で10年代後半から学生の管理強化が進み、変な活動がなかなかしづらくなった。しかし、大阪大学では、歴史的にルールを破る人がいなかったためか、逆に学生管理がそれほどキツくなかったのである。いや、公にならない場合に限って見て見ぬ振りがされたというのが適切であろう。
例えば2010年代前半~2020年ごろまで、「アジール」という団体が学内で深夜勝手にバーを開いていた。場所は主に、全学教育推進機構のC棟のピロティで、複数種類のお酒に加え、簡単な料理も提供されていた。筆者は2016年にこのアジールに通ったが、その時は映画が深夜上映されたりしていたり、文学的な学生の交流の場となっていた。参加者の中には大学の博士後期課程の学生や大学教員もいた。筆者が2022年にアジールの最後の代表に聞き取りを行ったところ「警備員・教員ともに咎めるものはいなかった」とのことで、事実上その活動は黙認されていたようであった。また、前述の通り阪大農学部の鶏小屋が設立されるも、一時的に放置されていたのも同様だといえよう。もちろん、こうした活動は、公になったり、教職員の上層部に知られた場合は問題になっただろうが、そうでない限り黙認されることも少なくなかったのである(注:現在はどうかわからない)。
最後の一つが、定期的に人気インフルエンサーサークルが生まれたことであろう。積分サークルを起点とし、阪大トイレ研究会、お嬢様部、感傷マゾ研究会などは、他大学にも類似サークルができるなど、大きな影響力をもった。こうしたサークルが目立ち、定期的に「薪をくべる」ことで数多くの変なサークルが生まれたのである、実際、マイナーサークル合同説明会の前後では、必ず数多くの変なサークルが生まれた。既存の変なサークルを見て「自分も作ってみよう」という心理が働いたものと見られる。
インフルエンササークルの負の影響
さて、これで大方の疑問には答えられたが、最後にインフルエンサーサークルの負の影響についても指摘しなければならない。その代表例が「東京大学誕生日研究会」である。この団体のTwitterのプロフィールには、「誕生日を楽しく過ごすにはどうするべきか?そんな真理の探求を目指したインカレサークル」と書かれている[10]。
これだけ見れば、他のTwitterサークルと何ら違いがないように思われるし、新歓コンパでは20名も集まり、成功しているようである。
だが、その内実は全く違っていた。
そう、この誕生日研究会は「わいせつサークル」だったのである。覚えている方も多いとは思うが、この事件は通称「東京大学誕生日研究会レイプ事件」と呼ばれ、社会問題化した。2018年には、姫野カオルコがこの事件をテーマとした小説『彼女は頭が悪いから』を著している(作中では「星座研究会」とされている)。
10年代に大学生活を過ごしたもの以外は「誕生日研究会」と聞いて、まず「怪しい」という直感が働くと思うが、2010年代後半においてはそのようなネタサークルは多数存在しており、学生の多くは怪しいと認識していない。真偽は不明だが、新歓に20名も参加しているのが、その証左である。
2010年代前半はまだある程度の危険意識が働いており、京都大学を中心に活動するサークルクラッシュ同好会が「危ないサークルにご用心」とメタ的に自己言及しているのは象徴的である。
いずれにせよインフルエンサーサークル、Twitterサークルの流行により、多少怪しそうなサークルでも(特に首都圏においては)簡単に集客が可能であったし、大学非公認サークルであることに対する学生の危機意識は確実に低下した。変なサークル学会の調査員の1人である茂木響平(@mogilongsleeper)の聞き取り調査によると、誕生日研究会以外にも、都内私大の某サークルは「女子学生を集めるために」、女子学生が好きそうなテーマのTwitterサークルを設立したという。筆者はまだ聞いたことがないが、カルト宗教団体や政治団体のフロントサークルの例もあるかもしれない。
まとめと振り返り
以上のように10年代後半におけるインフルエンサーサークルの増加とその社会的背景について分析を行った。
残された疑問は2つである。一つ目は、べとりん氏の指摘したような居場所志向的なサークルはどこにいったのかということ。二つ目は、これからの変なサークルはどのように展開するのかということである。個人的には、シェアハウス、感傷マゾ研究会、お嬢様部がキーワードになると思っている[11]。
が、それについては他の研究員の詳細なレポートを待ちたい。読者諸氏は、引き続き変なサークル学会をチェックしてほしい。
また、変なサークル学会では「変なサークル」に関する情報を集めている。「昔、こんな変なサークルがありました!」のような情報があれば、当団体のTwitter(@circle_ofcircle)まで連絡をいただきたい。
調査員:サイボーグおでん
<参考文献&補論>
[1]トアエル2019年春号「池田市でうわさのあの人にtoael記者が 突撃インタビュー!」https://toael.jp/twp/wp-content/uploads/2019/07/vol5.pdf, (最終閲覧日:2022/01/31).
[2]Yahoo Japanニュース「高校生に人気のYouTuberランキング、3位 はなおでんがん、2位 コムドット、1位は 東海オンエア」, https://news.yahoo.co.jp/articles/5e3ef9346387ff9a903ce65e9e3c278731b12b66 ,(最終閲覧日:2022/01/31).
[3]新R25「高学歴YouTuberはなおと振り返る経歴。大学卒業後、大企業の内定を捨てた理由とは」,https://r25.jp/article/640093930574111122,(最終閲覧日:2022/01/22).
[4]はなおTwitterアカウント(@hanao87_0) ,https://twitter.com/hanao87_0/status/705879232065331200?s=21, (最終閲覧日:2022/01/22).
[5]個人的な話だが、新歓での異常な体験について詳しく述べたい。50名の参加者は、豊中キャンパスの指定の場所に集められ、徒歩ではなおの住んでいるマンションまで案内された。この日の「はなお」の説明によると「複数人で動画を作るのが好き。なので仲間を探している」という風なものであった。しかし26歳の阪大OBがサークル/仲間と称して、10代の大学生を集めていることにまず違和感を覚えた。動画撮影の後、希望者は はなおと個別で面談し、そこでは「編集に興味はあるか」「どの程度やる気があるか」「何か特殊技能はあるか」ということを確認された。筆者は、単純に面白そうだから来たのであって、面談という形で「こいつに利用価値はあるか」と目利きされたことにかなり面食らった(というか不快だった)。その時は「ときどき出る程度なら構わない」のような答え方をしLINE交換をしたが、その後連絡が来ることはなかった。要するにセレクションに落ちたのである(積極性に欠けていたので致し方ないが、そもそも面接されると思ってなかったのに勝手に落とされたのは尚更不快だった)。
[6]余談だが、2018年4月時点の積分サークルは"サークル"とは言えない。はなおと積サー部員の関係はもはや"対等"ではないからだ。権力者・はなおが、特定のメリット(お金、あるいは注目など)をチラつかせつつ、歳下を集めるという形式は、さながらベンチャー企業である。その意味で、2019年以降はなおがサブチャンネルの名前を「株式会社ホエイ」とし、積分サークルのメンバーを社員として扱うようになったのは自然の流れといえる。
したがって、積分サークルがインフルエンサー"サークル"であったのは、2016年~2017年の間だけと言える(事実、積サー部員のキムはこちらのインタビューで、この時期の積サーはYouTubeに関わっていることを知らなくても入部できたことを示唆している)。
「インフルエンサーサークルを極めると権力関係が強くなり会社になる」という事例は、積サーに関わらず、バー「ミズサー」を運営するようになった大学のお水飲み比べサークル、代表が株式会社みかんを設立した東大みかん愛好会などがある。しかし、これらの団体が、サークルのイメージと会社を切り分けているにも関わらず、はなおがサークルの肯定的イメージを利用しながら会社との切り分けを行わないのは欺瞞としか言いようがない。このような隠蔽工作を続けながらも、良い上司/良い先輩/良い社会人を演じようとする彼を、筆者は悲しくて見ていられない。
[7]ネオテキジュク「阪大団体紹介vol-2『阪大農学部』」,https://neo-tekijuku.com/阪大団体紹介vol-2【阪大農学部】/,(最終閲覧日:2022/01/22).
[8]余談だが、筆者は普通のサークル、Twitterサークル、インフルエンサーサークル、ネタサークルの違いを以下の図のようにイメージしている。
[9]興味深いことに中村教授は、学生にお勧めする本として松本哉(注意:90年代後半から00年代前半にかけて活躍し「法政の貧乏臭さを守る会」など、変なサークル史においての重要人物)の著書を勧めるなどしている。発言したインタビューの元記事が見つからなかったが、事実確認は中村先生に直接チェック済み。
[10]東京大学誕生日研究会Twitterアカウント(@TankenTodai) web archive
https://web.archive.org/web/20160525163951/https://twitter.com/TankenTodai ,(最終閲覧日:2022/01/22).
[11]①シャアハウス、②お嬢様部、③感傷マゾ研究会についてそれぞれ簡単に解説しよう。
①変な学生サークル内で、シャアハウスを行う団体は多い。クジャク同好会の「クジャクハウス」(通称、クジャハ)、ボヘミアンの「ボヘハ」、漫トロピーの「漫トロシェアハウス」、サークルクラッシュ同好会の「さくら荘」。シェアハウス以外でリアルなスペースがあるものとして、「鳥取大医学部カクテル部」のバーや、「阪大農学部」のフリースペース「ともだちの家」など。変なサークルは部室を得にくく、居場所の側面を失いがちだが、このようなリアルなスペースがあることで補うことができる。90年代以降の変なサークル運動で重要な役割を担ったのが学生自治寮であったように、物理的に居場所があることは魅力的である。
②お嬢様部は2020年以降突如として増加し、お嬢様部wikiには100以上のお嬢様部が掲載してある。彼ら・彼女らは「~ですわ」といったお嬢様言葉を用いて緩くつながっており、アライさん界隈に近いところがある。お嬢様部wikiに「創設開始に伴いお嬢様同士のFF関係が締結されるためある程度の認知度が得易く、初動で躓く懸念は無い。従って創設時の環境は十分に整備されている。しかし裏を返せば、そこから如何に規模を拡大していくかは運営者自身の戦略と熱意にかかっている」とあるように、居場所的でありながら、インフルエンサー的にも振る舞うことができる。現時点では、アライさん界隈のように、自助グループ的な性質はまだそれほどないようにみえる。
③一方で、感傷マゾ研究会は、ある種の自助グループ的な性質を持ち合わしている。「理想の青春を遅れなかった」をキーワードに、生きづらさを抱える人が集まる傾向がある。しかし、運営のぺしみ君は居場所的な部分に興味がないようにみえる。
以上のように、今後の変なサークルは(これまでもだが)、居場所志向と注目志向をいかにバランスをとるかが重要になるだろう。特に変なサークルは、「普通の」サークルに馴染めなかった学生が集まる傾向にあるため、そうした学生のセーフティネットとなりうる。変なサークル運営については今後の研究が待たれる。