診断
もうすぐ2020年も終わりですが、これはまだ今年4月末のお話。
急に大量の髪が抜けて、焦った私は病院を探した。
しかし、この時期はゴールデンウィーク中かつ、緊急事態宣言中。試しに区の休日当番になっていた中規模病院に電話をしてみたが、診察を断られてしまった。普段は皮膚科もやっているが、専門医は連休明けまでいないという。患部が痛いわけでも、血が出ているわけでもない。となると、こんなに異常事態であっても、「待つ」という案内しかできないようだった。悲しいが、予想通りの返答だった。ただ、その電話ごしの方は「休日にやっている皮膚科はあるはず」と「ひまわり」という東京都の医療検索サイトを教えてくれた。悲しい気持ちは消えないまま、ちょっとだけありがたく、複雑な気持ちで電話を切った。
しかし、そのあとも病院探しは簡単ではなかった。
まず、確かに東京に「休日にやっている皮膚科」はたくさんあったのだが、その多くが美容皮膚科であることが分かった。髪の毛を専門にしていてもAGAとか女性のヘアケアとか、この症状とはちょっと違う感があるのだ。
また、それでも「見てくれるかもしれない」皮膚科の候補がいくつか上がったが、今度は「本当にちゃんと見てくれるのか」という疑念がどの病院にも湧いてきた。アトピー患者歴30年以上の私は知っている。皮膚科の当たりはずれはすさまじい。酷い医者にたくさん出会ってきた人生だった。治せる、治せない、とかいう話以前の、「人としてよくそんなこと言えるね」的な。真摯な先生方には申し訳ないが、本当にそうだったのだ。
それでも、とにかく誰かに見て欲しい。結局は、ネットで予約ができるという点だけで「先進的なのかな…?」と短絡的に判断した、とある病院に行くことにした。
とはいえ、この脱毛量は普通じゃない。息をしているだけで、どんどん抜ける。病院に着いてから、さっきみたいに「こんなの診れません」と断られたら困るので、事前に電話で問い合わせることにした。そして案の定、「場合によっては処置できないこともある」と言われた。でも、こっちはとにかく、見て欲しいのだ。必死なのだ。「いったんは見てもらえるんですよね??」と強めの口調で問うと、「院長はおります!!!」と向こうも強い語気で返ってきた。ホームページには特に院長の情報はなかったが、「うちのデキる院長でダメならここの病院は諦めてちょうだい!!」という気持ちが伝わってくるようだった。このまだ見ぬ院長に、懸けるしかない。
病院は、できたばかりのようで、とても綺麗だった。そして、コロナ騒ぎのなか、しかもゴールデンウィーク中に誰でも予約できるというのに、全く混んでいなかった。
院長は拍子抜けするほど「若い」風貌だった。おしゃれな無造作ヘアで、オルタナ系バンドのボーカルみたいな感じだ。恐らく私と同年代(あるいはもっと若いかも)。…この方が、あの電話の女性がめちゃ推してた院長…?大丈夫なのか…?いや待て、小さなクリニックとはいえ、銀座にも歩いて行けるこの場所で、この若さで開業をしたとはすごくないか…?…驚きと不安で、失礼ながらなんともいえない表情をしてしまったかもしれない。しかし、院長はマイルドな挨拶で私の緊張を解きつつ、鋭い眼光で患部を診察し始めた。このあいだにも髪の毛はぽろぽろと抜けまくっていた。この時点で頭全体の三分の一くらいの髪がなくなっていた。
「重度の円形脱毛症ですね」と院長は優しく言った。
髪の毛が抜ける、という現象が起こるには色々な原因がある。しかし彼は見ただけで、ハッキリとそう断言した。髪がちぎれるように抜け、1ミリ弱の短い毛が残る、という円形脱毛症特有の症状があったからだろうか。全然円形の脱毛部分がなかったが、院長の口調には揺るぎがなかった。さすが、院長だ。
院長は続けた。
「今日、ここで出せる薬は全て出しますが、エビデンスが低いので効かないかもしれません。この症状だと、一番エビデンスが高い治療は点滴なんですが、このクリニックではできないんです。すぐに大きい病院に行ってほしいけど、休みもあるし、このご時世なのでね…。命にかかわらないっていうのもありますし…(申し訳なさそうに)。いまは辛いと思いますけれども、治療をすれば治りますからね。休み明けにすぐ大きい病院に行ってください。紹介状を書きます」
エビデンス、という言葉が印象に残った。
円形脱毛症の確固とした治療方法は、まだない。この日、出された薬は服用がセファランチンとグリチロン、外用がデルベモートとフロジン、というもので、この病気ではよく処方されるらしい。それを院長は「エビデンスが低い」と言った。これは、結構衝撃的なことだし、もしこれらの薬を使っている当事者や家族の方がこの文章を読んで気落ちさせてしまったら、大変申し訳ない。だが、私はこの院長の正直な説明が有難かった。私の場合は、髪が抜ける勢いが尋常ではなかったので、少なくとも、ここまで症状が進んでいたら、軽症なら収まる薬でも止めることはできないのだろう、と納得できた。ちなみに日本皮膚科学会による円形脱毛症診療ガイドラインにおける、これらの投薬の推奨度はC1〈行ってもいいが十分な根拠はない〉となっている。
一方で、希望もあった。点滴治療だ。この医師が言う「点滴」はステロイド薬の連続投与(3日間)のことである。過剰免疫となっている炎症部をしずめる狙いで、ステロイドパルス療法と呼ばれている。脱毛が25%以上で発症から6か月以内、症状が急進行している成人には適応される治療法のようだ。ちなみにガイドラインでの推奨度は先ほどと同じC1〈行ってもいいが十分な根拠はない〉。どちらもC1だが、院長はパルスをかなり押していた。
そして、診察を終える前にもう一つ。気がかりなことを質問した。それは、私が普段からPMS対策の為にピルを飲んでおり、それが脱毛に影響しているのではないか、ということだ。脱毛にはホルモンが原因で起こることもあるようで、とても気になっていた。院長は「それは円形脱毛症とは関係ないですよ」と優しく否定した。医学の世界では当たり前のことかもしれないが、聞いてよかったと思った。(追記:ハッキリとした真偽はまだわからないが「円形脱毛症とピルは関係ないとも言えない」情報を小耳にはさんだので、私の中でこの院長の発言は一旦グレーとします。タイミングをみて近日いったん服用を止めて様子を見てみたいと思います。/2021.1.10)
一か八かの皮膚科選びだったが、信頼できそうな医師に当たり、ほっとした。なにより、病名がわかった。依然、髪は抜けまくっていたが、病名がわかるだけで、どれだけ気が楽になったか。真摯に対応してくださり、感謝している。
しかし一方で、私はまたも焦っていた。円形脱毛症か…。円形脱毛症は軽いものであれば、ほおっておいても治ったりするが、そうじゃない「難治なケース」がある。
実は私はこの「難治なケース」を身近で知っていた。母方のいとこ、だ。20歳過ぎに発症した彼は、一時は全ての毛が抜け落ち、今も全快はしていないと思う。そのキャリアは20年以上になる。西洋医学だけでなく、整体など東洋医学も試したようだが、何をやっても治らない時は治らない。この病気の厳しさを、私は幼い頃から知っていた。
そして、円形脱毛症には「なりやすい体質」があり、その体質は遺伝する。この事実は、私をかなり焦らせた。
連休明けすぐに院長が進めた大学病院に行き、点滴治療を受けることができた。
しかし、薬が効くのは2、3ヶ月後であり、しかも効かない人もいる。実際私も、1ヶ月を過ぎた頃から脱毛スピードは落ちたものの、発毛はおろか脱毛を止めることもできなかった。
2020年12月となった今、全身の毛はほどんど全くない状態だ(顔のうぶ毛が少しあるだけ)。8月から局所免疫療法を続けているが、毛は生えてこない。毛がないことに慣れたり、慣れなかったりの毎日だが、元気といえば元気にやっている気がする。患部が痛いわけでも、血が出ているわけでもないのだし、毛があろうとなかろうと、人生は私次第なのだろう。つらい。