髪の毛がなくなった
髪の毛がぬけて、ほとんどなくなった。
それは突然始まった。今年4月後半のある日、手で後頭部の髪をとかそうとしたら、指の隙間にそのまま毛がたくさんついてきた。何の痛みもなかった。元々特に抜け毛量に問題があったというわけではなく、急な束の抜け毛に驚いたけれど、小さな円形脱毛ができたことは何度かあったので、「円形かな?まぁ放っておけば治るだろう。目立たない所でよかった」と思った。
しかし、そこからは猛烈に抜けた。ゴミ箱はあっという間に、自分の髪の毛で埋まった。お風呂場の排水溝も。髪がセミロングほどの長さがあったこともあり、とにかく抜け毛の分量がすごかった。まるで恐怖映画だ。抜けても抜けてもまだ抜けた。
髪の毛は頭のあちらこちらで抜けまくるので、もはや脱毛部分が「円形」を留めておらず、これが一体何なのか全く分からなかった。思いもよらない病気なのかもしれない。そう考えるうちにも、どんどん髪の毛は減っていく。勢いが全く止まらない。数日だけで全体の3分の1ほどは抜けたと思う。
このホラーは、日本を含めた世界各国が新たな感染症に直面する最中、かつこの国におけるゴールデンウィーク中に起きた。つまり気軽に病院には行きづらい要素が2つ重なっていた。しかし、髪は抜ける一方なのだ。どうしてじっとしていられよう。脱毛班が広がっていることはもちろん悲しいが、それ以上に意味不明に髪が大量に抜けるということ自体がとても怖かった。これは生き物としての本能的な恐怖のように感じた。
連休明けを待っていられず、なんとか、とあるクリニックを見つけ行ってみると、「重度の円形脱毛症」だと診断された。円形じゃないけど円形脱毛症なんだ。とりあえずの病名がわかったことで、少しだけ気持ちが落ち着いた。しかし、抜け毛のスピードは更に加速していく。
円形脱毛症はストレスが原因で起こる、と一般的には認識されているようだ。私もそう思っていた。しかし、実際には必ずしもそうではないようだ。西洋医学の世界では「自己免疫不全から起こる病気」という説の方が主流らしい。免疫過剰が起こり、正常な毛根が攻撃を受けて毛が抜けてしまう。じゃあなんで自己免疫不全になるの?となるとやっぱりストレスなんじゃない?と考えずにはいられないが、まだまだ不明なことが多い。生活習慣?アレルギー?薬害?銀歯?それとも突然変異?思いは巡るばかりだ。個人的には、自律神経失調を経由した自己免疫不全説に一票を投じたいが(不眠がひどいし、胃腸をはじめ体のあちこちが不調だ)、もちろんそれが絶対とは言えない。人によって原因は違う気がするし、経過も違う。とにかくよくわからない病気なのだ。しかも、命に直接関わらないからなのか、研究はあまり進んでいない印象だ。原因がはっきりしないため、治療法もはっきりしていない。放っておけば治ることも多いようだが、難治なケースも多い。
発症から約4か月。私はその「難治なケース」である可能性が限りなく高まっている。いま、髪の95%以上はなくなり、眉も、まつげも、鼻毛も、体毛も、ほぼすべてが抜け去った。円形脱毛症は、重症になると全身の毛が抜けてしまうのだ。発症直後から治療を続けていて、結構がんばっている方だと思うが、新しい毛はまだ生えてこない。
私が住んでいる東京には大小無数に病院がある。皮膚科だけでも数え切れないほどある。しかし、脱毛症を専門としている医師は、多くないようだ。実数は知らないが、体感的にはそう思う。皮膚科に行けば、とりあえず見てもらえるだろうし、詳しい先生にすぐ出会えるかもしれないが、詳しくない先生も確実にいる。それが抜ける毛であるはずなのに「生えてきている」と言った皮膚科医に、この短期間で私は既に2人出会った。毛がちぎれるようにして抜ける円形脱毛症は、根元にごく短い毛が残り、触るとチクチクする。それらは後を追って抜ける。そして新しく生える毛は、最初はうぶ毛のように白く柔らかだ(らしい)。つまり彼らは、脱毛後にどんなふうに毛が生えてくるか、実際には見たこともないし、下手したら知らないのであった。ネットで円形脱毛症について調べまくっていた私は、このことを知っていた。しかし、医師は「生えてきている」と言う。訳が分からず、困惑した。
病院探し、医師探しは大変で、病院を見つけたとしても、通院には更なるストレスが伴う。
最初の病院の医師は、率直に治療について教えてくれ、すぐに信頼できたが、本格的な治療のための施設がほとんどなかった。
その医師に紹介してもらった2番目の大学病院ではステロイドの点滴治療を受けたが、担当の医師が円形脱毛症に関しての知識があまりなく、ルーズな性格も相まって、病院に行くこと自体の精神的負担が大きすぎた。
3番目の病院は、もともとアトピー性皮膚炎で長く通っていたクリニックだったが、やはり治療のための施設がなく、紹介すると言われた大学病院に脱毛症の専門医がいなかったので、また病院を探すはめになった。
そしていま、私は4番目の病院に通っている。小さいクリニックだが脱毛症治療の施設がある程度整っており、大学病院で脱毛症を専門にみている医師が、月うちの何日か診察している。やっと専門医のもと、局所免疫療法という治療を始めることができた。だが、数が少ない専門医には多くの患者が集まるため、時に地獄のような長い待ち時間と戦わねばならない。でも「ここで腰を据えて治療を進めたい」と、やっと思えた病院だ。耐えるしかない。病院にはいつだってストレスがある。それなのに、治療をしても治るかは分からない。
病院治療を辞めてしまう人もいると聞くが、それも分かる気がする。病院に行かない方が、少なくとも余計なストレスは軽減されるだろう。
でも、ネットで病院治療に対して否定的な説を見ると、病院治療をしている身としてはなんとも心細い気持ちになる。こういうせめぎ合いは、アトピーで散々見てきたが、この界隈でもそうなのか…。
ストレスと言えば、なんといっても、脱毛していること自体が一番のストレスだ。なるべくストレスを避けて生活しようと思っても、「髪が抜けて、ない。生えてもこない」という強いストレスが、常に自分自身に起きている。見た目に大きく表れるので、精神的なダメージが大きい。髪もショックだけれど、眉やまつげまで抜けた時には、我慢強い私も泣いた。もともとアトピーで、子供の頃にはかなり症状がひどかったから、人と見た目が違うことへの耐性は少しあったけれど、この喪失感は何とも比べられない。自分の一部がなくなってしまう、という悲しみなのだ。
発症前に私は仕事をやめていて、しかも流行りの感染症せいで、人に会うことがなくなった。人間関係の中での脱毛に関するストレスは、少ないほうだと思う。でも、その反面、脱毛症の辛さを友人たちにうまく伝えることもできない。短い文字で伝えることはできないし、かといって電話してまで話す気力もない。色々なことがありすぎた。落ち込むことも多いので、積極的に友人に会いたいとも、実はあまり思っていない気がする。ただでさえ、世の中がろくでもないことになっていて、髪が抜けていなくても、みな大変な思いをしている。友人たちの話を聞く余裕がまだ全くない今は、人には会わない方がよいのかもしれない。
それから、毛がないことで不便なことも多い。まつ毛や鼻毛がないと、目にゴミが入るし、くしゃみと鼻水が止まらない。毛が生えている場所には、生えるだけの理由がある、ということを学んだ。あまり大きな声では言えないが、アンダーヘアもほぼ抜けていて、尿もしづらい感じがある。尻や脚の付け根あたりに尿が飛び散るので、事後に拭くのが大変だ。今までは、毛があることで、放出がスムーズに便器へと誘導されていたんだと思う。30代後半だし、これは単に筋力の問題なのか、と思わなくもないが、発症を機にこうなっているので、やっぱり毛がないからだろう。
不便で言うなら、何より髪の毛は頭を守るためにある。剥き出しは危険だ。ショッキングな見た目を隠す意味も大いにあるが、それでなくとも何か守った方がいい感じがある。モノが落ちてきたり、接触したら、簡単に致命傷になりそうだ。無職でお金のない私は帽子をかぶっている。
しかし、世の中には脱帽が求められる瞬間がある。免許証の取得や更新など、身分証を作る時。資格試験を申し込んだり、受けるとき。人権と尊厳にかかわることなので、事前に申し出れば着帽でも大丈夫なことが多いが、事前に申し出ること自体が手間だ。
また、仕事でも脱帽を求める職場が多いだろう。
カツラを買ってつければ、こういった問題はなくなるのだろうが、カツラには費用がかかる。最近ではお手頃価格で、自然な見た目のものもあるとのこと。それでも調べると最低数万はするのだ。激安なカツラもあるにはあるが、激安なものだと、激安な仕上りでしかないので、私は近日中には数万のカツラを買うだろう(10万以上のは欲しいけど無理。)。隠すためにかぶるもので、目立ちたくない。
どうしてカツラは良くて帽子何故ダメなんだ。そんな気持ちが高まってくる。ただでさえ治療にはお金がかかるのだ。局所免疫療法は、脱毛症の治療の中ではそれなりに有効率が高いにも関わらず(本当にそれなりにだけど…)、保険が効かない。しかも結果が出るとしても相当に時間がかかる治療法だ。それに、いいと言われればサプリや漢方薬も飲むし、整体や鍼灸を受ける人もいる。民間療法もある(怪しげなものもあるが)。確固とした治療法がないだけに、お金をかけようと思えば、どれだけでもかけることができるのがこの病気だ。でも、何をしようと、治る確約はない。せめて、帽子ぐらいカジュアルに許してくれたっていいじゃないか。っていうか許可を求めなきゃいけないこと自体が悲しい。
こっちは最悪脱帽してもいいんだぞ、と最近では思う瞬間すらある。どうせ自分で自分の頭は見えない。この酷暑に帽子はキツイ。きっとカツラもかなり暑いだろう。でも現状では、女性でスキンヘッドを丸出しするのは、アナーキスト感が強すぎる。男性がするにしても、未だにとても目立つ。最近では、スキンヘッドの美しい女性モデルなども見かけることもなくはないが、日常生活ではまだ目にしたことがない。
街中で、いま帽子を取ったらどんなことが起きるだろう、と時々夢想する。人々は驚くだろうか。見なかったフリをするだろうか。案外気づかない人も多いだろうか。
そうは言っても、頭は大事な部分なので、やっぱり丸出しにしないほうが物理的な保護のためにもいいと思う。怪我を防ぐためだけでなく、直射日光にも当てないほうがいいらしいし、虫刺されにも要注意だ。そう思いながら、患部を隠して生きている。自分に甘い、と見る目もあるかもしれないが、病気なんだから、ちょっとは自分に甘くてもいいと思っている。
程度や原因は違えど、脱毛で悩んでいる人は実は多いようだ。だが、患部を何かしらで覆って生きている人が多く、それぞれの孤独な闘いとなっている。周囲の人にカミングアウトしていても覆っているし、完全に秘密のまま覆っている人もいるだろう。周囲の人に言うか言わないかは、それぞれが「気持ち的にマシ」な方を選ぶしかない。どっちにしても大変なのだから。どっちにしても、周囲の人に全てを理解してもらうことは、とても難しいのだから。
こうして、どんどんストレスがたまってくる。ストレスが原因の可能性であることは拭えていないのに、とにかくストレスがやたらと溜まるのが、この病気の困ったところだ。病気とはそういうものだ、とか、もっとつらい病気や境遇がある、などと考えることもできるのだろう。でも私の、一人ひとりの、辛さは確実にあるのだ。癒しが必要だ。せめて、なにか捌け口がほしい。
発症してから、様々な当事者のブログが大変に有り難く、参考になったので、そのような記事を書くことに憧れた。が、書いてみたら結局「ストレスが多い」ということばかりになってしまった。元からかもしれないが、今は特に心も視野も狭くなっていることがよくわかる。けれども、少し吐き出せた感はある。noteを捌け口のように使って申し訳ない。
もし次も書けたら、今度からは少しづつ、経緯を細かくかけたらなと思う。まだ病歴が浅いので、円形脱毛症についての啓蒙はうまくできそうにはないが、どんな気持ちでどんな選択をしたのかを残すことで、少しだけでも誰かの役に立てたら嬉しい。
今後、自分に毛が戻るかどうかは分からない。生えるとしても、ゆっくりゆっくり、少しずつしか生えない。時間がかかる。再発も多いと聞く。
いきなり毛がなくなって、今はショック状態だが、この先の道のりは途方もなく長いのだ。毛がなくなった、と悲しみに暮れているばかりではいけない気がする。また、過剰に前向きになり過ぎるのも、何かいやだ。毛がないことがいつか当たり前にもなりうるのだから(既にちょっとずつ慣れ始めた自分もいる)、平常心を保つことを目指しつつ、この悲しみを小さく見積もらずに、また楽しめることは楽しんで、過ごしていきたい。心はいつも揺れている。