新・今宮



昨年の初め、母方の祖母が死にました。わたしの記憶の中の祖母はちいちゃくて丸っこくてやかましくて、全然母に似ていなかったから、死に顔を見て、とてもびっくりしました。痩せた祖母は、母そっくりでした。大阪にある祖父母の家は、大好きで、でもわたしがどう頑張っても馴染むことができませんでした。大人数のゲームは嫌いでした。祖父の熱燗、野球とぼやき、叔父と叔母。従兄弟とこたつをひっくり返してする麻雀も、コントローラーを回してみんなでする桃太郎電鉄も、わたしはやらないと言って隅っこでただぼーっとしていました。一人で御堂筋線に乗って、阪急百貨店でマックのリップとかを買いました。東京で買わない、東京でも買えるものを買いました。母は、いつだって大阪の親戚の空気に馴染んでいました。神奈川にいる時あんなにも、情けなく、しわしわに見えるのに母は、生き生きと、しっかり血が通っていて、周りとの会話はスムーズで、私だけがおいていかれる世界でした。だけどなんでかあの家でなきゃ私は年を越した気になれません。わたしは大阪に、かなりの憧れを抱いていました。だけどはっきりしていることは、自分のしたい事をやり続けるのなら大阪へ越すことはあまりいいことではないということでした 東京はわたしを縛り、大阪は私を誘う 神社の出店のおせんべい こぼすところを見られたくない 甘いソースと、味のりの、匂いです。あの場所は桃源郷 おじいちゃんはおばあちゃんの死に顔を見て、話しかけて、泣いていました。 私は母の死をおもい、すこし怖かったけど、祖母に対しては嘘の優しい顔しかできなくて、わたし以外のみんなはほんとうの顔をしているように思えました。おばあちゃんはいつも、あんたは美人で賢いねんから、もっと胸張って大きな声出して、ハキハキと喋りなさい。と言っていました。こんなに大人になった今だってハキハキと大きな声で喋ることも、おばあちゃんの作ったご飯だって好きになれないけど、古い化粧品の匂いのする小さなおばあちゃんのスラックスを履いて出勤したりしています。そこにないものを、そこにないことで初めて愛おしく思ったりすることで、自分がどれほど臆病な存在であるかをあらためてひしひしと、感じて生きちゃって、午後2時に背中でテレビを見たりしています。

帰りの新幹線、名古屋あたりでわたしは一番おばあちゃんのことが、大阪の出来事が全部好きになれます。それはまるで

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