冷蔵庫のぶどうを絶対に持って帰る
床に布団を強いて寝るのが好きで、でも、そのことを少しの間忘れてしまっていました。
部屋にある立派な、まだ新しいベッドを引きずって部屋の奥の壁にくっつけました。そして、TVモニターや姿見、テーブルを、すのこが丸出しのベッドの上へあげて床に直接マットレスを敷きました。
音楽や本、映画、お笑いの好みでセンスをはかるとき、なんとなく「解っている」側の意見によってしまう気がします。そういうとき、その「解っている」ところが、「解っているひとたち」の中での共通理解であると思いがちです。でもいずれ、その「解っている」は「解っていたい」ひとたちに消費され擦り切れていきます。そうしてまだ誰の手垢もついていない、新たなターゲットへと「解っている」はスライドされ、時代は移り変わり、終わらないサイクルへと消費者たちを陥れていきます。へんてこです。踊らされているだけの国です。
この話は無限に展開できる、例えばいま電車で私のそばに立って、窓に映った自分を見つめ、一生懸命前髪をセットする男の子、彼も好きなあのひとや友達、同じ車両に乗り合わせたわたしたちを通した社会に消費されている、とかです。そしてたとえば、丁寧な暮らしごときで満足できないから、私達が暴れているのだとすれば、あっというまに形勢は逆転するけれど、暴れるのも社会の中でしか、どうにもできないってこととか、そんなようなことです。でもそういう展開が、私は楽しくない、もうそれこそこんなの、擦られに擦られています。だけど、私は普段からこんなことばかりを考えています、私の身体の周りではいろんなことが起こって、それについて繰り返し繰り返し持論を展開して、何度も訪れる場所の記憶は重ねられ、身体に浸透していきます。ずっと体内に滞らせておくと腐るので、排出します。そういった作業は、好きでやっているというわけではなさそうで、たぶん、何かしらを考えずにはいられないからです。
言葉にできない恥ずかしさを感じるもの
・アニメのエンディングテーマで踊る主要キャラ
・お菓子のはじけすぎている紹介文
・朝のニュースの流行特集
青山一丁目の大江戸線のホームには、大好きなレモリアが売っています。ひとつ、37キロカロリーです