内15mm東急ハンズ
スマートフォンの容量が残りわずかとのしらせがありました。何もクリーンアップしたくないけれども、全て無くなっても特段困ることもないのだと思います。そうなっちゃえばいい、とも思う。
喉にシリコンチューブをさして食事を吐き出すようになってから、生活が少し丁寧で上質なものになりました。これは皮肉の他の何者でもありません。しかしきっとたぶん悲しいことでは、ありません。
きっと〜かもしれないことしか、存在しない
もうこの病と二人三脚でいき始めてから10年が経とうとしています。私はこの年月を、インターネットの海の中、同じ病気の人を遠くから眺めて、沢山の知識を、言葉を覚えていきました。彼らのことを、すごく軽蔑してきました。馬鹿しかいない、そう思うこともあります。彼女を崇高だと思っていない、ぞんざいに扱う人々を、軽蔑してきました。そんなに軽い気持ちで語るなと思いました。体感、私は進行スピードがかなり遅いようで、その分、着実に彼女に依存していて、彼女と別れるのもまだ先になってしまいそうです。書いていて、私は私のそばにずっといる、病そのものを女性だと認識しているようだと、たった今、これって気づきです。私が心から興奮できるのは、彼女ただ一人です。彼女について、たくさんのことを知っている。彼女も私を知ってる。知れば知るほど陶酔して、肯定して、他者を、排除します。私の身体は彼女に蝕まれ、私を無防備にしてしまいます。彼女に、身体を預けていくうちに、色々なものを捧げてしまいました。犠牲に、していきました。
そうして生を体感して、ハイになったり老になったりしていきます。
いつか彼女のことを、第三者の視点から見つめて論じるなどしてみたいです。彼女を知りすぎたから出来ることです。タバコもお酒も、薬も、恋も彼女にはかなわなかった。
アイドルを崇拝するのは、きっとこちらが差し出したものに対しての期待を放棄できるということのひらかれたきもちが関係しているのかもしれないと、最近思います。私はそんなもの退屈なので、リターンのない関係に魅力を感じることができません。リターンにおける重要なポイントは矢印の大きさで、色や形ではないから、痛くても、強ければそれでいい気もします。
確実に、明らかに彼女とともに安らかに逝く日まで、私はシリコンチューブに彼女を想い、だきしめて息を