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『ラブレス』感想:カメラの外で

『ラブレス』2017 ロシア
監督:アンドレイ・ズビャギンツェフ
脚本:アンドレイ・ズビャギンツェフ、オレグ・ネーギン

寒々とした湖のカットから始まる。
酷寒のユーラシア北部の冬、積もる雪は都市のコンクリートも郊外の森林も区別なく冷え込ませる。

その厳しさは住まない者にはわからない。

大勢の子供たちが下校するのに紛れて、少年アレクセイは独り、道草を重ねて家路をゆっくりと歩く。
彼の家には両親がいる。
喧嘩の絶えない、冷え切った両親が。







※ 以下、ネタバレを含みます。



Не любовь 
ロシア語で ”非/愛” と題された本作では親子・夫婦・社会と個人・友人間で交わされる言葉と行動とがそれぞれ描かれる。

言葉そのものはいつだって空疎だ。発話者と受話者との波長が合わなければ。
ときおり通り過ぎる人たちはそれぞれ言葉巧みに他人に話しかける。が、本心は知れたもんじゃない。
婦警はやる気がないし、ベテラン警官はアレクセイの気持ちも知らずに「居心地のいい家は捨てない」なんて言う。
要らない子として自分を押し付けあう怒鳴り声の監獄が「居心地のいい家」?

それも仕方ないか。
だって、大人はみんな、他のことで忙しいのだ。
前半はゆっくりと時間が流れる。
アレクセイはカメラに映らず、両親がそれぞれの不倫相手とセックスをしている。

2017年の映画らしく、Facebookとスマートフォンが人々のむなしさを埋める。
けれどインターネットは悪ではない。ネットで集まったボランティアの人々は寡黙だが、行動は真摯だ。うわべの言葉を弄さずに必要なことを伝え、アレクセイを探す。

出てくる場も人物も決して一面的ではない。前半の無関心・自己中心の象徴としてのセックスが、後半になると傷ついた母イニヤを癒し眠らせる場として出てくる。
一方で父ボリスはひとりで眠り、若い不倫相手のマーシャは何も言えない。
ベビー服のシーンが逆説的に暗示する不幸な行く末。
あるあるの笑いも散りばめられている。
クソつまらないギャグをご満悦で繰り返す同僚。
自分の主張を突きつけ合うだけの両親。イニヤと目を合わせないボリス。


カメラワークとしては、手元を映さないゆっくりとしたパンが特徴的。
美しい構図が惹きつける力をいかに生かすか。本作ではあえて、単純なメッセージ性に帰しやすい場面をそのようには切り取らない。周縁の、物語の隙間のような場面でゆっくりと背景が映り込む。

カメラの外で

物語の力を信じている監督なのだろう。
映画ができること、できないことは踏まえたうえで、持ち帰ってほしいものは明確に見える。

無関心さ。
その都度目の前の事象には向き合わされても、けれども、結局他人や自分には向き合えないヒトの業。決して怠惰さゆえではない。余計に苦しむことだって知っていて、でもそうなってしまう。
それは仕方ないのかもしれないし、事実そういうもんだろうけど、でも、それでも個々人が無関心が招く悲惨さを胸に留めたらすこしでも好転することもあるんじゃないか。

みたいな。

ラスト、テレビ越しのウクライナ内戦もそうだ。
ギャグみたいに大きくRUSSIAと縫われたジャージでランニングマシンを走るイニヤ。
ニュースで流れる悲惨な映像はいつだってカメラ越しで、僕らはセックスや出世で忙しい。
通常、カメラで切り取られる場面はセンセーショナルなシーンばかりだ。
苦渋を舐める人々の生活はカメラが回ってない瞬間も常に続くのに。
カメラ越しにわかった気になってしまうのは、なんて安上がりなんだろう。

小柄な体で湿った森が凍てついていく宵を過ごすのはどれほど長く感じられるのか。周囲から不要と言われ続けて駆け出した昼、行くあてもなく野犬に怯えて廃墟のコンクリートにもたれかかって吐く息の白さは?
カメラ越しにそれらを見ても、寄り添えるわけがない。ならば、映さない方がより示せる。だからアレクセイは映らない。だって誰もアレクセイを見つけられなかったのだから。

映画の舞台は2012年。
”マヤ暦によると2012年の終末が訪れる”という都市伝説が世界的に流行っていた年。ラジオで流れるいい加減な都市伝説。

アレクセイはノストラダムスの終末予言の年、1999年の翌年に生まれた。
予言は外れた。
だが、人々の愚かさは繰り返されている。
きっとこれからも。

アレクセイと同様のくるしみを味わう子は今後もたくさんいるだろうし、いなくなることはないだろう。

アレクセイのことを誰も見ていない。
ラスト、数年が過ぎても訪ね人の張り紙は色褪せたま貼りっぱなし。
カメラは冒頭の湖に戻る。
ほとりに立つ枯れ木の枝には、誰も気付けないアレクセイの痕跡が寒風に晒されている。

弱い人々の悲惨さは、カメラに映らない場所にこそある。

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