11年前の卒論を深める。
11年前、私は大学で、室生犀星の詩を研究対象として、卒論を書き提出しました。
「室生犀星研究ー晩年の詩における断片化/集合化についてー」
事の発端は、卒論の題材探しをしていたとき、たまたま大学図書館で室生犀星の詩集(新潮文庫でした)を手に取り、その中の「昨日いらつしつて下さい」に、ビビッと来たことです。
昨日に戻るという発想が面白く、他の詩も並べて、過去・現在・未来の三本柱で卒論になるかも、と思いました。
恩師が室生犀星研究者なので、一応一言言っておいたほうがいいと思い、室生犀星を卒論で扱いたいと伝えると、いいよ、とあっさり快諾。
現役の研究者に直接指導していただけるのはもちろん、資料集めに全面的にバックアップしていただいたのが、大いに助かりました。
ただ、ベルクソンの時間哲学と、エビを扱うことになろうとは、思ってもみませんでした。
ベルクソンの時間哲学は、恩師から紹介されました。論文を集め読みましたが、正直よく理解していません(苦笑)。地元図書館に易しく解説している本があり、それをざっと読んで何となく分かった気になったのを覚えています。
エビは、終章で「老いたるえびのうた」という詩を扱ったゆえです。また、私はエビが好物であり、この際エビについて調べようと、子供向け図鑑を地元図書館で借り、該当箇所をカラーコピーしてしまいました(笑)。
卒論の結論として、詩の中で行ってきた時間の断片化(「けふといふ日」で現在、「昨日いらつしつて下さい」で過去、「先きの日」で未来)の他に、(「えび」の)身体を断片化した(「角」「ひげ」「とげ」に焦点が当てられている)後それらを全体的にまとめようとする試みがされていたが、まとまりきれずに終わっている(「からだじゅうが悲しい」と言っている)、としました。
ネガティブ表現で論を閉じるなと恩師から忠告があったのに、うまくまとめることができず(犀星のよう?)、調べるだけ調べて、犀星ワールドに浸り尽くしただけになってモヤモヤしてしまいました。
……で、11年後、職場でたまたま手にした本を読んでいたら、こんなことが書いてありました。
合わせて多種のエビとカニを載せ、過程を図解していました。
まさか11年前の記憶がよみがえるとは、思ってもみませんでした。
犀星は香箱ガニが好物で、故郷から送ってもらい食べていたそうです。
カニはエビよりも硬い甲羅を持ち、自由に動ける手足もある。
絶筆ではありますが、最後の作品にエビを登場させたのは、カニになりたかった、つまり、最終的に自分を形づくりたかったという意志の表れなのではないでしょうか?
犀星は、生前に犬や猫を飼っており、『動物詩集』という本も刊行しているので、生き物と結び付くのは、不自然ではありません。
もっと早く、この本に出会いたかったと、思ってしまいました。
執筆当時は時間哲学のほうにばかり集中していたので、うまくまとまらなかったんですね。
恩師。思わぬところで、卒業研究と繋がりました。
私、ますます本が好きになりそうです!
室生犀星の魅力、再発見できました!
追記(2024.11.15):
トムヤムクンは、「トム」=煮る、「ヤム」=混ぜる、「クン」=エビ、だそうです。
[下川裕治・室橋裕和編『おとなの青春旅行』(2018.7、講談社)第1章より]