子どもの自由時間が窮屈になっている問題
先日、仕事の一環で、何人かの親と話をする機会があり、少しだけ社会に対して危機感を感じたので久しぶりに筆を取ることにした。
今の社会が悪いとか昔が良かったとか。共働きは子供にとって悪だとか、教育虐待だとか、まして、特定の個人を攻めたい訳でもない点は、先に断っておきたい。
大人ばりに忙しい子供たち
まず、子供たちは忙しい。
自分の好きなスポーツに加え、英語やプログラミング。
早めの受験対策に塾を加え始めると、下手すると週4日は習い事になる。
友達と遊ぶにもアポを取る必要がある。
デジタルが進化したことでアポ取りも難儀している。
子供が友達の家に遊びにいくことは、親にとっての一大事。
事前に親同士が連絡を取り合って気を遣う必要がある。
共働きやリモートワークが普及している昨今では、よその子を家にあげるのは、やれ掃除しなければとか、仕事をどうするかとか、めちゃくちゃハードルが上がっている。
だから、子どもたちは子供同士自由に遊ぶというわけにはいかず、社会構造の枠組みの中で窮屈に過ごすことになってしまっている。
昔はもう少し子供に自由度があった?
思い起こせば、自分が子どもの頃は、毎日友達のお家に遊びに行っていた。
近くのグランドや駄菓子屋に行けば、大体友達がいて一緒に遊んでいた。
親に見つかれば怒られたり心配されたようなこともよくやってた。
ファミコンを禁止されていた我が家でも、僕がドラクエ3をクリアできたのは、後に生徒会長にもなる人格者の幼馴染のおうちで、毎日お菓子と飲み物の接待を受けつつ、交代交代にゲームをさせてもらえたお陰でもある。本当にありがたかった。
そんな些細な何気ない日常が実は尊い時間だったんだなぁ。と改めて感じた。
ひとりの時間、友達と過ごす時間をどう自然に組み込むか
子どもが、親の制約が少ない中で子どもとしてのびのび過ごせることとか、そこに行けば仲の良い友達と出会え、自由に話したり遊べたりできるとか、偶然の出会いによって生まれるその日の驚きと楽しみが味わえることとか。
忙しい現代だからこそ、自分だけの時間や友達と過ごす時間を、もっと自然と緩やかにつながる形で実現できることはないだろうか?
自分自身、社会にいる子供たちに何ができるか考えて行きたいと思う。
最後に
親にとっては、子どもの将来の不安を取り除くために、英語やプログラミングなどスキルを得させることも大事な事だと思う。一方で、その時々にしかできない豊かな時間を体感としておくことは、大人になってからの本人のWell-Beingの基準をつくる上で極めて大事でもある。
「友達と一緒の学童保育や習い事に行きたい」という子どもたちの声は、親にとってはわがままなお願いに聞こえるかもしれない。でも、現代の忙しい子どもにとっては次善の策として正当なお願いなのかもしれない。