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お金が欲しかったけど、もっと「いいね!」が欲しかった
人の幸福感は殆ど100%が「自分が承認されている感覚」(「自己承認感」としておこう)で出来ている。そう考えざるを得ない。
今年ガンで亡くなられた、経済評論家山崎元さんが残した言葉。
彼の最後の著書『経済評論家の父から息子への手紙 お金と人生と幸せについて』でいちばん印象に残った箇所だ。
経済やお金のプロをしてそう言わしめる「承認欲求」の存在感と人への影響の大きさをあらためて考えさせられた。
山崎さんは、noteにも同じことを書かれている。
先日、元上司と忘年会をした。
彼が昨年転職をして以来だったので、1年ぶりの再会だった。
彼が退職した理由は、「このままだとやりたいことができない」という「ありがちな」理由だった気がしていた。
でも、今回話しているとそれよりも大きな理由があったことに気がついた。
私が勤める会社は、コロナ禍で大打撃を受けた。
業績がみるみる悪化して、経営分析や財務分析など経理部の私たちは日々その対応に追われていた。
特に、経営陣に食い込んでいた元上司は、しょっちゅう課題認識のために、課題解決のために、といった理由で様々な資料作成を命じられていた。
彼は上からの期待に応えたいと頑張って資料をつくっていた。
でも、コロナに対して有効な打ち手が講じられず、疲弊していた役員のリアクションはだんだん薄くなっていったらしい。
「ふーん…」
もっと感想なり、具体的な意見なり、その後の展開なんかが欲しかった。
なにより、ずっと認めて欲しかった。
元上司は、私から見れば優秀な「サラリーマン」。
給料アップという明確な目標のために、役員に近づき仲良くなった。
「役員を喜ばせる仕事」を常に心がけていたが、最後はそんな関係になっていった。
彼に言わせれば「うまく利用された」関係。
それまでは、狙い通り役員にかわいがられることで、評価も給料も順調に上がっていたらしい。
でも、結局それだけになっていった。
「ずっと認めてほしい」
彼も疲弊し、見るからに元気がない感じだった。
尽くしていた役員が退任することが決まり、自分も辞めるタイミングだと思い退職した。
元上司が退職したのは、「自己承認感が満たされなくなった」ことが大きかったような気がした。
「自己承認感」
私自身は、その感覚は薄いと思っていた。
仕事面で言えば、昇進も昇給も目指していない。
というか、うつでメンタルが崩壊した経験のおかげで、「健康がいちばん」という考え方に変わったせいだと思う。
でも、note始めてからそうでもないと気づいた。
スキがつくとうれしい。
コメントをもらえるとうれしい。
スマホで通知がくると必ず見に行ってしまう。
よかったと思ってしまう。
元上司はいま、上場もしていない規模の小さい会社で働いている。
給料は下がったが、満足していると言っていた。
実際、表情が以前より柔らかくなっていたし、何より機嫌がよかった。
ここ数年は「不機嫌の見本」みたいな感じで、禍々しいオーラを発していたあの彼が。
いまも管理職として業務の自動化や仕組みづくりをする毎日。
「いいですね!やってみます」
部下には、自分の提案や改善案の良さを理解してもらい、受け入れてもらっているという。
彼の名前はSさんという。
忘年会の帰りに彼は言った。
「ねこねこさん、こんど部長に会ったら伝えてください。Sは、元気そうでした」
「いや、Sは元気になりました」