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【男性育休】ひよこちゃんは時空を超えてやってきた
やってしまった。
投稿しようと準備していたコンテスト「#想像していなかった未来」の募集期間が終わっていた。
今週はずっと体調が悪かった。
頭痛でボンヤリしていたせいなのか、締め切りを「12月27日」だと勘違いしていたようだ。正しくは「11月」。1か月も見誤っていた。
コンテストに向けて書くのは、前からやってみたかったことだった。
そして、いまは育休中なので収入がない。
あわよくば入選などして賞金のギフトカードをゲットして、生活費の足しにしたい、なんていう下心もあった。
やってしまった。
でも、せっかく想いをまとめ、下書きしていたので、きちんと完成させてみる。
締め切りに間に合わなかった無念とともにこの想いを成仏させたい。
今年、我が家に子どもが生まれた。
緊急帝王切開での出産だったので、妻にはすぐに会えなかったが、子どもがオペ室から出てきた瞬間のことは今でも忘れない。
保育器に入れられていたが、箱の中はきらきらしているように見えた。
これからの人生に希望の光が差した気がした。
この子と生きていく。
いや、必ず生きていけるという気持ちになれた。
「子どものためにおれは頑張るぞ!」
みたいな力強い決意表明とは違う。
子どもから力をもらえるかもしれない。
ひとりじゃない、一緒に頑張ろう。
もうすぐ50にもなろうかというおっさんが、声を大にして言うようなことではないかもしれないが、こんな想いだった。
私はかつて、うつ病だった。
寛解はしたが、うつになって以来、心の底ではどこか生きていくことに対して自信が持てずにいた部分があった。
でもこれからはきっと大丈夫だ。
10月。
生まれてから9カ月が経った。
肌寒くなってきたので、湯船にお湯をはってお風呂に入ることにした。私は、子どものお風呂担当だ。
お風呂に入ろうとすると、妻からひよこのおもちゃを渡された。ゴム製でお湯に浮かべるやつだ。
めちゃくちゃ懐かしかった。
まだあったんだと思った。
それは確か2013年、まだ我々夫婦がちゃんと付き合う前、はじめてドライブデートした時に手に入れたひよこちゃんだった。
新潟県越後湯沢。
ひよこちゃんは、温泉街にある射的場の「獲物」として並んでいた。
その日も、確か10月で紅葉シーズンだった。
苗場スキー場にある「ドラゴンドラ」という、大型のゴンドラに乗って紅葉を観に行こうと妻を誘ったのだ。
紅葉もいいが、本当の目的は、ドラゴンドラという密室での「濃厚接触」だった。
ドラゴンドラは片道25分くらいかけて移動するので、半分は紅葉や山の絶景を観て楽しみ、残り半分の時間は手をつないだりして、妻との距離を一気に縮めようという作戦だった。
でも、そんな私の想いとは裏腹に、当時の妻にはまったくその気はなく、ドラゴンドラの中でちょっとずつ席を移動しては、うまく私の接近をかわしていた。
作戦はまんまと失敗に終わった。
めちゃくちゃ気まずかった。
ひよこちゃんを見ると、その時の苦い記憶がよみがえる。
ひよこちゃんは、そんな存在だった。
その後、東京で同棲し、結婚した。
九州へ引越しもした。
ひよこちゃんもずっと一緒だった。
でも、最後にみた記憶があるのは、6年くらい前。
九州へ引っ越した当初住んでいた家のお風呂場だった。
そのころは、お風呂に浮かべたりしていたが、だんだんやらなくなった。
気づけば風呂場のすみっこのほうにひっそりといた。
水垢がついて汚れていき、いつのまにか存在も忘れていた。
そんなひこよちゃんが、再び私の前に現れた。
今度は、子どものお風呂の相棒として。
時空を超えてやってきた。
私は今、ひよこちゃんと、そして赤ちゃんと一緒にお風呂に入っている。
あのころには思いもよらない姿だ。
私はうつになったとき、妻に「子どもはムリだ」と伝えたことがあった。
自分のことで精一杯。
絶望していて、その先の人生を過ごせる気がしなかった。
そんな状態で子どもは考えられなかった。
妻は子どもを欲しがっていた。でも、妻はそんな私の気持ちをくんでくれて、私たちは子どもをあきらめた。
九州に引っ越してから3年くらい経ったある日、妻からやっぱり子どもが欲しいと打ち明けられた。
メンタルは安定していた。
でも、お互い年齢のこともあったし、しばらく悩んだが、今度は自分が妻の気持ちに応える番だろうという気になった。
不妊治療を始めたが、なかなかうまくいかず数年は取り組む覚悟をしていた。でもそんな矢先、妊娠がわかった。
そして、今年子どもを迎えることができた。
あらためて思う。
結婚してくれた妻
うつになって休職した自分を支えてくれた妻
一度は子どもをあきらめてくれた妻
九州へついてきてくれた妻
子どもを生んでくれた妻
ありがとう。
感謝しかない。
この先もいろいろあるだろう。
仕事のこと
子育てのこと
親の介護のこと
いいこともあれば、悪いこともある。
でも、私たちなら乗り越えられる気がする。子どもという仲間も加わった。
これから家族3人で楽しくがんばって生きていこう。
3人でいれば、どんな未来も怖くない。