金髪にして学んだこと
私の時代は、校則で毛染め禁止となっている高校が多かった。多様性を受け入れる観点から、昨今では少しくらいはマシになっただろうか。いや、状況は大きくは変わらない気もする。
大学生デビューよろしく、1回生の夏休み明けくらいから髪色が明るくなる人は多かった。就職活動が始まるとリクルートスーツに身を包むため、人生のうち好きな髪色にできる時期は短い。
5年制の高専生はと言えば、学年が上がって校則が変わる訳でもないので、母校では高1時点から金髪OKであった。単位さえ取っておけばとやかく言われない。そこだけ見ると、ヤンチャしたい世間の高校生から羨ましがられる。
だけど、世間の高校生が大学1回生になって自由なキャンパスライフを満喫し始めても、高専生は高4である。むさくるしい男の世界に閉じ込められ、1〜4限がフルに詰められ、自分達が抑圧されていることに気付いてしまう。
アドバンテージが得られるうちに享受しておかねば損ではないか?そうやってたぶらかす友人の影響で、別にヤンチャでもオシャレでもないのに、16歳にして私は金髪デビューすることになった。
一応、金髪にする旨は親にも伝える。すると、良いでも悪いでもなく、「おまえがやるなら、俺もやることは覚悟しておけ」とだけ言われた。
私が金髪にすると、父親も金髪にする。ついでに母親の髪色も明るくなる。
両親は私を咎めないかわりに、私も両親に「いい歳して金髪なんて」と咎めることはできない。なるほど、家に金髪の家族がいるというのは、こういう感じなのかという学びはあった
結果として金髪から学んだことはいくつかあった。「人は見た目じゃない」なんて言うけれど、自分が金髪でいる方が初対面の大人からの当たりは強いと感じた。
他人は変えられないけれど、他人に与える印象は制御できる。それは、他人が私に接するときの行動にも影響し、長い目で見れば私の人格を変えたかもしれない。見た目に引っ張られて、人格も変わる仮説。
金髪を禁じたくなる大人の気持ちを、金髪にしてみたことで共感はできた。ずいぶん遅効性なので、因果関係としては弱い仮説だという実感も持てた。金髪にして不良グループの目に留まりやすくはなるだろうけれど、そういう人は遅かれ早かれ惹かれているよ。
金髪をキープするのがメンドいことも学びであった。下から黒髪が生えてきてプリンになってしまう。もし、常に染め直して金髪をキープしている人がいたら、実はけっこうマメなので尊敬に値する。私にはそこまでの情熱もなく、金髪はすぐに辞めた。
でも、この一件で最も印象に残ったのは父親だった。やる時は本当にやるんだなぁと妙に感心した。父は行動をもって大切なことを教えてくれた。
私がこの人生でやる/やらないで迷うことがあれば、判断基準として「同じことを親や子供がやったら嫌だと感じるか?」を拠り所にしている。思えば、この基準を持ったキッカケも金髪事件だった。