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我が家の立法権を長女に委ねた話

家の中でジャイアニズムを発揮する長女のお話の続き。自分で決めたことは貫く頑固さを見込んで、自由を求める長女に我が家の立法権を委ねた話。

最近あったジャイアニズム

直近ではこんな出来事があったよ話を挙げる。

[Case1] 長女がリビングで工作していて、キッチンにいる妻を呼んで「来て!見て!」と言う。火をつけているとすぐには行けない。「すぐに来てくれなかった!」と長女は怒りだす。
[Case2] 楽しそうに絵本を音読している次女が気に入らなかったのか、長女は「うるさい!静かにして!」と音読を妨害する。

おおむね毎日なにかしら一悶着あるのが常態化しているのに、改めてカウンセラーから「具体的にどんなこと?」と聞かれると、日常すぎて思い出せない。記録は大事。

「見て!」には見て応えることが大事

Case1で「見て!」というのは「Attention Seeking Behavior」だったか何かの名前が付いていることを、児童精神科医の先生がおっしゃっていた。

子供が自律してゆく過程において拠り所となる自信が必要で、それは大人のまなざしによって育まれる。だから子供はコレデモカと言うくらい「見て!」と言うけれど、自信が付けばいずれ言わなくなる。それまでちゃんと「見て」やるよう最大限努力することは大事ということが書いている。

そうは言っても、四六時中「見て!」に応えていたら家事が終わらないし、手が離せない時もある。しびれを切らす沸点が低すぎるのも困ったものだ。

Case1は親子だけで完結する問題なので、「親が頑張れよ!」と言われればそれまでかもしれない。ただ、Case2に関しては、長女の好きなようにさせていたら、次女が抑圧されて悪い影響を受けるんじゃないかという面でも心配している。

ルールを決める自由

それでも「もっと自由にさせてよ!」と言う長女に対して、親として知恵を捻って「自由とは何か?」を考えている。

上の記事でも挙げたホッブズの社会契約論から、モンテスキューまで民主化を進め、三権分立でいう「立法権」を長女に一任することにした。平たく言えば、我が家のルールを長女に決めさせるという試みである。

三権分立も、権力の暴走を止める意味では民衆の自由を担保する仕組みである。親が勝手にルールを決めたり親の特権で好き勝手したりするよりは、家族みんなで話し合ってルールを決めるのだから民主的かつ自由だと言える。さらに長女のジャイアニズムを尊重して、長女がルールを決めることまで譲歩している。小学生にして大きな裁量である。

Case1で、「呼ばれた時にすぐ行かなければならない」というルールを定めると、逆にテレビの面白いシーンで親から呼ばれても「すぐ行かなければならない」が適用される。Case2で、「家の中では静かにしなければならない」というルールを定めると、長女が騒いでいても叱られることになる。

依然として司法権は父(私)にあるため、どんなに都合よくルールを決めても、自分が叱られることを悟った長女は「決められない」と話した。

自分で決めたことを守るのは偉い

一晩考えた翌日になって、「すぐに行けない時は、何分待ってと返事をする」「叫ぶのは駄目だけど、話すくらいの声はOK」というルールに落ち着き、絵本を妨害してごめんと次女に謝った。賢明な決断である。

お出かけしたくない幼児に「靴とサンダルどちらにする?」という選択肢にすりかえると、自分が選んだという満足感で主体的にお出かけするようになる。そんな小手先技を小学生にかけているようで気が引ける。

とはいえ、いくら注意しても聞く耳を持たない頑固な長女が、自分で決めたことは意外とちゃんと守る点は偉いなと思う。

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