なぜ「できた」のか読み解く=学習における児童生徒理解
小谷ちいです!
土曜日に、おそばを食べに行きました。本当に美味しそうですし(私は幽霊(?)食べられない…残念)、量も並~大まで同じ値段!すごくないですか?そして安い!
とまあ、そんな話しはさておき、このおそば屋さんで頂いたチケットですが
「美味しいそばをお腹いっぱい」
と書いてあります。これを、幼稚園の年長さん(Mさんの娘さん)がすらすら読んだんです!
どう思いますか?実際は「おいしい おそばを おなかいっぱい」と読みました!純粋に「すごい!」と思う中で「どうして読めたのか?」が気になっちゃたんですよね。
娘さんは、①本を読むのが好き。ひらがなカタカナをまあまあすらすら読むことができる。②漢字という概念は知っているが読むことはできない。
そうなると、「美味しいそばをお腹いっぱい」が何故読めたのでしょう?
みなさん考えてみてください!(答え?っぽいのは下記)
これが
「児童生徒の理解」であり「分析」
となります。
話しが逆になりますが、
「今日、Aさんは算数で計算を間違えていたけどどうしてだろう?」や
「何人か質問の答えが書けていなかったけど何でだろう?」など、
児童生徒が「つまずいた」ところを思い出して「要因」を導き出します。
それに対して「明日、こんな手立てを打ってみよう!」と繰り返すことで、「児童生徒理解」が深まり「授業力」が高まっていくと思います!(なかなかこれができないんですよ)言いたいことはこれでした!
しかし、よくあるのが
「あの子はどれだけ教えても何も分かってない」
「文字を書くのが嫌いなのか知らないけど、全然書こうとしない」
「なんで昨日やったのにもうできないの」など、
「児童生徒を否定する」考えです(保護者も然り)。
その子を「分析」し「理解」もせず、勝手な解釈で済ませてしまう。それは「教える」ことではありません!
児童生徒の「つまずき」には、何か「要因」があります。その要因が1つでも見つけられれば、その手立てが打て、その子の「わかった・できた」につながると思いますよ!
答え?
まず写真を見て、それっぽい内容を推察していますね。
「○○しいそば」なので多分「おいしい」かな?と解釈したかな?
「そば」はいつも「おそば」と言っているのでそのまま読んじゃった!
「お〇いっぱい」は、そばを食べればお腹がいっぱいになるから、予測して読んだ!
「予測して読む」のはすごいのですが、「誤読」してしまうこともあるので、聞こえたときに間違っていたら修正してあげたいですね。でもすごい!