「市民ケーン」を知らずに見た、映画「Mank/マンク」
結論:全 然 わ か ら ん\(^o^)/
市民ケーンは明日以降に見るとして、今回はこの「Mank」の舞台背景をしっかり確認してもう1度見ないと1930年代と1940年の場面転換が激しくて何もわからん……。
(1940年代は「市民ケーン(1941)」を書けと言われて酒を飲みながら書いているマンクとその映画の公開までということはわかるけど)
ということで、下記歴史確認メモ。
●メトロ・ゴールドウィン・メイヤー・スタジオ
1924年4月17日、マーカス・ロウがメトロ・ピクチャーズとゴールドウィン・ピクチャーズとルイス・B・メイヤー・ピクチャーズの経営権を取得し、MGMが設立された。新会社は成長し、ハリウッドの「ビッグ5」と呼ばれる映画スタジオのひとつとなった。
企業の名目上のトップはロウであったものの、新生メトロ・ゴールドウィン・メイヤーの実質的な主導権を握ることになる。
このスタジオは、契約しているスターの安定した地位を築き、そのモットーは「天国にいるよりも多くのスターがいる」だった。数多くの大作ミュージカル映画を製作し、多くのアカデミー賞を受賞したスタジオでもある。
しかし第二次世界大戦が終結すると、その勢威にも翳りが見られるようになる。MGMが得意とする感傷的な家族ドラマや仰々しいロマンス映画に、観客が以前のような関心を払わなくなったから。
黄金時代に決定的な終止符を打ったのは、1948年に下された「パラマウント訴訟」の最高裁判決だった。同一の企業が映画の製作と興行を担当することを規制するこの判決によって、MGMやパラマウントのような大手映画スタジオは、莫大な利潤を生み出してきた系列の映画館への独占的支配を一挙に失うことになる。
1930年代
●世界恐慌
1929年に始まる過剰生産恐慌。大恐慌は世界各国(社会主義国であったソ連を除く)を巻き込み、1933年にまで至る広範囲、長期という特徴をもつ。
1929年、世界で最も繁栄していた国はアメリカ合衆国だった。しかしアメリカ合衆国における上昇傾向の楽観論や他の工業先進国でも明らかに良好な経済であったにも拘わらず、世界経済はアメリカ合衆国に端を発した不況に耐えられず、ほんの数ヶ月の内に不況が世界中に広まった。
1929年10月24日(木曜)のウォール街のニューヨーク株式市場における瓦落は「暗黒の木曜日」といわれ、この大恐慌爆発の契機となった。以後2か月の間に株式は平均42%の急落を告げた。これは、アメリカが第一次世界大戦中に戦場となることなく、戦争経済から得た過度の利潤を貸付資本として「永遠の繁栄」のもとに投機的に株式投下し、株価を水膨れさせた結果の破綻であり、そのアメリカ経済の内部に過剰生産が進行していたことによる。
1932年の大統領選挙で民主党の指名を得たフランクリン・ルーズベルトが「アメリカ人のための新政策」(=ニューディール政策)を約束し、この言葉がその政権や多くの国内成果の名札として残ることになった。恐慌と、少なくともそれに対する適切な対応が取れなかった責任を問われた共和党は大統領選挙で大敗した。
●ナチス・ドイツ
ナチス・ドイツは、アドルフ・ヒトラー及び国家社会主義ドイツ労働者党による支配下の、1933年から1945年までのドイツ国に対する呼称である。
社会のほぼ全ての側面においてナチズムの考え方が強制される全体主義国家と化した。
1939年9月1日にポーランドに侵攻したことが英仏の宣戦を招き、ヨーロッパにおける第二次世界大戦を引き起こした。一時的に欧州のほぼ全土を支配下に置いたものの次第に戦況は悪化、1943年の後半には完全な劣勢に立たされるようになった。
赤軍によるベルリン総攻撃を前にヒトラーが自殺し、1945年5月に連合国軍に敗北、中央政府の不在が宣言され、解体されて滅亡した。
上記を踏まえて、「Mank マンク」あらすじメモ。