宇和島に行ったよ
親族の集まりが急遽発生し、宇和島に行きました。1日だけ時間をもらいいろいろと見て回った時の記録。
朝起きて、昨日のうちに近くのスーパーで買っておいた惣菜パン、菓子パンで朝食を済ます。宇和島ならではのものがあればなと思ったのだが、生ものが多く朝食に適したものがない。仕方がないのでローカルの菓子パンメーカーのパンを購入していた。味は・・・普通。
この日の朝の天気は小雨といった程度で傘はささなくてもいいかなと思える空模様。まずは丘の上にある闘牛場に向かいます。歩いて30分ほどの道のりなのですが、高低差が100m近くあるのでそれなりに負荷のかかるハイキング。途中、GoogleMapにのっていない、宇和島市立和霊小学校の通学路の経路を進みます。木々が生い茂り、頭上を覆うように枝がのびる。おかげで雨を感じなくなっていた。この道が自分にとっては非常に思い出深い道で、幼い頃、年に1,2回、親に連れられて宇和島に訪れていたのですが、子供の自分にとっては宇和島に遊び相手がおらず、時間を持て余していました。そんなときによくこの闘牛場まで続く坂道を登って、小学校の運動場や、更に上った先にある丸山公園というだだっ広い公園で、壁に向かって無心にボールを蹴り続けていました。当時は早く帰りたいという気持ちばかりでしたが、今は持て余していた時間でもっと宇和島のいろいろな場所をまわっておけばよかったなと思いますね。このあたりの魅力を知るにはあまりにも幼かった。
闘牛は年に4回大きな催しがあり、直近では8/14に「お盆場所」が予定されています。今回訪れたときは何も予定がないので人は誰一人いませんでしたが、シャッターが少し開いていたので、中の様子を伺うことはできました。この場所は闘牛だけではなく、時期によっては相撲の大会なども行われています。近くには梅園や、桜が咲き誇る遊歩道など、1月から春にかけても観光客で賑わいをみせます。
闘牛場、丸山公園までの道のりに懐かしんだら、今度は道を下っていき和霊神社の方向に。和霊神社の前に位置する和霊公園にまずは訪れます。このときには雨もやんでおり曇り空によって日差しも遮られていたので、暑さに朦朧とするといった心配をしなくてすみました。和霊公園には昭和に実際に運行していたC12型蒸気機関車が展示されており、中に入ることができるということもあって、小さい頃に何度か遊びに来ている思い出の場所です。まだ午前中だからか、それとも暑さからか、それとも平日だったからか、遊んでいる人は誰一人としていませんでしたね。鳩や猫など、動物の存在が目立つ公園散歩でした。
公園にある鳥居から、和霊神社に向けてまっすぐと伸びる道には、日本一大きな石造りの鳥居、戦時中の傷跡が今も残る神幸橋。これらが歴史的に非常に価値のあるものであるということは、訪れる頻度が激減してから知った。そしてその先に鎮座する和霊信仰の総本山、和霊神社。その入口となる神門の左右には、お多福と鼻髙面が加賀げられています。これまでに何度も来た神社なのだが、お多福と鼻高面の存在にこれまで気づいていなかった。そしてこのお面をまじまじと見たわけだが、福を呼ぶにはあまりにも怖い面をしている。小さい頃にこれに気づいていたらトラウマになっていたかもしれない。
神門をくぐった先に本殿に続く階段があり、また登道を進みます。厳かな雰囲気と同時に蝉の声が響き渡る。お祭りやお盆、年末年始といった時期には人があふれかえるのですが、ここまで人の気配がなく静かな和霊神社をみるのは初めてかもしれません。本殿まで進みお賽銭を投げ入れ、そして本殿の周りをぐるっとまわる。その年の干支を描いた巨大絵馬があり、うさぎの絵馬が本殿の隣に置かれています。過去2年分の、虎と丑の絵馬も本殿の周りに保管され、見学できる状態です。丑の絵馬は2頭の牛が角を突き合わせる闘牛の絵となっており、宇和島の個性が見えてとてもいい。
和霊神社の近くに別の神社、多賀神社というのがあります。和霊神社の神聖な雰囲気とは異なり、なんとも異質な雰囲気をまとったこの神社は、性宗教・民俗・風俗の資料などを展示した性文化財資料館がある。今回宇和島をまわるということで、自分の知らない観光スポットなどがないかと探して見つけたのがこの神社。資料館も興味本位で入ってみましたが、想像以上にとんでもないものでした。3階建ての建物の壁や天井に至るまで、隙間なく資料がびっしりと展示され、ひとつひとつをじっくりと見て回ろうものなら1日では足りないと思えるほど。なかでも海外の資料は興味深かったですね。日本の浮世絵の春画は有名なものが多いですが、海外のその地に根付いた性についての神など、これまでにない価値観を知るいいきっかけになったと思います。ただまぁ子供の頃に知らなくてよかったですね。
朝から動き周り流石に疲れてきたのでお昼休憩。宇和島の郷土料理が食べられる駅近くの食事処「かどや」、そこで「さつま」と「じゃこ天」を注文。魚の身と麦味噌をすりつぶし出汁を加えたものを、麦飯にかけて食べるという宇和島近辺で見られる郷土料理。掻き込むように口に入れて頬張ると、魚介の旨味の詰まった風味が口いっぱいに広がります。じゃこ天も魚の身をすりつぶしてあげたもの。双方とも魚介なのだが食べごたえがある。宇和島に来たときは必ず食べたくなるんですよね。ご飯のおかわりがサービスだったこともあり、たらふく食べ、お昼の観光に備えることができました。子供の頃「さつま」は祖父が作って振る舞ってくれたという思い出があり、ご家庭の味というのか、「かどや」の「さつま」とはなんとなく味が違う気がするんですよね。今となってはそのレシピの詳細を知ることはできないのですが、「かどや」の「さつま」を食べると、当時親しんだ味を思い出すような懐かしさも一緒に溢れてきます。
お昼を済ませたら今度は和霊神社と反対の方向に進み、向かったのは宇和島城。立派な門をくぐった先は登山道のようになっており、高い木々に囲われた道を進んでいきます。影が多いことで、登り坂を進んでいるにも関わらず、門を潜る前の平坦な道を歩いているときよりも涼しく感じます。80メートル近い高低差を上った先に、目的地の宇和島城がある。登りきった場所からのながめは宇和島駅から漁港辺りまで見通せて、午前中に歩いた距離を遠目に実感することもでき、登ったことと含めて歩いてきたという達成感が湧いていました。宇和島城の内部も見学することができるので、入場料を払って見て回りました。宇和島城は現存する12天守のひとつとして、宇和島の象徴的な建築物となっています。均整のとれた美しさから鶴島城とも呼ばれているんだとか。個人的に非常に印象深かったのは階段の傾斜がかなり急だったことですね。当時の建築では普通なのかもしれませんが、おりるときは足がすくみました。けが人がこれまで出ていないのか疑問が湧いてきます。3階からの眺望は悪くないのですが、窓には仕切りのような柱が当てられていることで、カメラで遠くを撮るのは難しい作りになっています。
宇和島城を堪能したら今度は城山を下って天赦園へ。天赦園は宇和島にゆかりのある伊達家の隠居場所として建造した庭園。夏なので花などは期待できないのですが、雰囲気だけでも知りたいと思い足を伸ばしてみました。ところが到着した時点で時刻は16時をまわっており、閉園時間の16時半まで10分程度しかないという状態でした。宇和島城でのんびりしすぎましたね。限られた時間の中で足早く庭園を周り、丁寧に整備された草木のかもしだす荘厳な雰囲気を堪能しました。道路が近く車の音とかも入ってくるはずなんですが、園内は音が吸収されているのかと思うほど人工的な音がしません。風に揺られる木々の音もあるはずなのですが、聞こえてくるのは池でたまに鯉が水しぶきを上げるおとのみ。時期的には見頃のものがない、緑一色の景色なのですが、色味がない分静けさというものが目立っていたように思います。
天赦園の正門が締め切られる直前に敷地を出て、次に向かったのは道の駅「きさいや広場」。しかし現地についた頃には17時を回ろうかというタイミングで、お目当ての1つだったみかんソフトを出しているお店が閉まっていました。とにかく歩き疲れていたのでなにか口に運びたいと思い、陳列されているものをひと通り見て周り懐かしいものを見つけたので購入。よくお土産として買われる「大番」そしてみかんのジュース。大番の餡の甘みとみかんのジュースの酸味が疲労を抱えた体の隅々に行き渡るような至福の時間でした。あとついでに、アレンジコーヒーで使えそうなものとして、いよかんのピールも購入。帰ってからの楽しみもできました。
行きたいところはすべて足を運ぶことができ、充足感に満たされつつ夕食へ。今度も入店したのは「かどや」なのですが、「きさいや広場」に近い漁港よりのところにも店舗があり、そこに入店。今度も郷土料理をいただくわけですが今回は「鯛めし」です。「鯛めし」と名のつく料理は日本で色々とあるようなのですが、ここ宇和島の鯛めしといえば、鯛の切り身を卵や醤油、出し汁といったタレとまぜ、ご飯の上にぶっかけて掻き込むという独特の食べ方をするもの。宇和島にいったときは「さつま」と「鯛めし」は絶対に食べたいと毎回思うのです。思いれ深いというのもありますが、なによりウマい。ここでもおかわりを重ね、普段の食事量の2倍以上はのこの日だけで胃袋に収めているような気がします。
宇和島は個人的にたくさんの思い出が詰まっており、見どころや食処がたくさんある街なのですが、大型のお店以外の店舗は軒並みシャッターを下ろしています。今後どうなるかということを考えると、どうしても暗い未来が先に頭をよぎってしまい、切なくなるばかりです。今後も折を見て宇和島まで足を伸ばしたいとは思うものの、実際は2年に1度地を踏むかどうかが関の山といったところでしょう。それでも次回は、お祭をやっているときや花が咲き乱れる春頃など、まだ見ぬ宇和島の一面が見られるタイミングに立ち寄ってみたいと考えています。次に自分が来るときまで、どうか今の魅力を保っていてほしいと願っています。