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OHDAIジャーニー【第9話】 令和6年能登半島地震と鴨台盆踊りー七尾市災害復興ボランティア <第14回鴨台盆踊り>

地域創生学部地域創生学科4年
第14回鴨台盆踊りSA
釣賀 明友美

第14回鴨台盆踊りー異風動々ー、7月5日(金)、6日(土)に開催!(詳しくは公式サイトや各種SNSをご覧ください)

第14回の特集連載テーマは「OHDAIジャーニー」。「大正大学・大正大学生にしかできない盆踊り」から「大正大学・大正大学生と共に創る新しい盆踊り」を目指し、東日本大震災の被災地である南三陸町での研修や能登半島地震被災地である七尾市でのボランティア活動、高校生・他大学・他団体との連携活動の様子などを紹介します。

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鴨台盆踊り、能登半島地震の被災地へ

東日本大震災の被災地復興祈願、および犠牲者の追悼を目的に2011年から始まった鴨台盆踊り。第14回となる本年は、元日に発生した令和6年能登半島地震の復興祈念、そして犠牲者の慰霊追悼を開催の目的に含みました。

鴨台盆踊りでは、被災地の“今”を知り、巣鴨の地から発信すべく、6月3日・4日の2日間、有志の学生で能登半島の中央部に位置する石川県七尾市を訪れ、ボランティアや広報活動を行いました。

復興支援ボランティア

初日は、七尾市の山の寺寺院群の一角にある、浄土宗・宝幢寺(ほうどうじ)様にて、副住職様より地震発生当時の様子から現在に至るまでのお話をいただき、その後がれきの仕分けや、物資の分配作業などを行いました。

安全を確認しつつ、半壊した本堂の中で
当時の様子や被害の現状を教えていただきました

地震発生時のお話

地震が発生した当時、ご自身とご家族がどのような状況だったか、危機迫る中での判断や行動、感情を、倒壊した本堂を前に振り返っていただきました。

「出れ出れ出れ!」という呼びかけや、ご家族の「うおー!」という叫び声、広がっていた惨状、そしてご家族の無事を知っての安堵、その後の避難生活から現在に至るまで。被害の実態を目の当たりにしながら、地震の恐ろしさや悲惨さ、そしてまた命の尊さを再認識しました。

活動内容

現地では、主に「がれきの仕分け」と「支援物資の分配」を行いました。

細かいがれきの仕分け作業の様子

屋根や柱といった大きながれきは撤去されていましたが、倒壊した建物から出る細かながれき(木片や石膏片、金具、瓦の破片など)の仕分け作業は、機械では困難とのことで、全て手作業で行いました。地道ではありましたが、学生同士励まし合ったり試行錯誤したり、声を掛け合いながら仕分け作業に勤しみました。経験したのは数多ある復興支援活動のほんの一部でしかありませんが、今回の活動を通じて、「被災地の今」、「災害復興の実態」、「人手の必要性」といった情報を、身をもって体感することができました。

全国からの支援

境内での活動中、入れ代わり立ち代わり、全国からボランティアの方がお見えになっていました。全国浄土宗青年会の方をはじめとする、お寺の関係者の方々が、個人で、あるいは十数名の団体で、大型のがれき撤去作業等の支援に尽力されていました。

全壊してしまった西念寺(さいねんじ)と、がれき撤去に尽力される皆様

被災時の支援ネットワーク、現地支援の重要性を知るとともに、そのような縁と支え合いのもつエネルギーを感じました。「もしも家族や友人が被災したら」「もしも自分が被災したら」どんな行動をとるでしょう。自分には何ができるでしょうか。全国から足を運び、黙々とがれきに向き合われる姿は、初めて現地を訪れた我々に、「もしも」から始まる問題提起をくださいました。

七尾市役所訪問

2日目は、広報活動ととある依頼で七尾市役所に伺いました。

我々のミッション

能登半島地震の復興祈願と犠牲者の追悼も目的とした第14回鴨台盆踊りでは、初めての試みとして“被災地の踊りを踊る”という企画を取り入れました。その地域の歴史ある踊りを通して、被災地を知る。「盆踊り」という行事だからこその届け方、伝え方を模索しました。

七尾市役所では、初日の活動報告に加え、七尾の伝統的な盆踊りである「みなとヨイサ」の使用について、趣旨や経緯を説明したうえで、第14回鴨台盆踊りでの実施を快く承諾していただきました。

七尾市役所にて、みなとヨイサの音源と資料映像をいただきました!

七尾の踊り「みなとヨイサ」

七尾港まつりの市民総踊りで踊られる「みなとヨイサ」。その振り付けには「七尾へいらっしゃい」という意味が含まれていたり、「七尾の海を望む」振り付け、「波」を表現した振り付けなど、地域性のある踊りとなっています。

当日は振り付けはもちろんのこと、現地のお祭りで総踊りとして踊られる本演目の”歌詞”にもご注目ください!

個人所感

自身が石川県の東隣の富山県出身で、実家も年始の災害の被害を受けたためため、近隣県の実態や現状を知り、現地にて支援活動を行いたいと思い、今回の活動への参加を決めました。

七尾市内の現状を前にしたとき、つい「実家のある街から直線距離でおよそ20km、車で20分程度の距離にある場所の被害」という見方をしてしまいました。「被害を受けたのが”たまたま”その場所だっただけ」「あなたが今いる場所だって、いつどうなるか」とは言いますが、初日の朝を緊急地震速報とともに迎え、地元と近距離の地域の被害を目の当たりにした2日間を振り返って考えるその言葉は、日常の尊さを知るには十分すぎるものでした。

縁もゆかりもない地域が被災したとして、一個人にできる支援は限られています。現に、能登の震災直後は真っ当な理由で一般人のボランティア来訪が嫌煙された時期もありました。

ただ、被害が残る地域があるのと同時に、被災しながらも生活を続ける人々がいます。七尾市には、がれきがそのままの場所もあれば、撤去が完了し、綺麗に整備されている場所もありました。被災地の生活も徐々に変化しています。能登半島地震から半年以上たった今、現地の人々が求める支援は、地震発生直後に求められていた支援と異なっています。

力になりたいと願ったとき、まずは”被災地の今”を知るところから始めるべきなのではないかと、そう思いました。一番初めにできること、それが「知ること」だと。

”能登半島地震の今”を知るきっかけのひとつにできるよう、鴨台盆踊り成功に向けて頑張ります。

おわりに

ここまでご覧いただき、ありがとうございました!  今回は、第14回鴨台盆踊り実行委員による、石川県七尾市訪問の2日間の様子をお届けしました! 実際に現地に足を運んだからこそ気付けたこと、改められた認識、できた動機付けがありました。お世話になった関係者の皆様への感謝を、第14回鴨台盆踊りの成功をもってお届けします。

日常に感謝を。そして本番の好天を願って! 次回は、鴨台盆踊り×高校生特集! お楽しみに!


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