指定席(リザーブド・シート)第一話


※この物語はコロナ禍のお盆シーズンではありません。
 
 盆休みに入ったせいか、東京発新大阪行きの、新幹線の乗車率は百%をはるかに上回っていそうだった。車内をざっと見渡してみても、殆どの座席が既に埋め尽くされており、通路や車両間のデッキまでもが座れなかった人の群れでごったがえしていた。
 肩に大きな旅行バッグをかつぎポシェットをたすきにかけ、片手に持った切符と座席番号を見比べながら、瑠里子は、熱気でむんむんする車内を乗客をかきわけて歩いていた。6号車9Eの自分の指定席を確認すると、棚に荷物を置いて窓際のその席に腰を降ろし、ひとまず大きな息をついた。出発時刻の正午まであと数分だというのに、二人掛けの隣の席に乗客の姿はない。
「ああ、よかった・・指定席を取っておいて。大阪まで何時間も立ったままじゃたまらないもの、うっかり寝坊したけどなんとか間に合ってよかった」
 窓の外はかんかん照りで、朝からうだるような暑さだ。車内の人が多いせいか冷房もききが悪い。汗で崩れた化粧直しをしようと思ったとたん、発車ベルが鳴り始め、ふいに大きな人影を感じて瑠里子は通路側の方に思わず首をかしげた。派手な白黒のストライプ模様のスーツを着た男性が隣の座席に乗り込もうとしていた。
 長身で痩せた体躯の、あまり若くない男で、銀色のジュラルミンケースを膝に乗せたまま、彼女の横にどっかりと座り込んだ。よほど慌てて走ってきたのか新幹線が走りだした後も、しばらく、はあはあと荒い息をたてている。
 瑠里子は男の横顔にちらりと目をやった。すると男もくるりと顔を向けてきて、二人は数秒、至近距離で互いの顔を見やっていた。
「蛇だ!」瑠里子は声にならない声で絶叫していた。身体が強ばり、後にのけぞりそうになった。それほど男の顔は衝撃的だった。
 黄ばんだ和紙のような皮膚をして、眉や睫毛は殆どなく、細長い両目が異様に妖しく光っている。半開きの薄い唇は奇妙な形に歪み、そこから今にも赤い舌がちろちろと出てきそうだった。角刈りの髪に片耳だけピアスを三つもつけているのも、とても尋常なサラリーマンとは思えない。
 瑠里子は心臓がどきどきと高鳴り、すぐさま男の顔から逆側の窓辺に視線を移したが、鼓動は一向に衰えることはなかった。
「あれはフツーの人間の顔つきじゃないわ。麻薬か覚醒剤かわからないけど、何かやっている人かもしれない・・それともその筋の売人?もしかしたらあのジュラルミンケースの中にはピストルかやばい粉が入ってるんじゃあ・・」
 男は膝の上のそれをさも大切そうに両腕で抱え込んでいる。瑠里子は自分の想像に確信を持ち、男の傍から一刻も早く逃げ出したかったが、そうするには男の前を通っていくしかない。男に長い足を折り曲げてもらうよう頼んで隙間をそろそろと通っていくことは、たいそう勇気がいることで、それならいっそうのこと男が席を外すのをじっと待つことにした。
 瑠里子はポシェットの中からWALKMANを取り出した。落語を聴いて、気を紛らわすことを思いついたのだ。友人から勧められてダウンロードしたが、こういう場合にはいかにも役立ちそうで、さっそくイヤホンをあてて小咄に耳を傾けてみた。それは思いの外おもしろく、傑作といってもいい内容だった。時々くっくっと含み笑いが出てしまうありさまで、退屈することなく最後まで聞き終わり、瑠里子は閉じていた瞳をゆっくりあけた。
 ふと視線を感じ、隣を見ると、男が泡食ったように顔をひきつらせ、凄まじい形相で瑠里子の顔を見つめている。目を合わすと慌てて前に向き直り、何を思ったのか急に、ジュラルミンケースの口を細長い指でがちゃがちゃといじり始めた。
 男は右手の中指に六角形の大きな指輪をはめていた。瑠里子は一瞬、くすんだ銀色のそれに目を奪われた。だが次の瞬間、えも言われぬ殺気に襲われ背筋に悪寒が走り抜け、弾かれたように椅子から立ち上がっていた。
 びっしり埋められた座席の面々に助けを乞おうとしたが、その前に思わぬ事態が起こった。通路の前方からやってきた、母親に連れられた幼い女の子が、男の方を見ていきなり大声で泣きだしたのだ。
「ああん、怖いよう、ママー、怖いよう」
 男はびっくりして、膝の上のジュラルミンケースを足元に落としそうになった。そのはずみでケースの口が開いて中の物がばさっと床に散らばり、その予想外の代物に、思わず瑠里子の目は釘づけになった。

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