演る側と観る側
今日は後輩の引退ライブの日だった。
引退する後輩へお疲れ様の意味を込めて、昨日今日と差し入れ(プレゼントに近い)をせかせかと買いに行った。通販サイトの検索条件を絞っていくかのように、数ある選択肢の中から一人一人に合ったプレゼントを探す。プレゼントを渡す時、「自分のセンスを出したい」と思ってしまうややこしいタイプなので、この手の作業は毎回時間がかかる。
今回も例に漏れず。ただ、彼女に一緒に選んでもらうことで、1人で選ぶ時よりかはテンポよく選べたかなと思う。優柔不断なタイプは1人では決められないのだ。「自分以外の第三者に背中を押してもらう」「プレゼント選びに付き合ってもらっているというプレッシャー」この2つで判断スピードは強制的に速くなる。
両手が塞がるほどの差し入れを持って会場へ。それぞれの品に宛先とメッセージを添える。現役時代の同期や先輩なども続々と会場に到着し、差し入れを受付に渡す。ふとみんなの差し入れを見ると、自社のデパート紙袋を持った人がたくさんおり、少し誇らしい気持ちになった。たしかに人へのプレゼントとしては高見栄するから選ばれるよなぁと(実際高い。)
受付をして席に着くとすぐに開演した。
たくさん練習した事が窺える上手な演奏を聴きながら、自分たちが最後のステージに立ってからもう一年も経ってしまったということに本当か?という気持ちが湧いた。自分と後輩たちの姿を重ねる。OBになって後輩たちのライブを観るようになって気付いたのは、お客さん側から観ると案外ライブというのはあっという間に過ぎ去ってしまうということ。現役の時は、練習や準備〜本番までの流れを丸ごとライブとして捉えていた節があるので、終わった時の達成感といったらライブのたった3時間だけの総量ではなく、ライブのために動き出した4ヶ月間くらいの総量があるのだ。ただ、その4ヶ月分の総量を3時間でどれだけ伝えられるかというところが主催者側の技量、魅力になるのかなと思う。結局、観客はその3時間しか観ないのだから、そこで凝集しなければただの自己満足に終わってしまうと思う。
良いライブというのは、主催者側が色々試行錯誤したのが観客側に伝わり、両者の満足度に差がないということが、一つの基準になるのかもしれない。