人の抱く不安の正体。
こんにちは、かにゃです。10月に会社を辞めて、早2ヶ月。転職活動も終えて実家で犬とのんびりしていたら、脳を使うことがなくなってやばい。
会社を辞めてからというもの、いろんなことにチャレンジしてみたくて、史跡のある場所の国内旅行やお寺修行、山登りなんかに挑戦している。思い立ったら吉日的なノリで、山にも登ろうとしているのだが、ひとつ厄介なことがある。母だ。
母は保守的な人間で、あまり新しいことや物に手を出さない。私の山登りについても「一人でいくなんて危ない」「よく怖くないね」なんて言ってくるのだ。
心配していってくれるのはわかるのだけど、危ないことをやらないとなれば、家を一歩外に出るだけで交通事故なりなんなりの危険はあるわけで、何もできなくなってしまう。そんな心配をよそに自分がやりたいことをやってきたわけだが。
そんな時、なぜ何に対してそんなに不安になるのだろうと考えていた。きっとその不安なんて漠然としたもので、言葉にしてみたら大したことではないのではないか?何が不安なのかわからないことが不安を生んでるのではないか?
これはとても正常な防御本能とも言える。知らないことに対して人は恐怖を感じる生き物だが、古代から知らないことを知らないままに取り組むことは、生死に直結することだったのだろう。死を避ける本能的なものと考えると違和感はない。
その前提で山登りを考えたときに、日帰りで登れる低山で遊歩道もあるようなところで難易度は高くない。どんな危険があるか想定してそれに対応できる準備があれば、危険が回避できる可能性は高い。とりあえず、入山届を出しておこう。
未知のことに取り組みたいけど、不安で一歩踏み出せない。そんな時は自分が感じている不安を紙に書いて見るといい。大したことないなと思えたらそれでいいし、本当の危険ならそれを回避できる手法を前もって準備しておけばいい。取り組まなければ何も始まらないのだから。