わたしが社会人30代から留学をしようと思った理由
私は社会人として働いてきて、もう10年近くになる。年齢はもう30を超えている。そんな私が海外に、しかも一度日本で卒業しているにも関わらず、大学に留学しようと考えたきっかけから話そう。
私はちょうど今から一年前(2021年2月)、人生の岐路に立っていた。仕事が辛すぎて休職しているうちに、コロナで会社の業績が悪化して職場復帰が難しくなっていたのだ。休職を3ヶ月以上継続すると自動的に退職することになる会社だったため仕事に復帰しようと思ったが、それを伝えると今の会社の状況を知らされてそのまま会社都合での休業になると告げられた。休みが継続すること自体は問題ではないが、こんなことは長くは続かない、いつかは退職を迫られるだろうと考えていたというのが背景にあった。
そんな状況の中、転職を何度か繰り返しまだ一年強しか働いていない会社を辞めて、また転職活動をすることに嫌気が差していたし、その会社が宗教じみてて大嫌いでまたそんな会社に間違って入社してしまったらどうしよう、と積極的に転職を考えることができなかった。そして、日本の企業数社で働いてきて思ったことは、私は日本の組織には合わないのではないか、ということだった。
私は、誰に対しても自分が信じたこと、考えたこと感じることをはっきりという人間で、これまで幾度となく上司にあたる人と軋轢を生んできた。忖度という言葉が一番嫌いな、そんな人間。忖度が流行語になるほどその意識の染みついた日本で、元来の性格が悪く出てしまいどれだけ真面目に仕事をして結果を出しても評価をされずに、私は燻っていた。そんなことを何度か繰り返していくうちに、日本で働いて生きていく未来に、何も希望が持てなくなっていた。
一般的にはもう結婚して子どもがいててもおかしくない年齢、結婚どころか恋人もいない私はとにかく自分で自分を養い、守っていくしかなかった。自分一人で自分だけのために働き自分だけのために生きる。これ自体に何も問題はないけれど、寂しさはあった。ただ、寂しさのために誰か一緒にいてくれる人を探そうとしても、日本社会での女性はこうあるべきというステレオタイプに自分との違いを感じていたし、私は日本社会の男性にとって魅力的なステレオタイプ女性にはなれそうにもなかった。それくらい自分に正直に生きてきてしまった。誰かに媚びることがとにかくできない。そういう人として、女性としての生きづらさみたいなものも、ここ数年私の頭のどこかに棲みついていた。
そんないろんな思いを抱えながらも、休職からの休業で毎日が夏休み状態が続いていた。転職活動は特にせず、家にこもって毎日のようにYouTubeのいろんなチャンネルを手当たり次第見ては暇を潰していた。そんな時リコメンドで目についたのが、白川寧々さんの動画だった。大学で英語を勉強して海外に留学したことのある私だが、その時まで海外に行くという選択肢があることをすっかり忘れていた。何より英語圏は留学費用が高すぎて選択肢にもなかった。
しかし、そこで紹介されていたのがヨーロッパへの留学だった。ヨーロッパなんて考えたこともなかった。それは英語ができるだけでは受け入れてくれないだろう、現地語も習得していないと、と思っていたからだ。
そんな考えが全て誤解だったんだとわかる。オランダもベルギーもチェコもハンガリーもドイツも、ヨーロッパのあらゆる国で英語での大学の授業の開講があるというのだ。なんなら人気のある西欧・南欧の国ですら、一部英語でのプログラム開講があった。しかも費用は安い。ドイツなら授業料は無料である。
私はこれを知った時、絶望の中に希望の光を見つけた気がした。日本で腐って死んでいく未来しかないと思っていたけど、そうだ、海外に行こう。
前から海外の大学に留学して学位を取りたいと思っていたし、これはいい機会だ。海外で働くのも人生でやりたいことの一つだった。海外で働くとなると、スキルが必須である。今はITが重宝されているし、私自身もその産業に関わってきており、その感覚はある。であれば、ITの学位を海外で取るのはどうか。
元々英語は好きだったのと、IELTSを半年前に取った時の結果が使えること、奨学金で全て賄えるハンガリーに魅力を感じて、出願することを決めた。私の人生が動き出した感覚があった。