京都には山があったな。東京には無いな。の巻
今日は、映画を見に行って、8時くらいに家に帰ってきて、阪神戦を見ていたら寝落ちしてしまい、今起きた。布団に入っても寝れぬので今この文章を書いている。今日見た『悪は存在しない』という映画で、長野の山のイメージがたくさん出てきた。そのことを思い出すと、京都の景色を思い出して郷愁みたいな感情に駆られた。東京に来た時、360度どこを見渡しても山がないことに不思議な、いい意味での違和感があった。ずっと山の近くに住んできた。実家から出ても山の麓に住んだ。山がない解放感というのは、水槽から川に逃された金魚のようなものだろうか、どこまでも空間が広がっており、行こうと思えばどこへでもいける感じがした。ただ、東京に来て1年が経って、電車から見るビルや住宅の連なりを眺めなれてから、街と空の接点に山という緩衝材がないところに、どこか茫漠とした気分になることが増えた。どこまでも繋がっているのはいいが、さりとてどこへいけるわけでもなしに。そこには、金やら体力やらの条件は京都の時分よりはるかにかかる。山があろうがなかろうが、自分は自分を透明なケースに入れて管理しなければならない。
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『悪は存在しない』は音の絡み合いが素晴らしい映画であった。(もちろん他にも素晴らしかった要素はたくさんあるが)枯れ葉の地面を踏むガサっという音、山道を走る車のモーター音、湧水を汲むコポコポという音、薪を割るかわいた音、パチパチという焚き火の音、銃声。長尺のカットに耳が慣らされたころに、カットが変わり、また別の物質変化の音が新鮮に聞こえてくる。我々にとっては同じような植物だらけの映像なのに、音感、時間を操ることで決して飽きさせることはない。映画全体がアンビエントミュージックのような感覚があった。そしてパッと東京に映像が切り替わった時の、ソリッドな瞬間。電車の音、機械の音。
ストーリーとしては、予想外のことが起こる映画なので書いてしまうのネタバレになってしまうので、やめておく。いい映画だったのでぜひ見てほしい。
ただ、感覚として、水蒸気が体にまとわりついて離れない、山のあの水分を含んだ空気が、映画を見ているとき自分を包んでいるようだった。そして、それは生まれてから京都で感じていた感覚とよく似ていた。
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自分が生まれ育った京都のニュータウンは、小塩山という山が近くにあった。地元の人は西山と呼んでいる。西にある山だから。標高はけっこう高く、秋は紅葉が鮮やかだ。京都観光の穴場として、最近は観光客が増えている。大原野神社という、春日大社の分社があって、けっこう立派である。街としては、あとは団地と国道とイオンとブックオフみたいな、ザ・地方都市の景観なのだが。
自分は、よく山の方に歩いたり、走ったりしていった。24歳まで実家で暮らした。それまで、暇があると山の方に歩く、走るをした。特に意味はなかった。強いていうなら運動のため。大原野神社までの2キロくらいを、ブックオフで買ったCDのデータがたんまり収納されたipodをズボンのポッケに入れて、それを聴きながら。
住宅街を抜けて、山に向かう田圃道に出た時の開放感は格別だった。春は、山桜が咲いていて、夏は緑が生命力を立てていた。秋は、終盤になるとオレンジの絵の具をベタ塗りしたように赤々としていて、冬は茶色でビターな感じだった。季節だけでなく時刻でも山は変容した。朝は、東からの日差しが反射して、ハイライトを纏ったようにキラキラしていた。夕方は、狂った感じが多かったように思う、陽を背にして山は影っぽくなるが、夕日の暴発した赤色、ピンク色、紫色がその上を覆う。エネルギーを振り絞っているようだった。その色が、散歩から帰ってくる飼っていた灰色のサバ猫によく合った。同じような景色は何度もあったけど、同じ景色は一度もなかった。夜は、友達と塾の帰りに星を見に行ったりした。煌々として綺麗だった。高校生のころ、近くに高速道路ができてあまり見えなくなった。「星すら見えんくなったら、ここに何が残るんやろな」と友達と笑い合った。「星きれいなだけが取り柄やのに」。何もないことはわかっていた。見下ろす南京都の街並みが、箱庭みたいに見えた。THE BACK HORNの『サニー』という曲がその景色にはよく合った。24歳くらいまで、そういった感慨たちと自分は付き合って生きていた。いつか別の場所に行くんだろうなと思いながら。
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25歳から、京都の左京区、浄土寺あたりにあるシェアハウスに移り住んだ。シェアハウスに空きが出たという情報をツイッターで知って、連絡した。実家に住み続けるのも窮屈だった。愛していた猫も亡くなってしまって、いる意味がないような気がしていた。日本家屋の部屋を分け合って暮らした。楽しかった。
シェアハウスは大文字山の麓にあった。言わずもがなだが、バリバリの観光地で、外国人が路地に迷い込んでくるのを2階の自分の部屋から見たりした。ビートルズを歌っていたら、外国人夫婦からささやかな拍手をもらったこともある。
クーラーがなかったから、夏は窓を開けて寝た。山が近いので、夜はそこまで気温は高くならない。上記でも述べたが、水分が体を纏う感覚があった。山から出る湿気が眠りに誘ってくれた。夏の朝の寝起きは、外気に触れすぎたせいか体がいつも固かった。でも不思議とその冷えた体が心地よかった。自分がパキッとした植物になったような気分だった。休みの日はそのまま散歩したりした。哲学の道にある疏水で、春は鯉が体をこすり合わせて交尾をしていた。小学生の集団がはげしく体をぶつけあう鯉をみて「うわ、喧嘩しとる!」とはしゃいでいた。「ちゃう、交尾や」と後ろからつぶやくと。子供たちは、黙っておそるおそる振り返ってきた。多分やばいおっさんだったと思う。よれよれのバンTとジャージとクロックス、無精髭を顔に携えていた。そして、なんかよくわからん憂鬱も携えてずっと浄土寺あたりを歩いていた。今思うと、なんであんなに落ち込んでたんだろうとも思う。素敵な街に、素敵な日々だったじゃないか。でも、それは今にもあてはまることだと思う。多分自分は、後からしか楽しかったことに気づけないのかもしれない。体力がなかったから、仕事終わりに行こうと思っていた吉田寮祭や熊野寮祭には、疲れて一度も行けなかった。大文字山にも登ろうと思ってたが一度も登れなかった。でも、あの街のたしかに一部になっていて、それは今思うと遠い夢のようにも思う。山の水蒸気が包む街。誰にも切迫させられなかった。自分で自分のやりたいことをただやればよかった。それはとても贅沢だったなと思う。そんな2年間だった。取り壊しの前の日に、一緒に対バンした友達が泊まりに来た。あの夜は、自分が今生きている手がかりになっている。すごく素敵な夜だった。こんな自分でも、あんな夜があったんだと思ったら、それだけで生まれてきてよかったと思える。シェアハウスのメンバーもみんな素直で誠実で楽しかった。その中で俺だけが何か切迫感を感じながら生きていた。ほんとはそんなものいらなかったのだ。
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そして、それは今も言えることだ。何も切迫するようなことはない。力を抜いて生きていけばいい。しかし、東京には山がない。なにか自分を制限するためには、自分で策定しなければいけない。最近、他人の切迫感をよく感じる。何者かになろうと思ってもがき苦しんでいるのを隣でみていると痛々しくなるのは、それはまだ自分が若いからなんだろう。例えば、自分の裸をポスターとして貼る人も、何者かになろうと必死なんだろう、可能性がどこまでも拡がるというのは、狂っても止められないということだ。自分も人前で何かをやる立場だから、そこに片足突っ込んではいる。
今日、『悪は存在しない』をみて、京都にいたころの感覚を仮そめでも思い出した。水蒸気が湿度が自分を包んでくれる感覚。それは、もったりとした時間でもあるだろう。まだもったりと生きていきたいなと思う。狂うより退屈の方が、自分はよっぽどマシである。
こんな文章書いてるのも、音源制作がうまくいかなかったり、ライブが決まらない焦りとかなのかもしれない。ただ力抜いて焦らず、途方に暮れながらもやっていきたい。何者になる必要もない。いつか、今の日々も実は幸せだったよなと思うようにしたいなと思う。東京には山はないけど、いい川がたくさんある。多摩川の辺りにて。
PS.明日仕事で怒られが発生しそうなのでビクビクしてる泣
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