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話をするということ

こんにちは

挨拶

ばいばいしたのに
挨拶をしている。
またココに来てしまった。

少し、心が晴れたできごとがあったので
メモの感覚で書く。


最近、オトモダチに言われた
「宇宙人は頑固だ」
”こうだ”と思ったことを
曲げることが難しい。

柔軟な思考回路が欠損している。

「Aが好き」と周囲に公言した後に
Aを嫌いになった時
好きと言った時の自分が嘘つきに思えて
Aを嫌いと言えない。
(Aは物でも人でも)

謎の意地っ張りで、
何とか自分を嘘つきにしたくなくて
Aを好きでいたいと思う。

トラウマだったり、違和感を抱えつつ
付かず離れずの関係になってしまう。


ヒトの感情は移り変わりゆくもの
そう分かっているけど、
”一途な自分”でいたい
”嘘つきになりたくない”と思って
中途半端に苦しくなる。

ヒトに嫌われるのが怖い
だからヒトを嫌いになりたくない

そう思うと同時に

「Aは宇宙人に嫌われても構わないだろうな」
と思ってしまう。

「Aの気持ちはAにしかわからない」
前にも言ったこと。
それはわかっている。

しかし、自己肯定感が低く
自分の存在価値を見出せないせいで
誰にも必要とされていないと思ってしまう。

そのせいで
他の人の何気ない言動を、
自分に向けたネガティブな言葉と受け取ってしまう

「被害妄想」


一部脚色した たとえ話

"
 自分とXがケンカをした。
 Xと仲がいいYがいる。
 自分とYは遊ぶ約束をしていた。
 しかし、その約束をすっぽかされてしまった。
"

その時
YはXと仲が良いから
Xに気を使って遊ばなかったんだろうな。

ケンカをしたのはXとだけど
Yとも気まずくなってしまったな

と思ってしまうのが宇宙人


ふとしたタイミングで
Yと話す機会ができた。

なんとなく腹を割って話す場になったので
「あの時、どうして遊んでくれなかったのか」
聞いてみた。

「Twitterで読書中と呟いていたので邪魔しちゃ悪いと思って」

読書なんかいつでも止められる。

しかし
Yなりに気を遣ったつもりらしい


想定外の回答だったので
「ニンゲンの多様性」を思い知らされた。


宇宙人とXのケンカで
Yは何とも思っていない。と。

Yを勝手にX派と思って
Yを避けたのは自分の被害妄想だったのだ。


今回、この話をする場がなければ
Yとは今後も距離が縮まることなく
なんとなく居心地の悪い関係が続いていただろう。


宇宙人は基本的に
自己肯定感が低く
常に自分が悪いと思い

嫌われたのも
怒らせたのも
自分のせいだ
と思ってしまう。


話をするということが
いかに大事か と 痛感した。

相手の話を聞かずに
決めつけることがいかに
愚かでもったいないことか。

これからは決めつけず
ちゃんと話をしよう。

頑固な自分が 少し
変われる気がする。


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