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人がやらない方法でやっても、失敗したときは狡いと言われない
皆さんは定規戦争。いわゆる定戦(じょうせん)と呼ばれる子供の遊びをご存知でしょうか?
私の記憶だとおそらく中学生になって初めて私は定戦をやったのだと思う。
もしかすると物心つく前から定戦をやっていたのかも知れないが、
とりあえず今思い出せる一番古い定戦の記憶は、
中学一年の時に、クラスのちょっと頭の悪い感じのグループに声をかけられ、
いっちょやったるかと思い、やってはみたものの思うように行かなかった記憶である。
私は定戦で思うような活躍ができなかった日の帰り、その足でサイフを手に1m定規を買いに走った。
狭い机を埋め尽くす私の1m定規を想像し、ニヤニヤしながら文房具の欄を探し回ったのだ。
結果として1m定規は有ったのだが、
想像していたプラスチックのものではなく、竹製っぽい感じの折りたたみの1m定規しか売っていなかったので、とりあえずはそれを買うことにした。
これだけ大きければ問題ないだろうと思い、理想的な定規は買えなかったものの、
次の日定戦が行われるのを今か今かと待ち、始まるやいなや早速その折りたたみの1m定規を取り出して、
「お前達今日の俺は負けないぜ」と宣戦布告する。
当たり前のように、驚きの声ではなく非難の声が返ってきた。
予想の範疇だったので、とりあえず一回やらせろとやってみると、予想に反して竹製の1m定規はとても弱かった。
ずるいずるいと言っていたみんなの攻める口調は一戦ごとに優しくなり、私の1m定規はいい的として机から弾き出されていく。
それからというもの、定戦が行われる度にあの1m定規でやらないかと誘われるようになった。
人がやらない方法で何かを成し遂げた人は、必ず狡いと言われる。
でも、人のやらない方法で散々たる結果に終わると面白いやつだと言われ、よく呼ばれることになるのだ。
人間は本当に面倒くさい。