自由は不自由の中にある。
(みつをモードです)
「自由」を求めて生きてたけど、それと同じくらい「不自由」も求めている自分に気づいて、びっくらこきまろ!。といった話です。
実は最近、
「ずっとやりたかったことをやりなさい。」の中で紹介されてるアーティストデートというものにハマっています。(始めて1日目)
アーティストデートとは?
・無駄に朝5時起き。
・出勤時間に合わせて朝散歩。
・大盛りニンニクパスタを昼から食べる。withコーラ
・一番後ろのド真ん中で全く知らない映画を鑑賞。
・MacBookをスタバでポチポチ。
・漫画家さんの画材道具でお絵描き。
・真昼に半身浴。
・本をパケ買い。
などなど。
ずっとやりたいと思ってたけど、「お金」とか「時間」とか「他人の目」とを気にして、なかなか挑戦できなかったことに挑戦してみました。
「もったいない」と「恥ずかしい」のブレーキを外して自由を生きるとこんなにも楽しいのか😳!、となんとも言えない至福の時間を味わうことができました。
が。
しっくりこないことが一つだけあって。
それは、
「なんでもしていい!」と言われると、逆に「してはいけない!」を求める。ということです。
例えば、
なんの予定もない1日に「⚪︎時⚪︎分の映画を予約」した途端、気持ちが軽くなって買い物やお散歩といった他のこともしたくなったり、
「何を着てもいい」と思うと何を着たらいいのか分からなくなるけど、誰かに見られるかも知れないと思うと、TPOに合わせたコーディネイトがあれよあれよと浮かんで楽しくなったり、
「なんぼでもお金使っていいよ」と言われると、逆に貯金してしまいたくなるけど「最大〇〇円まで」と決めると、たくさん使うことに抵抗がなくなったり。
自由を求めて行動していたはずのなのに、気づけば「時間」「お金」「他人」といった自分を拘束するものを探し求めていました。
強調しておきたいのですが、
私は自他ともに認める自由人です。
「集合時間」は嫌いだし、「スケジュールに予定が入ること」も嫌いだし、「〇〇しなさい!」とか「〇〇してはいけません!」指図されることも大嫌いです。
なのに、
「何をしてもいいよ☺️」と言われた瞬間不安になったのです。
こりゃ不思議と思ったので、
「なんで不安になったのか」を深掘ってみました。
そこで思ったのが
そもそも「自由」のイメージが間違ってたんじゃないかな?ってことです。
今までは「自由」とはこういった↓イメージを持ってました。
だけど、
本当の「自由」はこんな楽しげなものではなく、むしろこんな感じで↓
命綱が切り離された宇宙飛行士の状態なんじゃないかなって思います。😇笑
右も左も、上も下も、前も後ろもない世界を歩く。
これこそが本当の「自由を生きる」ってことなんじゃないかな?って思うのです。
何が正解で何が不正解なのかが決まっていない世界を、自分の信念だけを頼りに歩く、、、、、。
それってめちゃくちゃ怖いし、むちゃくちゃ怖いですよね。
だから、
「こっちが正解だからこっちに進みなさい。」とか
「そっちは危ないからそっちに行くのは辞めなさい」とか
誰かに指示してもらうことを求めるんだと思うのです。
だけどそれって全然悪いことではなくて、
むしろこの声があるから、自分なりの道が見つけられるんだと思います。
「時間」「規範」「モラル」「お金」「他人」といった自由を阻むものはものさしのような役割で、人はそれを元に、各々の信じる「自由」を掴むんだと思うのです。
社会の決めたわけわからんルールも、
「女は20代まで」という謎のことわざも、
変えたくても変わらない容姿や気質も、
言いたいことも言えないこんな世の中も(反町)
こういったどうしようもない不自由があるからこそ、人は自由に生きることができる。
「自由」って
「不自由」の中にあるんだなって思いました。
(伝わります?笑)
それではおやすみーとぼーる🌝
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